万延元年四月一日 明け方に起きると霧雨でうんざり、晴れの日には犬飼から鶴崎まで舟で行けると聞いていたのです。しかし川沿いを歩いていると小舟があり、鶴崎に行く官舟だと言うので「躍然、同舟を乞うて許しを得た」舟は時に緩やかな、時に山間の速い流れを曲がり下って行きます。昼には「不潔な菜汁」が出されました。
舟底に臥して寝ていると、舟子の「鶴崎に着いたぞ」と呼ぶ声で驚いて目を覚ましました。周囲は開けた平野で、瓦屋根や白壁の町や麦畑が見えます。舟を下り、佐賀関までの三里を「奮然」と進んで行くと、海水で満たされた湾に岬が突き出ているのが目に入りました。到着して宿を取り、薄暮の街を「隅兄(隅田敬治)」と散歩すると白粉にかんざしの女性が何人もいました。
宿に戻って酒を頼み、「当地第一等の名妓」たちを呼んで「且つ歌い且つ酌をして」楽しみました。夜中を過ぎて寝ることになり、弥太郎は先に二十一、二歳の美女を指名したので、隅田が「不興の色を顕した」「閨の中での情味は問わずとも知られる」
二日 障子がかすかに白む頃、下婢が来て舟が出ようとしていると告げたので、急遽起き出した。飯を食べることもできない。少なからず恋々とする気持ちを割愛した。佐賀関を発すると、海水は油のようで微風不動。
普段は「海(の波)が険しく暴風」の豊後水道ですが、この日は「不動」で、弥太郎は「座して」豊後の山々を眺めます。舟は夜中に|八幡浜《やわたはま》(愛媛県東部)に到着しました。いくつか旅舎の戸を叩きましたが、開けてくれません。それでも一軒の宿で温かいお茶と食事を供され、町の公会所に布団を敷いてもらって休みました。夜明け、ホトトギスの無く声が枕元に響きました。