楽しいを借りて楽しむ
今日は、BOOK LAB TOKYO さん(以下BLT)に、コルクラボの「棚」をつくりにうかがったのです。
BLTは、コルクラボの定例会の会場としてもお世話になっているのだけど、12月には、コルクラボ本フェアも開催させていただいていました。
佐渡島さんやコルクラボのメンバーが選書をして、POPを作って陳列するという作業をやっているのを見て、いいな~と思っていました(この時は未参加)
いつでも参加してよかったし、手伝いにいけばよかったのにね。「もう人が足りている」みたいな感覚だったり。ラボ本制作に関わった自分はここに関わらない方がいいって、なんでか思った。なんでだろう。
コルクラボの本「居心地の1丁目1番地」がどう読まれるのか、不安だったからというのも大きい。手に取ってもらいたい、でも期待を裏切ったらどうしようっていう思いが、このフェアの開催時はとても大きかったなぁと思いだした。
BLTでこの場所を見た時は、すごいな~って、感動してた。
で、今回のコルクラボの棚をつくる企画は、気になりつつも、MTGも逃して、選書もしきれず、お手伝いすることもないまま、棚づくりの当日にだけ、お邪魔したわけです。
本につけるPOPをカッターで切るという役割しかできなかったけど、綺麗に並んだ棚を見て、あぁ、今度はここにちゃんと関わってみたいなって思った。
それは、本屋さんで働いてみたいと思っていたことを思い出したから。好きのおすそわけを実践してみたいと思ったから。一緒につくるって楽しいと思えたから。
一緒に作業をしていた、こもや、きゅーたろーや、あんどぅーや、あこたんや、すないぱーの楽しいなぁ~っていう空気があったからだと思う。
自分が感じる、楽しいとかおもしろいに、ちょっと鈍感になっている時は、誰かのおもしろや楽しいにのっかってしまうのもいいよね。
楽しいを借りて、楽しんでしまえばいいんだ。
自分のやりたいこととか好きなこととか、考えないと浮かんでこない時もあるよね。うん、そんなときもある、と、ちょっと手放してみる。
あぁ楽しそうだな、仲間にいれてって声をかけるのも、ちょっと勇気がいる。ちょっとだけ勇気をだしてみる。
あぁ、たのしかった。
そう思って、またね、っていえる時間を、ちょっとずつ重ねていければ、幸せではないか。
なんて、サラッと書いてみたけど、実際はもう少しねっとりじっとりしているから、人生のあれこれを考えてしまうわけで。
私は自分の好きや興味を表現する温度が低い。
楽しい時も楽しい気持ちをセーブしている。
過剰な自意識と、自己卑下を認識している。認識しているから、それを手放せないことがいつも悔しい。
ガハハと笑って、楽しいに浸りたいんだ。
できることならば 何だってできる
なれるものならば 何にでもなれる
説明ならできないけど
ある日急にわかることがある
夏の朝にキャッチボールを
寝ぼけたままナチュラルハイで
幸せになるのには別に誰の許可もいらない
真面目なふりして つまらないことで
悩んだふりする たまにゃおもしろい
なんだかんだ 気分次第
自由になら一秒でなれる
宇宙史上 最高の時
幸せになるのには別に誰の許可もいらない
<夏の朝にキャッチボールを/THE HIGH-LOWS>
BLTで素敵な1冊との出会いがありますように。
ありがとうございます。ロックンロールと生クリームとマンガと物語に使いながら、自分の中のことばを探っていきまます。