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映画「ドナルド・トランプの創りかた」の感想

先日この映画を見てきました。
ゆるく感想を書いていきます。

  1. とにかく攻撃

  2. 非を認めない

  3. 勝利を主張し続ける

すごいねこの3つは。倫理的に考えたらこれはどうなのかと言いたくなるが、ただこうしないと勝てないのも事実であった。
そしてロイ・コーンとトランプは力があってどんどん勝利していく。やがて彼らが力を持つようになり、この三原則がやがて正しさとなった。

映画を見ていくとトランプがこの三原則を自然に使いこなしていくようになる。頭より口が先に動いているのではと思わせるぐらいに。

これを見ていて痛烈に感じたのは、億万長者のビジネスや政財界いうのは善や悪といった次元の世界ではないということでした。力あるものが勝ち、彼らが正義を想像するものだということだ。

トランプも最初は一介の若造にすぎず、ロイ・コーンについていくしかなかった。最初のシーンではロイ・コーンが下品な話や周りの男をあざ笑うかのジョークを連発していたが誰も反抗する者はいなかった。いや、できなかったというのが正しい。その場にいる全員がロイ・コーンがどのような人物かを知っていたからだ。

上記の三原則も普通の人が真似すべきものではない。モラル的にと言う意味ではなく、そもそも実践することが出来ないからだ。これらの内容は力を持つものによってのみ効力を発揮する。ロイ・コーンもトランプも勝利を重ね力を手にしていたからできたことなのだ。他人に有無を言わせない、自分の方法をそのまま正義に仕立て上げたのだ。

こうなると感覚は麻痺してくる。三原則を習得する前と後ではトランプは別人だ。結婚においてもそうだった。当初モデル業をしていたイヴァナに惚れたトランプは何度もデートに誘う。濃密なセックスを部屋で行い、情熱的なプロポーズで結婚する。
ただトランプが権力を手にし事業拡大のことで頭がいっぱいになると、イヴァナに対する気力が失せた。実際にもう魅力を感じないと口頭で伝え当初の愛はもはや存在しなくなった。
なんというか妻にも上記の三原則を発揮していた。公私の境がなく本当にトランプの生き方、三原則がトランプを支配したというのが最適だろう。

時が進むにつれて、トランプが力を手にするとロイ・コーンを邪険に扱うようになる。ロイ・コーンはエイズにかかり(彼は同性愛者だった)長らく寝込んでいた。彼の力が衰えるとトランプは連絡をよこさなくなり、ついには生活の頼みをも聞かなくなる。このシーンはとても哀れで、権力によってできた関係は、一旦権力が衰えると人々も離れていく。お金の切れ目は縁の切れ目とはよく言ったものだ。年取ったロイ・コーンは感情が表れていた。力を失って彼は人間に戻ったのだった。

ロイ・コーンの衰退に比例してトランプは飛ぶ鳥を落とす勢いだった。次は彼が人間をやめた。それは誰もが太刀打ちできないものであり、ついには彼が正義を創造するようになった。トランプタワーの完成、そのパーティには多くの人が参列する。まさに力が力を呼ぶ状況、資本主義の王者となった。

人間をやめて世界の覇権を得るか、はたまたそうした世界を知らないで死んでいくか、どっちが幸せなのだろうか。

もちろんこれは創作物だが、ここに描かれている世界は実在するのだろうと思いながら鑑賞していた。作中では裁判の勝利を記念して乱交パーティが開かれた。今のフジテレビや芸能界のことを思い出してしまった。恐らくあのきらびやかな世界も力を持つものが正義となるのだろう。タレントなどは力がなくひれ伏すしかない。

もちろん現代は、作中での1970年代とは違う。ホモセクシャルなだけでスキャンダルにも職を追われることはない。世論の動きは変わってきている。ただ各界、力のある者が覇権を意のままにしている構造は絶対に変わっていない。時代ごとのベールをまというまく溶け込んでいるのだろう。

自分の生活の中で何か大きな存在を感じずにはいられない作品だった。

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