三浦春馬さんのこと
メッセージ性が高い春馬くん、ファンの方、作品を見た方々にも色々な想いを託して旅立っていかれました。
わたしが春馬くんに癒された13年間、わたしの思うなりに書いてみます。
4月桜舞う季節に生まれ、7月の初夏の光に向かって旅立たれた春馬くん。
「14歳の母」のドラマを見て綺麗な男の子だなあと思った程度でしたが、それから3年後
どんどん引き込まれていきました。
春馬くんが17歳のときのファースト写真集のインタビューで一気にファンに…
わたしは、作品もスキですが、番宣や舞台挨拶、インタビューを受ける春馬くんが一層スキです。
当時、仕事と介護にぐったり三昧の日々。笑顔作れない日々を送っていました。
(もう、しんどい…24時間終わりのない一日)
そんな時期に17歳の春馬くんに心奪われました
某局でのファースト写真集のインタビューです。
17歳の男の子が大きな映画(恋空)に出て、大変でしたと語り。
アナウンサーより精神年齢が高いんではないんだろうかと思わせる返しと微笑みに自分を叱咤激励した記憶があります。
若い頃の春馬くんは、舞台挨拶も少し退屈〜な時もあったように思います。
(もう帰りていし…と聞こえてきそうな。
年相応のふつうの男の子🤨)
年齢を重ねるにつれひとつひとつ言葉を選びながら、皆を見まわしながら、気遣いのスピーチ。
言霊
でもこの人は、どれだけの言葉に傷つけられ、泣いてきたんだろうとも勝手に思ったりしました。たくさん傷ついた経験がある人しかできない所作。
少し脱線します。わたしの前職の話しをします。誤解と疑問を生じる方がいらっしゃったら、申し訳ありません。
仕事の内容はこの記事しか触れません。
また、詳細は載せません。
私は医療職を経て、なんらかの障害を持たれてる方の福祉サービスに携わる仕事をしておりました。
その後、障害を持たれてる方への虐待やネグレクトに関わるポジションに移動しました。
(現在は退職してます)
※非常に難しい問題で、ご家族共に疲労困憊にてそういった状況に陥ってしますケースも多々あります。
ネグレクトだと認識できない方々もいらっしゃいます。
セルフネグレクトの方々もいらっしゃいます。
一括りに虐待です。ネグレクトです。と語れない難しさがあります。
(語弊があったら誠に申し訳ありません)
特に重度の障害を持たれて、大人達からのケアーが手薄い児童さんは、見放されると、一瞬で命をおとしかねません。
本能だと思います。私達大人に、とても綺麗な笑顔を見せてくれるのです。
媚びとか、好かれようとかでなく、命に関わるから…。
自分の命を守るために自然と湧き出るような笑顔。
天使の笑顔
私達支援者は、そう認識していました。
春馬くんの笑顔は、少しだけ天使たちの笑顔に似ていました。
(わたしの妄想ととらえてください)
私は、自分が親を選び、この人生を選んで生まれてくる論者でした。
そう考えてしまうと、私が出会った天使たちのこの人生への選択の意味がわからなくなります
書物を読み、自分でそれなりに納得させ、職場に向かうとまた迷路に迷い混み。
正直今でもわかりません。
春馬くんの旅立ちも似たような感覚があります。
ひとり若者のの生き様を見せてもらった。
と同時に、あの若かりし頃の、少し退屈そうな春馬くんをどこかに残してくれてたら良かったのにと思う。
春馬くんが、どうして旅立ったのか、私はあまり知りたくなくて、今は安らかであってほしい。それだけです。
真実は神のぞ知るでは、ないかと思ったりです。
ファンの想いは、様々であっていいと思います。知りたい方も多いでしょう。
大切な方を亡くされたら、そういう心境になります。
自分の心に納得いくまで自問自答されて、それもまた、自分が生きていくうえで必要なことかと…。
ファースト写真集の手記には…
とても大スキな先生がいて、ご家族亡くされててたと。卒業式のときに親より先に死ぬな!
自分で命を断つな!」と泣いて語ってくれた先生のこととその日の事は、僕は絶対に忘れないと17歳で書いてる。
春馬くんへ
作品見るたびに想い馳せらせる。
わたしには、そんな事しかできない…。
きっとどうにも出来ない事がたくさんあったんだね。
風で舞い散る桜を見て、また思い出してる。
今日の記事はわたしの勝手な思い、メモリーにさせてください。
春馬くんのファンで、もしこの記事を読んで気持ちを害してしまわれた方がいたら申し訳ありません。
私は、大したプロフィールがありません(涙)
ハルマイと名付けたのは、春馬くんへの想いから…でした。
以上です。
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