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性欲に対して正直に向き合う 第一部




はじめに

ポルノ禁をしてきて一か月、正しい性欲のあり方を見つけたような気がします。
 そしてすごく性欲が高まってきています。ポルノを見たいという欲とは全然違うもので、体の内側からエネルギーが湧き上がってくるようなダイナミックな力強さに溢れた性欲!本当にいい充足感!ポルノ禁はすべきです!
 あとなにより性欲について皆さんと話したいという欲もすごい高まっている。その思いが昂じて、今回の記事は自身の性欲に対する考えの変遷について書きます!

 まず初めに、性欲は心と密接なものだということを念頭に置いてもらいたいです。心に不調きたしていたり自分の思いに制限をしている場合、満足な性欲というのが追及できないだろうなというのが私の考えです。

 ただ単に気持ちよかった!こうすれば感度が高まる!といった身体の気持ちよさを言及するだけの記事ではないです。自分の性欲に向き合うにあたって、その変遷と当時どのような心の状況だったかということに重点を置いて書いていきたいと思います。

 この記事に刺激的なエロ体験を望んでいる人、ごめんなさい。そんなつもりで書いているんじゃないです。夜のお供になるような内容では全くないです。あらかじめそこだけ理解してください。

 私自身、性欲について本気で論じるのは初めてです。なんならこれまで性欲について話さないようにしてきました。そんな男がどうしてこんな記事を書くまでになったのかを長い時間軸の物語でお伝えしたいと思います!

1,小学生時代



 初恋は低学年のころでした。小学校1~3年間同じクラスだった女の子で、当時は好きとかわからなかったけど一緒にいて楽しいなというのはありました。同じクラスで物理的な距離が近かったというのもあるでしょう。相手の女の子もすごく楽しそうにしていて、両想いだったと思います。
 今思えばそれは恋愛につながる想いの芽だったのでしょう。ただそれが恋だとか認識するには早すぎた。

 ただしその子と小4~6年は一度もクラスが同じになりませんでした。そしてこの時期は異性という実感がわいてきます。これまで一緒にいて楽しかったという感情に加えて恥ずかしさを覚えてきます。ただでさえ会う機会が減ったのに見かけても声をかけることがなくなったから、自然消滅みたいな感じになってしまいました。

 高学年になると、だんだん周りのみんなも性に対する興味が高まってきていました。ただ私自身、性の目覚めというか、自覚というのは全然早い方ではなかったと思います。

 ちょうど同時期、クラブ活動が始まってそっちに尽力していました。あるスポーツなんですけど競技名は伏せます(明らかにすると多分身バレする)。けっこう活躍もしていてひたむきに打ち込むスポーツ少年でした。あとは家に帰って友達とネット通信でゲームをするといった生活でした。
 やりたいことがあったから、比較的性に対する関心が遅かったのかもしれません。

 すごく印象的に残っていることがあって、小5のころ、けっこう性に興味を持っている男の子と給食の席が隣だったんですね。二人とも食の好き嫌いが多いのでみんなが昼休みに外で遊んでいる中、教室でゆっくり食べていたんです。途中その子が「○○って言葉が頭から離れない」と小声で言い出したんです。よく聞こえないから耳を近づけると「ふぇらちお」と言っているんです。当時私はその単語のことを知らなくて「ふぇらちお!?ふぇらちおってなに?」って真剣にそれなりに大きい声で聞いてしまいました。幸い教室には全然人がいなく、変に空気が凍り付くこともなかったんですけど、その子めちゃくちゃ笑っていましたね。

 またこれも小5のころの話で、祖母の家に行った時です。うつ伏せの体勢でゲームをしていたんですけど、(目の前にあるものを取ろうとしていたのかな?)何かのはずみで床に身体を密着させたまま前後に動いたんですね。そうすると股間に衝撃がいくじゃないですか!なんかこれ気持ちいいなと思いながら体を前後にさすっていきました。その直後に母親がリビングにやってきて、「何やっているの!」と言われました。「なんかこうやるとね、気持ちいいの!」と返答し、「やめなさい!」と怒られましたね。多分母親はもう覚えていないでしょうが、その時どう思っていたんでしょうね(笑)。そしてもし母親が来なかったら、自分の性癖はいびつなものになっていたのかもしれない(笑)。(幸い、悪影響はありませんでした!)

 小6になると、自分の学年の間で告白ラッシュがおこりました。○○が△△に告ったらしいよ!そんな噂が日々飛び交っていました。自分もいつかと期待していた側面もありましたが、悲しいことに誰からもエールをもらえませんでした。

 ただブームが終焉してしばらく、一人の女の子から熱視線を浴びました。同じクラスになったことはないけれど、私のことをかっこいいかっこいいと友達に言っていた女の子でした。休み時間の教室移動の際、その子のグループとすれ違うと、本人は目線を下に下げてモジモジした風になり、周囲の子は本人に茶々を入れたりしていましたね。

 さすがに自分でも好意をもたれているなと気づきました。けれど全然関りないし、どういう子なのか全くわからなかったからどうしていいのかわかりませんでした。後日グループの女の子から「本人のこと好きなの?嫌いなの?」と問い詰められましたが、正直その子について考えたことがなかったので、「普通」と回答しました。(その後、「こんなにみしまくんのこと思っているのに普通ってなに!?」って怒られましたけど)。

 当時の心境として、告白されて嬉しかったというよりも、変にはやし立てられるのが嫌だなあと感じたのが印象に残っています。異性として女の子を扱うのがどういうことかが全く分かりませんでした。告白されて一人の人格が褒められるのが嬉しいと密かに思っていたのですが、そこには恋愛的なもの、性欲的なものは介在していなかったように感じます。

 もっとも小4のころ、初めて同じにクラスになった女の子に対してこんな美人の子が同学年にいたんだ!と感じたのは覚えています(実際美人でした)。その子のいるグループは華があるな感じたりもしました。女の子に対して、かわいいな、いいなと抱くことはありましたが、それは初恋のときの感覚に毛が生えたようなもので、異性と向き合うほどまでは発達していなかったのだと思います。

 ちなみにその美人の子は性に比較的興味のある子といい感じになっていました。まだ小6だったのでセックスしたいといった欲はなかったと思いますが、一緒にいたいという感覚を言葉にも態度にも表しているような子でした。いわゆる猛アピールですね。今これ書いてて、スキを前面に出すのって大事なんだなと思いました。

 その美人の子もスキアピールされて嬉しそうだったのは印象的ですね。学年の公認カップルみたいなものでした。けれど私は女の子からスキされても嬉しいとは思わなかった。なぜならそこまで性が発達していなかったから。

 告白ブームの影響は初恋の女の子にも影響を及ぼしていました。別の男の子が初恋の子に告白をしたと聞いた時は衝撃が止まりませんでした。自分にはできなくて、この男の子にはできた…。そう思うと心が重くなってふさぎこむような感情になったのは覚えています。けれど私には結局できなかった。その子とは小学校しか同じにならなくて、気持ちを伝えずじまいになってしまいました。

 異性との関わりってなんだろう。想いを伝えるってなんだろう。初恋の子を想う未知の感情の前に、私は何もできませんでした。後に締め付けられるような後悔がじわじわと大きくなっていくのですが、小学校卒業時点、そして中学1年の段階ではまだ感じ取ることができませんでした。

2,中学生-1

 一学年の数も小学校と比べ物にならないほど大きく、どんな生活になるんだろうと期待感を膨らませていました。

 クラスの人数は40名程度、男女比は半々。教室の左側が男子、右側が女子でした。まずは自分の周りの机の子に挨拶して、だんだん遠い席のことも仲良くなってきて、そうした雰囲気に4月の教室は包まれていました。

 中学に進学したタイミングでスマホを持ちLINEをインストールしました。ネット通信でゲームをやるといったみたいに、空間的に離れている友達と交流することは小学校からしてきました。でも彼らはゲームすることが好きで、学校でもよく話していたので日々の延長線みたいな認識でした。ただLINEのようにクラスメイトとスマホ上でやりとりするのは初めてでした。

 一月ほどして気付いたことがあって、うちのクラスは男女が全然話さないんです。教室の真ん中に恥じらいを軸とした大きな壁が立っていたように思えます。女子に関して興味はあるけれど、それは男子の間で共有されるだけで実際に積極的に話しかけにいくことをする子はいませんでした。

 不思議だったのは、どうして実際に話すことがないのにみんなLINEでは活発に交流しているんだろうということです。4月段階でLINEを追加して顔合わせの挨拶をするのはわかるけど、その後の会話例えば「趣味はなに?」「どこ住んでいるの?」とかリアルの会話よりLINE上での会話の方が進行していたのは本当に不思議でした。

 クラスが一緒で物理的距離が近くても、クラスメイトに用件ってないですよね。用件があれば話しやすくなるんでしょうけど。雑談となると心理的なハ―ドルが高くなって。クラスにおける男女の交流はほとんどないまま時間は過ぎていきました。

 自分はこれ、一人一人が異性に免疫がないとかそういうのではないと思います。誰もが抱く異性への無意識的な恥じらいが教室の中に積もりに積もっていたのでしょう。クラスという空間の中で、異性に話しかける=恥ずかしいという共通認識ができていたのかもしれません。本当は話してみたいのに、この考え方に囚われてしまっている。自分の心に抗ってしまうほど影響を与える、人とのかかわりの中で生まれる社会的な性に直面していたのだと考えます。LINEはほかの人に見られないプライバシーが保障されている空間だから皆そっちで話していたのだと思います。

 自分もこの例にもれませんでした。クラスに小学校がおんなじ子がいて、6,7月頃にすごい垢ぬけたたんですよ。眼鏡をコンタクトに変えて髪型もばっさり切って。めちゃくちゃ可愛かったです。その子が教室に入ってきて衝撃を受けました。

 給食の時間その子が配膳をしていて、みそ汁のお椀を受け取るときに指が一瞬触れたんですね。心の中ではおっ!って思ったんですけど、それはおくびにも出さずありがとうとだけ伝えました。その子が別のところに行った後、触れた箇所がジンジン熱くなるのを感じました。

 湧きおこる胸の高まり。上がる心拍数。その時からその子に目が釘付けになりました。かわいいな、美人だな、想いが次から次へとあふれ出ていました。初恋を除く、初めて異性を求めた瞬間だったと思います。

 …高まる気分に生活が支配される中、この際想いを伝えてしまおう!とふと思い立ったのです。ただし私のクラスの状況は前にお伝えした通り、恥の壁があるのです。リアルで解消されない用件以外は、ほとんど全てLINEでやりとりが交わされるのです。それは多分恋心でさえも…。

 その子とLINEをするようになりました。小学校が同じでしたから送るのは簡単でした。クラスの○○がどうだ、その子の友達とどう?、部活忙しいの?とかそういう他愛のないもの。会話の引き出しなんてものはなく、とりあえずその子に関することばかりを尋ねていきました。

 やりとりすればするほど想いは加速していきました。指が触れた瞬間は胸の高まりが実感できるほど判断力はありましたが、この時期になると自分が舞い上がっていることさえ実感できていなかったと思います。無我夢中の領域です。そのくせ周りの男子にバレないようにしなくちゃと考える容量はありましたけど(笑)。リアルでもその子を見つめる頻度が高くなっていました。

 もうここまでくるとダメでした。ブレーキの壊れた機関車のごとく暴走していました。抑えるなんて脳はなくもうこの際伝えてしまおう、と思った瞬間にはスマホを片手にLINEを開きました。

 「スキ」とその子に送りました。何の脈絡もなく。

 お風呂から上がると返信が来ていました。「ん?本当に?」と。

 「そうだよ」と返すと、「ありがとね、けれどみしまのことは友達だと思ってる」、「なんならあんま話してないから友達かもわからない」と来ました。

 そりゃそうだ。けれど何か胸の重さがなくなるようなすっきりした思いになりました。何かに囚われていた自分の気持ちを「スキ」というメッセージ、つまり目に見える形として客観視できたのが大きいのだと思います。

 もちろん当時はこんな感じに言語化はできていないですよ。当時は伝えられて満足!、可愛いその子と交流をもてて満足だった!と感じたに過ぎないです。

 異性の経験がなく比較すべき自分の感情がない状態でしたからなにもわからない。ひとつだけ言えることがあるなら初恋の子に想いを伝えられなかった心残り。ああならないようにしようと言うのはわかっていた。だから気持ちを伝えた。

 心の発達は経験によって促進される。ひとつだけ過去の出来事から学んだんだ。けれど依然として未熟なままで、ただ自分の気持ちを少し前進させたにすぎず、相手の気持ちを考えるほどの発達には程遠い段階でしたけれど。


3,中学生-2


 中学生は自己形成を行う時期であり、それはアイデンティティの確立つまり自分を内側から見つめる視点と、他者との関係性の中で自分はどうあるべきかなどと外から自分を見つめる視点があります。

 社会が多くの人が集まる事と定義するならば、学校もまた一種の社会である。人との関わりに多くの時間を費やすから内側から自分を見つめなおすことが疎かになる。社会に染まってしまうとはこのような状態を指す。

 性もまた自己形成であるから、個人的なものと社会的なものがある。

 前者は体つき、ホルモンバランスの変化、陰毛が生えてくるなど身体的なものはもちろん、心の動きすなわちこの記事で書いているような内容である。

 後者を説明するにあたって、私たちは周りのものや環境に影響を受けている。周りの人がやっているからこれは正しいことであるなど、社会的習慣の刷り込みは大きい。他にもテレビ、スマホ、雑誌、漫画、ゲームに反映されている女性観、性欲に対する考え方は大きく影響される。特に中学生は、性に関する社会的な通念に敏感である。

 それらがどのように形成され人々に影を落としているのかは中学生には考えられない。目の前にある考え方を鵜呑みしそれが多くの人の間で共通認識、つまり大多数になった暁には集団のルール、暗黙の不文律となる。

 容姿礼賛、巨乳崇拝などの考え方は、生活のふとしたところに見受けられる。残酷な話になるが、男子学生同士で行われる顔の格付け、クラスメイトの大きさランキングなどが開催される(気分悪くされた方ほんとうにごめんなさい)。

 社会的な性は個人的な性にも大きな影響となる。性にまつわる出来事の比較が発生するのだ。一人一人異なる性体験に対して早さを求められるように錯覚してしまう。そしてそれは個人個人の焦りとして心に現れる。

 すこし長くなった。前説はここまでにして物語を再開しよう。

2学期になり、互いに仲良くなってくると性に関して話すようになった。もちろんこんな真面目に話すのではなくバカ話の一幕として。とは言え表立って言うことでないからコソコソと内輪になって声を潜めて。そのくせ周りに聞かせてやろうとちょっと声を大きくする子もいたりと、いわゆる全国で行われるであろうやりとりがここでもあった。

そして性に関して話題をにぎわしていたのは、オナニー経験と彼女の有無だった。

中学校1年の2学期の段階で、自分がオナニーについてどのような理解をしていたのはあまり覚えていないです。ただネットで調べてみると、「性器を刺激することで快感を得ること」、「テストステロンが減る」、「個人差はあるが中学生ごろから行われる」と出てきました。そんなもんかと漠然とした知識が頭に入るだけで、実感としてどういうものかはわかっていなかったと思います。

はじめてしたのは中1の1月でした。自分まだオナニーってしたことないな、周りと比べて遅いのかな、時間もあるしこの際やってみようと思い立ったのはすごく覚えています。

どうしてこの時期だったかはわからないです。
ただ中1のころ断片的に日記をつけていて、友達とオナニーについて話しているのを書いている日がありました。

11月25日
 みんなってオナニーしているのかな?男女ともに

11月26日
 昨日の続きになるけど……オナニーしている人いたーーーー。
 彼によると「一番最初のは覚えてないけど気持ちいいねー」だそうです。

今となっては全く覚えていないですけど、当時「自分はまだしていないな」という認識が無意識にあったのかもしれません。そして中1の1月に何かの拍子でオナニーに関して調べたところ、していないことを思い出したのかもしれません。

一連の行為をし終わって、意外とこんなもんかというのが最初の感想でした。
内側から込み上げてくる波を抑えきれず…というわけでなくて、とりあえず刺激を与えてみようというのが入口でしたからね。
高校の友達ともはじめてしたときの話をしたことがあるんですが、その子は「なんか出る出る出る出る!」と言っていました。
私の場合、高揚してきているのは実感していましたが、気持ちよさを覚えるか覚えないかの瞬間に終わってしまいましたから…(笑)。

学校生活を送っていると、誰と誰とが付き合っていて、誰が誰に好意を抱いているなどの話を聞きます。そうした噂はどこの集団でも広まるのは早いですよね。
自分が昔書いていた日記にもそういうことは書かれていました。その日の会話で聞いたカップルの名前をメモしたんでしょう。

やっぱり誰かが付き合っている話を聞くと、自分も相手がいればなあと今すごく思います。そうした思いは当時にもあったのでしょう。そうでなくちゃ日記に書かないとは思います。

そうした異性そのものと彼女のいる生活への興味は、日々の学校生活を通じて醸成されていきました。

中学1年が終わりに近づくころ、知り合いの知り合いである女の子にLINEをしてみました。その子とはリアルでは話したことはなかったけど、知り合いの近くによくいるので顔と名前はあらかじめ知っていました。見かける頻度が多かったから、どんな子か気になったのだと思います。

最初はびっくりされたけど、たわいない会話続けていくうちにお互いのことを知っていきました。私もやりとりが楽しいと感じていました。
話を続けるうちに、返信の頻度も多くなってきて自分への個人的な質問もけっこう多くなっていました。
私の部活の話に色々と反応をしてくれたり、体調不良になったときはものすごく心配をしてくれました。なんとなくですが、その子は自分とメッセージをしていてすごく楽しんでいるんだろうなと感じました。

このままやりとりを続けていればもしかして…

夢見た生活が近づいているのを感じた春だった。

〈第二部へ続く〉













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