
幸福論
落ち着かないひと月でした。
最近は自分の幸福について考えている。
「人は年を重ねるほど幸福感が増すというデータがあり、辛い経験があった人はその傾向が強い」
というのを何かで読んだ。
40歳くらいまで「自分の人生を自分で充実させる」才能に欠けていた。
さかのぼると小中高校と一貫して何もかもやる気がなかった。
学校も隙あらば休みたかったし、欠席も多く、不登校一歩手前。
他人とのコミュニケーションの方法もよくわからず友達もできなかった。いつも楽しくなくて、体もだるくて眠い。
「早く祖母のように毎日家にいる老人になりたい」
と、わりに本気で思っていた。家にいて漫画本を読んだり寝ているのが好きだった。
現代の精神医学なら何かしら病名がついて、それなりの対処法があるのかもしれないが、当時は単なる怠け者としかとらえられていなかったので、両親も感情に任せて𠮟りつけるだけだったし、出来の悪い娘に困惑以外の感情はなかっただろうと思う。
かといって両親がすべて悪いとも思えない。
例えば母が仕事人間ではなく子育てに熱心で優しい母だったとしても、父がちゃぶ台を突然ひっくり返したり、怒りに任せてそろばんをへし折ったりするような人ではなかったとしても、私の精神状態はたいして変わらなかったのではないだろうか。
当時、私のことをどうにかできる人なんていなかったと思う。
社会に出て働くようになってからも、仕事の楽しさをみつけることはできても「家にいたい、休みたい」から解放されることはなかった。いつも辛いと感じていた。どうしたら休めるかを考えるのが癖になっていた。
20代で結婚と出産をし、専業主婦の道を選んだ。ようやく自分の居場所がみつかったような気がした。娘を授かりこの上なく嬉しかった。
母にしてもらいたかったことは全部この子にしてあげようと思ったし、実際そうした。
相変わらず体調は常に不安定でいつも疲れていたけれど。
30代に入ってすぐに家を建て、引っ越して間もなく不眠とパニック発作が起きるようになり精神科を受診。軽い鬱病と診断された。
私の場合、薬はあまり効かなかったが、番犬になればと飼い始めた犬を365日、毎朝6時から散歩に連れて行くようになると夜も眠れるようになり、体力がつくにつれ、生まれて初めてといってもいいくらい常に前向きな自分がじわじわと現れてきた。
今思うとこれが転機だった。冗談抜きで犬のおかげ。
ちゃんと働けるかもしれない、と自分に期待できるようになっていた。
本格的に社会復帰を果たしたのは37歳のとき。不思議なことに、このころから自分の体調に興味がなくなり、むしろ自分なんてどうなってもいいと考えるようになっていた。この考え方は催眠術にかかった様に10年ほど続いた。
入社した会社はかなりのブラックで周りの人たちがバタバタ辞めていったが、催眠術にかかっていた私は「いや、まだやれる」と謎のファイト脳が形成されていたため、人事移動で続けることが不可能と判断して退職するまで解けることはなかった。
でもよくがんばった私。
書くことさえ憚られるほど最低のブラック企業だったが、お給料を毎月もらえることはありがたかったし、実際家計は助かったので、それまで働くことすら難しかった私にとってはいい経験だった。
働くことに対して自信が持てるようになり、なんとか今度は好きを仕事にしたい、と考えるようになった。
年も年だし、そんなに都合よく見つかるはずがないと思っていたのだけれど、驚くべきことに雇ってもらえるところがすぐにみつかり、退職2週間後には内定をもらうことができた。
自分の専門を再び生かせる仕事に就くことができ、ほぼ理想の働き方ができている。遅ればせ40代は仕事に関する様々な勉強をしたことも役に立っている。なにをいつ始めても遅いということはない。これは本当。
50代にしてようやく自分のやっていることや生活を愛せるようになった。日々、ふとした瞬間に幸福を感じる。
好きな服を着る、食べたいものを食べる、読みたい本を読む、家を清潔に保つ。お気に入りのインテリアで居心地のいい空間をつくる、たまに旅行をする。自分や家族が健康でいる。
働ける場所がある。
これが私にとっての幸福。
自分の人生は自分でなんとかするしかないのだと気がつくまで、悔しいくらいに長い時間がかかった。
30数年もの長い長い間、暗いトンネルの中みたいな、日のささない鬱鬱とした世界にいた。
ひとりでトンネルに入って、ひとりで出た。
そこからもっと早く抜け出すことはできたのだろうか。
抜け出した先に別の世界があることも想像できなかった。
同じような人がいたらなんて声をかけたらいいのだろう。
答えは出ないけれど、これからも幸せな日々が続くように、少しの努力をしていきたいと思う。