ぼくの言葉、あなたの言葉
写真家の展示を見ながら、写真よりも言葉に心が惹かれてしまう。
写真を見るセンスがないわたしだけど、幡野さんが大切にしてきた言葉を、ぎゅっと噛み締めていた。
鏡に向かい合うような空間。
ことばとむきあっているのは、わたしだろうか?
幡野さんのことばは、やさしい。
でも、寄り添うやさしとは違う。
少し突き放されたような感覚がある。
でも、なぜかわからないけど、それが幡野さんとの距離なんだと感じる。
叱られているわけでも、諭されるわけでもない。
教えられるわけでもない。
「これは、ぼくの言葉で、ぼくの考えだよ」と。
「あなたはあなたの言葉で、あなたの考えを持てばいい」と言われているように感じた。
胸に響くとかいう表現が似合わなくて。
立ち止まって、ひとことずつを眺めながら、ことばの景色を想像するというか。
幡野さんを、特別な人、というフィルターで見ているからだろうか?
でも、人は必ず死ぬんだよね。
自分がいつ、死ぬのかを、知らないまま生きているけれど。
死を知っている人、として、自分が幡野さんを見ているからだろうか。
自分の死を知らぬまま、人の死を知り、勝手に想像するのは、不躾なことのようにも思える。
わたしは、生と死を分けて考えてしまう。
というより、生も死も、リアルではない。
生きているのが、あたりまえすぎて。
幡野さんの言葉に立ち止まり、背中を押されて歩き出す。
今日は、そんな冬の日の日曜日だ。
朝の光が 待てなくて 眠れない夜もあった
朝の光が 待てなくて 間違った事もやった
僕が生まれた所が世界の片隅なのか
誰の上にだって お日様は昇るんだ
川の流れの激しさに 足元がふるえている
燃える炎の厳しさに 足元がふるえている
僕が今見ているのが世界の片隅なのか
いくら捜したって そんな所はない
うまくいかない時 死にたい時もある
世界のまん中で生きてゆくためには
生きるという事に 命をかけてみたい
歴史が始まる前 人はケダモノだった
〈世界の真ん中/THE BLUE HEARTS〉
ありがとうございます。ロックンロールと生クリームとマンガと物語に使いながら、自分の中のことばを探っていきまます。