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中学野球④:楽しむって、何だろう
中学野球部での、息子。
このチームでは不動のレギュラーであるが、最近は、キャッチャーがすっかり定位置になりつつある。
もともと正捕手だった2年生の主将がマウンドに上がる時、彼の剛球(というか、荒れ球)を捕れる子が他にいない、のが理由のようである。
まぁ、二塁送球はまだまだ難あるが、ファーストの経験で強烈な送球やショートバウンドを捕るのは得意だから、決して希望したわけではない本人も、まんざらでもないようである。
しかし。。相変わらず、対外試合では勝てない。
先日の隣の中学校との公式戦でも、いつもの通り大量失点の零封負け。。
確かに相手投手の球は速いし、コントロールもまとまっているから、そう簡単に打てない。息子も変化球に全く対応できず、3打数無安打、2三振。
チーム全体でも、ヒットはポテンヒット1本、出塁もたった3度くらい。
でも、目を覆いたくなるのは、何と言っても守備。
「捕る」「投げる」の基本動作が、とにかく雑。
ピッチャーはとにかく力み過ぎ、とんでもない高い球かワンバウンドの投球に加え、けん制悪送球も多く、バッテリーエラーでの失点ばかり。
内野手が何でもないゴロの処理ができなかったり、外野手が打球を後逸して単打を長打にしてしまったりする。
先日の練習試合では、満塁の場面でイージーなゴロを二塁手が緩慢に処理、まさかのセーフの判定に一塁手が呆然とする間に、三塁走者に続き二塁走者まで生還。。
まぁ、積極的なプレーを懸命にした結果でのエラーは、仕方ない。
でも、自らのミスや審判の判定にキレながら、とんでもない悪送球したり、気のないスイングで三振して、ヘラヘラした顔でベンチに帰ってきたり。。
せめて、こういうのは、もうやめようよ。。。
こんなプレーの連続でも、優しい監督さんは絶対に怒らない。
試合後の反省会でのコメントも、今日も課題がたくさん出たね、練習に活かして次は頑張ろう、くらいだそうだ。
息子の学童野球チームでは、子供たちがどんなに頑張っても決して褒めず説教ばかりの監督や、ガチの勝利至上主義で怒鳴り散らすコーチに辟易としたけれど、寧ろ逆に懐かしくなってきた。
まぁ、一番近くで子供たちを見ている監督さんは、私が思う程度のことは当然誰よりも痛感しているだろう。
それでも厳しく接しないのはきっと、コーチである以前に教師として、決して野球オンリーの生活ではない多感な中学生を相手にガミガミ言っても良くないと悟ってのことなのだろう、と思う。
試合を応援するパパ、ママからは「試合に勝てなくても、本人が楽しければいいじゃない」という声も聞こえる。
でもやっぱり、ちょっと待てよ、何か違ってはいないか?と思うのである。
勝つ方が負けるより「楽しい」に決まっている、と言いたいのではない。
もっと大きな意味で、スポーツをやっていて「楽しい」瞬間って何だろう、と思うのだ。
よほどの天才でない限り、頑張って練習をしても簡単には上達しないし、うまくいかない。
試合になれば緊張もするし、たとえ懸命にプレーしても、負けまいと臨んでくる相手に勝つのは容易ではない。
それでも、夢中になって努力するうちに突然何かひらめいて、試してみたらできなかったプレーが呆気なくできたりすることもある。
一度コツを掴んだら、まるで何かが憑依したように上手なプレーができて、「よっしゃ!」と手応えを感じるようになる。
そして、自分のプレーがうまくいかなくても、チームメイトが助けてくれた結果、試合に勝てたりもする。
和気藹々とした雰囲気でサクッとやって勝てるほどスポーツは甘くない。
ダサくても愚直にトライとエラーを繰り返す努力の先にこそ、見えてくるものがあるのだ。
そういう瞬間の実感こそが、まさにスポーツを本当の意味で「楽しむ」ことではないか、と思う。
「楽しむ」のと、「楽をする」のとでは、字は同じでも全く違うはず。
遊び感覚でやっている限り絶対に実感できない、必死になってがむしゃらに取り組む過程があるからこそ訪れる瞬間。それはまさにスポーツを本気でやる人にしかわからない感覚だと思う。
かく言う私は、子供の頃から筋金入りの運動音痴で、根性も無く、何をやっても下手クソだったから、偉そうなことを言える立場ではない。
中学ではバドミントン、高校では軟式テニスを部活動でやったが、試合で勝った記憶はほとんどない。
そんな私でさえも、運動部での活動の経験は、無駄だったとは全く思っていない。
それは他の誰にもわからない、小さいものだっただろうけれど、そういう瞬間は自分にも確かにあった、決してゼロではなかった。
だから子供たちには、スポーツには本気で取り組むことを通じて、この瞬間を一つでも多く味わってほしい。ただただそう思う。
今後の人生のあらゆる場面で、必ず、必ず意味があると思うから。