生きることを少し楽に、少し楽しくしてくれるものたち
「生きることを少し楽に、少し楽しくしてくれるものたち」
それが、わたしにとっての「好きなもの」
今、わたしは自分が好きなもので、プロフェッショナルな領域に話せたり、表現できたりするものはない。
極みの境地にも、たどりつけない。
だけど、好きだと感じるものは、たしかにある。
音楽が好き。
でも、あらゆるジャンルを網羅したり、どんなバンドもどんな楽曲も垣根なく好きになれることはない。
好きな曲が一曲だけあるアーティストや、全てが好きなアーティストがいたり。ライブに行く時間を楽しんでいることが、私が「音楽を好き」という時だ。
今だったら Nat King Coleの"The Christmas Song" (1961)が好き。
続けてこれを聴くとおだやかに、幸せな気分になる。心地よい。
"Joy to the world"
でも、私はNat King Coleについては、何も語れない。
Wikipediaで調べて、1919年に生まれて45歳で亡くなった、アメリカのジャズピアニスト・歌手であること。最大のヒット曲は、L-O-V-Eってことを知る。
あ、これ好きだな、すてきだな、と心が少し動くものに、少し触れていくのが、自分の「好き」との付き合い方なのかもしれない。
ずっと、「詳しくないこと」に対して、私はすごくコンプレックスを抱いていて、好きだということをためらったり、「全然知らないんですけど」と前置きをしてから話し始める癖があった。
好きなら深堀りしていくべきなのだろうか?
好きなものをもっと知りたいと思わないのは、さほど好きではないのだろうか?
と悩み続けたし、悩めば悩むほど、自分の好きは薄くなって遠くなっていくように感じられた。
世の中には、というか、ネットを覗けば「しっかりした好き」が溢れているように見える。
私は誰かの好きに触れた時、「あぁその好きの気持ち素敵だな」と感じると同時に、「そんなふうに好きを表現できるっていいな」と感じる。共感と嫉妬が共存するのは、けっこう面倒くさい。
いっそ、自分の「好き」など考えなければいいのかもしれないが、
「好き」は確かにわたしの中に存在しているし、少しばかり表現することに興味を持ったりして、「この好きをいかに昇華するべきか」と考えてしまう。
自分の好きを表現しようとすれば、上手くできないと悩み。
自分の好きを放っておこうとすると、自分の好きを大事にしたいと悩む。
悩みきった結果なのかはわからないけど、
私にとって「好き」なものは、生きることを少し楽に、少し楽しくしてくれるものたちなんだと、頭をよぎった。
漫画や本や音楽が好きだから、乗り越えることが出来た時間や出来事がある。
漫画を読み、本を読み、音楽を聴く時間があるから、一人の時間も楽しく、誰かと話す時間が楽しく、新しい作品を待つ時間が楽しい。
泣いたり笑ったり、怒ったり感動したり。
私が好きなものは、私の人生の全てではないけれど、ないと寂しく、ないとちょっと不安になるものだ。
「詳しくはないんだけどね」という前書きはなしにして、
この音楽が素敵だよ。
この本が面白かったよ。
この漫画にとても感動したよ。
自分がそれを好きだから感じたられたことを、言葉にしていくことが、
私の「好き」の表現なのかもしれない。
深く深く好きなものに潜っていく人。
好きなものを傍に置きながら、日々を過ごす人。
「好き」の違いは、そんなもんなのかもしれない。