母校がなくなった。
先月、母校が廃校となった。
懐かしさとともに、一人で抱えていたさみしさも蘇ってくる場所。
母校の景色と共にそうした感情を思い出すことも少なくなかった。
好きだと言いたいけれど、はっきりと好きだとは言えない場所。
部活で走り回った体育館は、夏は暑く、冬は寒すぎた。
毎日やったストレッチは、今でもなんとなく覚えている。
文化祭でやった演劇。思ったより覚えている。
毎日運ばれてくる給食の匂いが好きだった。
でももうはっきり、給食らしい匂いは思い出せない。
友人はどんな声をしていたかな。どんな会話をしていただろう。
会話をした場所や季節の映像は残っているけれど、交わした言葉は覚えていない。
クラスメイトの顔や先生たちの顔、先輩・後輩の顔は思い出せるけれど、声までは再生できない。
校庭や廊下を走った足裏の感触も消えてしまった。
「このときははずかしかったな」「このときは大変だったな」。
そんなな感情と結びついた景色が、自分の中にいくつも残っていることが意外だった。忘れてしまうだろうと思っていたけれど。
写真みたいに一瞬を切り取った絵が浮かぶことも多くて、友達の声は再生できない。
運動会で流した曲や文化祭で歌った曲なんかは、再生できてしまうんだよね。
同級生とはすっかり疎遠になっているから、今はもう思い出を共有できる人はいない。学生時代の記憶が増えることはないだろう。
今覚えているものが全て。それも少しずつ減っていくのだろうな。
去年の夏頃、新しいLINEグループに突然招待された。
20年以上会っていない、同級生の名前がずらりと並んだグループだった。
自分の名前がそこにあるのが、なんだか少しむずがゆい。地元との関わりを持たずにいたはずなのに。いったいだれにLINEを教えていただろう。
不思議に思いながらも懐かしい名前を眺めていた。
「学校がなくなるはさみしいね」と投稿があった。
「さみしいよね」と応える人がいた。
「さみしい」
その感情が自分にあるだろうか、と問うてみたけれど、「今までよく存続していたなぁ」と感心する気持ちのほうが大きかった。
過疎地域の学校なので、生徒数は減り続けてる一方。ここ最近は10人にも満たなかったと両親から聞いていた。部活さえまともにできなかったのではないだろうか。今までよく統廃合せずにやってきたよなぁ。学校生活の充実度をどう測るのかはわからないけれど、地域格差は確実に存在するんだよな。というのは、自分が通っていた頃から感じていたことだ。選択肢が圧倒的に少ない。
しばらくLINEグループは静かなままだった。
先日、閉校記念式典が開かれ、参加した同級生から写真が届いた。
当時と変わらない学校のたたずまいに、案外、懐かしさを覚えた。
学校がなくなることに「さみしいなあ」と感じていた。
でも、どうにもできないことだし、どうする気もない出来事であるという冷めた気持ちもあった。
今日、私は母校のことを考えた。
あの頃の自分の感情を考えた。
母校を取り巻く環境を考えた。
考えたけど、わからなかった。この感情が、なににひたっているものなのかも判断がつかなかった。だって今まで、母校のことなんて考えてこなかったもの。時折思い出したとしても、それはもう過去の自分のことだけだから。現在の過疎地域のことも学習格差も、私には関係のないことになっていたから。
同級生と繋がりを復活するいい機会じゃないか! と思う人もいるだろう。でも、私は、写真の投稿が落ち着いた頃に、そっとグループを退会した。話したいような話したくないような、どっちにも振り切れない気持ちの悪さを断ち切るように、消した。
母校の廃校がなければ、繋がらなかったLINE。母校はもう、ない。
懐かしい場所だけど、あそこは私にとって居心地のいい場所ではなかった。うまくやれなかった自分、勇気の足りなかった自分。あの頃のそんな自分と決別したい気持ちが、とても強かった。だから、繋がりはないほうがいいや、という気持ち。だいぶと時間が経ったけれど、その気持ちは薄れないものだと、ちょっと驚いてはいる。こだわりすぎなのだろうか。
先月、母校がなくなった。
ただそれだけで終えてもいい気もしている。
母校がなくなることは珍しいことではなさそうだし、廃校のお知らせが来なければ、懐かしく思うこともなかったのだから。
母校という存在が消える。
その影響を私はどれだけ受けるのだろうか。
学生時代の記憶と感情は、この先どこにとどまるのだろう。