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武石弘三郎ー人物と作品
2か月ぶりです!
今日から再開します。
これからも小さなコレクションの紹介していきます。
ですが今回は、ゆいぽーとで行われている「二葉アーツスクール2023 めだかの学校」のレポートです。『武石弘三郎ー人物と作品』と題し、新潟出身の彫刻家武石弘三郎について、新潟県立近代美術館の学芸員、伊澤朋美さんによる講義がなされました。
ここ「ゆいぽーと」は、妻の出身校である旧二葉中学校が前身で、そこには武石弘三郎による1942(昭和17)年制作の「竹内式部像」が現在も設置してあります。
この像の見学も行いました。
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戦前の金属回収も敗戦時の銅像回収も免れ、隠すために土に埋められる等もされたこの像ですが、今はこの暗い木々合間に凛と座られています。
1メートル程しかない小さなサイズですが、威厳を感じまさせますね。
左手には日本書紀。
天皇に「尊王攘夷」を説いた人物であることを、昭和の戦時下で評するための銅像であり、つまりこういうカタチでの「戦争彫刻」と言えます。
その横には「紀元二千六百年 武石弘三郎作」と刻されています。
全国各地で行われた神武天皇即位紀元(皇紀)2600年の祝い行儀の一つとして、この銅像建立があったのだとわかります。
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紀元二千六百年は昭和15年。
この像の建立が昭和17年ですから、企画が15年だったのか、それとも必要な物資がなくて延期されたのか、どちらでしょうね?
それと、金属提出を免れるために土に埋めたというエピソードがあるのですが、それも変な話で、敗戦まで埋められていたというの事なのでしょうか?
像の正面に2か所、ボルトで留められているのですが、これは取り外した跡?
色々気になりますね!
あと、私の持つ小さな銅像ですが、やっぱり武石弘三郎じゃないかも!
https://prewar-sculptors.blogspot.com/2021/03/1918-kt.html