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【連載小説】恥知らず    第7話『木曜担当:ルミ』


チエの大イビキで目覚めた俺は、そそくさと着替えて出勤の準備をしていた。チエは大概、昼過ぎまで爆睡している。                            筋金入りで怠け者のチエは子供がいないのも相まって、専業主婦とは名ばかりの食っちゃ寝の怠惰なニート生活を送っていた。子供がいたら間違いなく育児放棄していたであろうと思うと、子供がいなくて幸いだったと思わずにはいられないのであった。                         
「ん……おはよう……台所に燃えるゴミあるから出しとってなぁ。」               ふいに目を覚ましたチエは、俺にゴミ出しを命ずると再び大イビキをかいて二度寝した。当然朝食は用意されている筈もなかった。                     酷い時には部屋、浴室、トイレの掃除までやらされる事もある。まるで訪問ヘルパー同様の扱いに苦言を呈したいところだが、その時は遠慮なく上乗せした報酬額を請求する事で精神の安定を保っている。                                    俺は神戸市指定の袋にまとめられた燃えるゴミを2つ抱えて、水野邸を後にした。

いつもの如く出社すると、いきなり営業部長から呼び出された。何事や?と妙な胸騒ぎがするのを抑えて部長との面談に臨んだ。                         「K医療センターの担当は君やな?」                                    「はい、そうですが、何か?」                      「先方から担当を替えてくれと連絡があった。何か思い当たる事あるか?」                                            寝耳に水であった。俺自身に特段の不手際などある筈もなく、顧客が不快に感じるような何かをやらかしたと言う覚えもないので、俺は胸を張って無実を主張した。今このドル箱の担当を外されると俺の営業成績に多大な損失が生じるので、担当替えは断固として回避すべきと俺は判断した。                        「いえ、何もありません。先方は何と仰ってるんですか?」                     小太りで脂ぎった顔面を有する部長は、むやみに汗をかきながら難儀やなぁと言いたげな表情を浮かべていたが、意を決したように以下の事を述べた。                                  「あのな、九条君が院内の看護師やら薬剤師やら事務員やら、手当たり次第に複数の女と不適切な関係にあるんでええ加減にせぇ言うてる。お前んとこの社員教育はどないなってんねん言うて怒り心頭なんよ。」                             俺は看護師長のケイコと関係しているが、ケイコ以外の女には手を出していない。複数の女は事実無根だ。何者かが俺を陥れようとしているのか?     「僕は本当に身に覚えがないです。信じて下さい。」                       俺は想定外の危機に内心かなり焦っていた。どないかして回避せな……     「まあ、俺は九条君の言い分を信じたい。九条君の担当になってから売上も上がったし、担当を替えるんは正直なところ不本意なんよ。せやけどあんだけ言われたら無視でけへんからなぁ……悪いけど前任の島袋君と交代してくれるか?」                                          よりによって波平と替えられるとは…受け入れ難い仕打ちに動揺を隠せずにはいられなかった。

俺は愕然とうなだれながら自分のデスクに戻って外回りの準備を始めた。そこへ背後から波平が歩み寄ってきた。                             「部長から聞いたやろ?近いうちに交代するから引き継ぎ資料作っとってな。」                                               心なしか波平の表情がニヤついてるように見えたので、俺は少々イラついていた。まさかあんたの差し金とちゃうやろな?と俺は知らず知らずのうちに波平に疑いの目を向けていた。                                 ビルの裏手の駐車場へ向かう途中の廊下で、俺は給湯室から出てきたユミに呼び止められた。                                                「フユヒコくん、元気ないね。なんかあった?」                       「ああ、K医療センターの担当外されてもうたわ…」                        「 うそやぁ!なんでぇ?フユヒコくんが売上伸ばしたのにい…」                 「俺が病院中の女に手ぇ出してる言うて、理不尽な言いがかり付けられとるらしい。意味わからんわ……」                                                               「えー、ほんまに覚えないの?やましい事してない?大丈夫?」               ユミは顔色を変えて俺に詰め寄ってきた。なんでお前まで疑うんや?               「あるわけないやろ。信じてくれよ、頼むわ……」                      我ながら実に情けないリアクションで、俺はその場を後にして外回りに出向いた。                                                    悪い事は続くもので、この日の俺はしょうもないチョンボをやらかしまくっていた。今まで順風満帆だったのが急に風向きが変わってきたように思われる。

外回りを終えて帰社すると、本日やらかしたチョンボの残務処理が待っていた。いつも定時で退社できるのに、何やってんだか…と自己嫌悪に陥ってしまったが、さっさと終わらせて帰ろうと気を取り直した。                   今日は木曜担当のシングルマザー・西川ルミとの密会を予定している。           日曜担当の大塚ミホ同様に幼少期から早熟で、尚且つ家庭環境も荒れていたルミは中学三年で当時の交際相手の子を身籠ってしまい、中学卒業と同時に入籍・出産した。しかし金遣いが荒く働かない上に息子を虐待する夫に悩まされたルミは18才で離婚。ところが逆上した夫から執拗に復縁を迫られる為、夜逃げ同然で幼い息子を連れて地元・豊岡から姉夫婦を頼る形で神戸に移住。昼は製麺工場で働き、夜は不定期のキャバクラ勤めで生計を立てていた。                                              たまたま来店したキャバクラで、派手な容姿が一際目立っており店で№2のルミを気に入った俺は、強引に口説き落として交際に発展し今に至っている。毎週木曜は姉夫婦が息子を預かって見てくれるので、木曜を密会日としているのだ。

俺が残務処理に追われていると、ルミからメールの着信があった。                   「何時頃になる?大事な話をしたいので、早めに来て下さい。」                       大事な話ってなんやろ?今日はろくでもない事が続いている故、何やら嫌な予感が脳内を駆け巡った。                                      やっとの事で残務処理を終えて、俺はルミとの待ち合わせ場所であるファミレスに赴いた。ルミは神妙な面持ちでパーラメントを吹かして待っていた。                                               「遅うなってゴメンな。だいぶん待たせてもうたなぁ。」                      金髪で濃いメイクがより一層派手な目鼻立ちを際立たせている、見るからに地方のヤンキー少女といった風貌のルミは、俺を見るなり唐突に衝撃の事実を打ち明けた。                                             

「妊娠しました。」                               は?んなわけないやろ。俺はいつ如何なる時でも、相手が誰であろうと避妊だけは確実に行っていた。間違いない。故に俺は到底納得いかなかった。しかしルミは一方的に俺の種やと言い張って譲らなかった。                         「ほな、誰のや言うねん?おかしな事言わんとって。責任取ってもらうで、マジで。」                                            俺は史上最悪の危機的状況を迎える事となった。こうなったらあらゆる手段を高じてでも、この状況を打破せねばならぬ。                        「ほんまに妊娠か?遅れてるだけちゃうんか?」                        俺の反論にすかさず反応したルミの表情は、般若の如く静かに怒りを滲ませていた。苦労人のルミを本気でキレさせたら後々面倒な事になるとは、この時はさほど意識していなかった。                                「あのな、なんぼ避妊したかて確実やないで。それにあんたとしかやってへんしな。」                                          「いやいや、ちょっと待てよ。DNA鑑定しようや、な。」                     俺が苦し紛れに投じた逃げの一手は、最悪の結果を招く失言となった。                   最前から激しく貧乏ゆすりをしながら、著しくイラ立っていたルミの起爆装置がついに作動した。                                             「なめとんかぁぁ、おおぉ!」                                  鬼の形相ですくと立ち上がったルミは、俺のみぞおちに渾身の蹴りをかました。元レデイース総長で喧嘩三昧の日々を送っていた武闘派のルミが放つ一撃は、その辺の下手なチンピラなど足元にも及ばない位の殺傷能力を秘めている。俺は激痛に襲われ、その場にうずくまってのたうちまわりもがいていた。                                          「んん…あぐぅ……」                                        

俺らの騒動に気付いた他の客や店員が、ひぃぃ!と声を上げてドン引きしていた。店内はカオスな状況となっていた。                             ルミは店内のギャラリーに向かって、よく通る声で事の顛末を説明した。                   「お騒がせして申し訳ありません。今、この男と大事な話をしてたんです。この男は己の欲望を満たしたい故、言葉巧みに私をその気にさせて行為に及び、いざ私が妊娠したとわかった途端に手のひらを返して責任逃れをする最低なクズ野郎なんです。なので今しがた、微塵の誠意も見られないこのクズに制裁を加えたところなんです。どうぞ、ご理解下さい。」                              ルミの説明に聞き入っていたギャラリーは、方々からルミに賛同する声を上げていった。                                           「そうなんや、ようわかった。おい、クズ!責任取らんかい、ダボ!」    「おい、クズ野郎!男の風上にもおけんな。恥を知れ!あほんだら!」                  みぞおちを押さえて無様な姿を晒している俺は、容赦なく罵声を浴びせられていた。                                                

悶絶する俺を尻目に、ルミは2枚の書面をバッグから取り出してテーブルに置いた。1枚は産婦人科の診断書だ。                                              「これ、よう読んでサインしいや。」                                 ルミに促されもう1枚の書面に目をやると、以下の文章が記載されていた。                      『私・九条フユヒコは、西川ルミが出産した子供を認知致します。』                  俺が絶句していると、最前から俺を罵倒していたおっさんが横から覗き込んで俺を煽ってきた。                                      「われ、わかっとるやろな。はよサインせんかい!」                    「いや、あんた関係ないやろ。いらん事言うな、ダボ!」                             俺の必死の抵抗にルミは即座に反応した。                       「いらん事ぉ?まだわからんかぁ?もう一発くらわすぞ、ボケ!」                 悪魔と化したルミに身も心も蹂躙された俺は、泣く泣く書面にサインした。                                                                  

諸君、諸行無常の響きあり。とはよく言ったものだ。                        もはやこれまで。俺は無駄な抵抗をやめて、おとなしく観念した。                      


                   

                   つづく


                  



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