究極のビビリが左卵巣腫瘍を開腹手術した話 ④
先生との話を終えた後、術前検査の為
胸部レントゲン、心電図、血液検査を行いました。
ここまで来ると、何度もしてきた採血にはもうビビらなくなっていました。
もちろん、いくらなんだって、心電図も胸部レントゲンも怖くないですよ?
2月6日は、ご家族と一緒に手術の説明を聞きに来て下さい。との事で、6日の予約を取り長い長い病院の1日が終わりました。
気付けばもう日が暮れる前でした。
朝も不安で食欲がなく食べれず、昼はショックで食欲がなく食べれず…。
帰ってから何か夕飯を作る気にはとてもなれずスーパーでお惣菜を買って帰路に着きました。
今日が検査の結果が出る事、両親には報告していましたが、私はとても自分の口から説明出来る気がしなく、主人が私の母と義母に丁寧に説明の連絡をしてくれました。
もしかしたら、悪性かもしれないと言う物凄く大きな不安。手術への恐怖。生まれてから今日まで共に生きてきた左卵巣という臓器を失う悲しさや切なさ。色んな感情があり、眠れない夜を過ごしたり気付けば涙が出ていたり不安定な日々を過ごしていました。
あまり自分の事をペラペラ人に話したいタイプでない私は、家族以外には今回の件は話していませんでした。
ただ、親友1人にだけは、12月からの経緯をその都度伝えていました。
30日から数日経った眠れない夜に、今回の結果をLINEに打ち込みました。正直、私が逆の立場だったら何て声をかけたらいいか悩むと思いましたし、彼女にも悩ませてしまったら申し訳ないと思い躊躇していました。しかし、結果を心配してくれているでしょうし、迷惑覚悟で30日の出来事を報告しました。
翌日、返信のLINEには
〝第一に何よりも◯◯が生きることの為を優先して欲しい。この先だってまだまだ◯◯とやりたい事がいっぱいあるし、代わりがいない大事な人だから〟
それから文章の締めくくりには
『まだまだ人生共に生きましょう!』
という力強いメッセージが書かれていました。
私の気持ちに寄り添ってくれる数々の優しい言葉と共に送られて来たそのLINEを読みながら、彼女の笑ってる顔と泣いてる顔が思い浮かびました。
本当にありがとうと言う気持ちと、一緒に悲しい思いをさせてごめんね。という2つの気持ちでいっぱいでした。
辛い時に辛いと素直に言える人がいると言う事は、心が閉じかけた時に光になってくれるのだと改めて彼女の存在に感謝しました。
2月6日
この日は、手術の説明日。
いつもの担当医ではなく違う先生からの手術の説明でした。改めて左卵巣、卵管を摘出手術する事、麻酔は全身麻酔、硬膜外麻酔を使用する事、術式は開腹手術で行う事。
大まかにはこのような事が説明されました。
そしてそれを私自身が、この手術に対して、納得、理解出来ているかをしっかり確かめられ、手術の同意書にサインをしました。
その後は、入院の説明等を聞きました。アレルギーなどの確認や当日の持ち物等の説明を聞きその日の病院はあっという間に終了となりました。
手術日は2月15日ですが、入院の日は前日の2月14日になりました。
入院まで1週間。
慌ただしく入院に必要な物を準備し、手術、入院にむけて1番忘れてはならない心の準備を始めるのでした。
病院の冊子の持ち物には
診察券 保険証 着替え 下着類 タオル類
マスク 洗面用具 ティッシュペーパー 履き物(かかとのある履きやすいもの) イヤホン
ナプキン
こんなところでした。
バスタオル1枚とフェイスタオル1枚と病院着
このセットで1日200円でレンタル出来るという事で、こちらのセットはレンタルでお願いすることにしました。
パンツは術後、ゴムの部分が傷口に当たると痛いとの事で大きめのおへその上までスッポリ隠れるタイプのパンツがいいとの事。
病院着の下にはタンクトップやキャミソール等を着るのが良いとの事。
その他に持って行ったものとしては、ドライヤー、ヘアアイロン(癖毛の為ドライヤーだけではとんでもない髪型になる為)、くし、シャンプーリンスボディーソープ、基礎化粧品、携帯充電器(コードは2.5メートルの長いものを購入しました)、ワイヤレスイヤホン、綿棒、耳かき(使わなかった)、ビオレのサラサラパウダーシート(大活躍)、本、等を準備しました。
2.3日に分けて、必要な物の買い物に行き少しずつ準備を進めて行きました。
この一週間は、なるべく何かに集中してる時間がある方が、怖い事を考えなくていいので
少し時間のかかる料理を作るようにしたり、お散歩に出掛けたり、普段掃除しない所を徹底的に掃除したりと過ごしていました。ただ、ふとした時に不安になったり、夜眠れなかったりは続きました。
義母と義父もたくさん心配して下さり、2人に買い物に誘われ何でも好きな買いな!と高めのお肉やらイチゴやら鰻やら、普段は高いから辞めとくか!と思うような物を存分に買って頂いたり、お高いお寿司をご馳走になったりと、何ともお誕生日のような事をたっぷりして頂きました。
孫の顔見せてあげれなくてごめんね。といつも申し訳なく2人には思っていますが、子供に関しての嫌味のような事は結婚して一度も言われた事はないし、今回の病気が分かった際にも、「私たちは◯◯が嫁いつで来てくれた事が何よりも嬉しいし、◯◯の事は娘だと思ってる。◯◯が元気で居てくれれば後は何も求めないよ」と本当に温かい言葉を頂きました。
義姉からは、神社の絵馬(わざわざ祈願に行って頂いたよう)と手作りのクッキー、〝皆んなついてるからね〟と言う、短いが世界で一番優しいんじゃないかと感じるメッセージカードを頂きました。
普段実の兄とも私は仲が良い。ただ、何でも相談する。と言う仲の良さでなく、友達のようにバカみたいにふざけあい笑い合うような仲の良さのため、あまり真剣な話はしません。
そんな兄からも「不安だね。でも全て上手く行く事を信じてる。絶対大丈夫」とふざけたLINEではないエールも届きました。(いや、ケツのイボの手術のアドバイスなら出来るんだけど…。とかも書いてあったから、やっぱりふざけてはいた)
ただ母からも電話でお兄ちゃんが心配してるよと聞かされました。
父と母ももちろん全力で心配し、マメにラインや電話をくれ、たくさん優しい言葉をかけてくれました。
また、「手術の日でもいいし、無事に終わってからでも一緒にいて欲しい時に会いに行くからね」と話してくれていました。(私の実家は関東、主人の実家は東北の為、私は遠方に嫁ぎました)
改めて、周りに支えて貰って生きている事、物凄く人に恵まれている事を実感し、何より家族のありがたみに感謝しました。
もちろん、誰よりも側で支えてくれた主人には感謝しかありません。
入院までの間、お腹を開いて卵巣を取り出すなんてやっぱ怖すぎる…全身麻酔して目覚めなかったらどうしよ…先生失敗としないよね…お腹切って見てみたらとんでもない悪性腫瘍だったらどうしよ…。考えなくていい悪い事を考えて泣いてみたり、
あぁ、私の卵巣ちゃん今までありがとね。たくさん動いてくれてありがとね。さよならか…
と、寂しさや切なさを感じて泣いてみたり、
時には、私って可哀想すぎる。と変な勘違いを起こし、何かをして欲しい時や思い通りにならない事があると「じゃぁ手術受けるのやめるっ」と主人を脅し(冗談半分ですよ)ワガママを言ってみたりしました。
そんな私を、その都度優しく包み込んでくれ、時には寒い夜でも「外の空気でも吸いに行こうか」と仕事で疲れているのに気分転換に連れて行ってくれたり、どんな理不尽なワガママでも「いいよ」と聞いてくれたり、何よりも隣でいつも励ましてくれていました。
きっと、主人も不安は感じていたはずなのに私には一切見せず、「大丈夫だよ」と一貫してプラス思考でいてくれた事本当に感謝しています。
こうして主人や親友、家族に支えられ、究極のビビリの入院の日はやってくるのでした。
続く