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昭和47年から来た男   第4章


まいど!   50年後の神戸からもうじき帰る予定の小川ヨシアキです。

最愛の嫁・カヨコが50年後には既に亡くなっていると告げられ、俺は言葉を失いました。                                        「それ、ほんまか?」                                       「70過ぎたらしゃあないやろ。わかったらさっさと帰れ。」                       俺は75才の俺から50年後の千円札を渡された。                          「千円あったら阪神でもJRでも大阪まで行けるやろ。」               「JRってなんや?」「国鉄や。」「は?国鉄は失くなるんか?」                  75才の俺は表情を強張らせて俺に忠告しました。                          「あのな、これだけは言うとくけどな、やむを得ず知りえた未来の情報は絶対に口外したらあかんぞ。文章に残すのもあかん。出来る事ならとっとと忘れてまえ。ええか、わかったか?」「ああ、わかったよ……」「予言者とか言うて金儲けのネタにするとかもっての外やぞ。ほんまにヤバいで、必ず天罰が下るからな。俺が渡した千円もきっちり使い切れ。おつりを過去に持ち帰るなよ。ここで買った物もあかん。」                                        75才の俺は、そんな重大な決まり事を誰から教えられたんやろ?                                             

50年後の彼女は、俺らのやり取りを不思議そうに眺めていました。                  「ヨシアキさん、どなた?」「ああ、親戚の子や。偶然会うたんよ。」      「はじめまして。吉野エミリです。ヨシアキさんとお付き合いさせてもらってます。ヨシアキさんにそっくりのイケメンやね、モテるでしょ?」                  イケメンって何?どういう意味?この時代の流行語か?                    「お名前は?」「ええと、小川ヨシ……」「あ、こいつはヨシオ。」                  「えっ、ああそうです。ヨシオです。」「おう、ヨシオ。ぼちぼち帰りや。」「ああ、そうやね。では失礼します。」「ヨシオさん、またお会いしましょうね。気を付けて。」                        

頓珍漢なやり取りが終わると、75才の俺はエミリさんと連れ立って何処へと去って行きました。嫁に先立たれて独り身とはいえ、ジジイのくせに元気やなと我ながら呆れてしまいました。そもそもあの年齢で一体どないして若い女と知り合うんや?と思わずにはいられません。まあ、75にしては禿げてないし見た目も実年齢より若く見えるからどないかなるんやろ、という事にしときましょうか。                                 

しかしこの時代は見る物全てが驚く事ばかりです。                          駅の改札がほぼ無人の自動式で切符を購入する人は殆どいません。                 老若男女問わず髪の毛が茶色の人が多いので、頭髪だけ見ると西洋人みたいです。衣服はスタイリッシュで清潔感が漂ってますね。昭和47年は、男は長髪でヒッピーやフーテンが着てるサイケ柄の派手な色使いの服が流行ってるんで、それに比べるとこの時代の人は小ざっぱりしてます。女の子もオシャレで垢抜けてる人が目立ちます。                                          自動販売機でお茶や水が売られているのは驚きました。しかも150円って高いなぁ~。瓶って無くなったんですか?瓶に代わってプラスチック容器になってますね。※後で知りましたが、ペットボトルって言うんですね。               コンビニエンスストアって何でも売ってるから便利ですね。レジで現金を出してる人が少ないですが、どうやって支払ってるんでしょうか?                   浅間山荘事件で機動隊の非常食として一躍脚光を浴びたカップヌードルが、50年後も種類が増えて人気商品なのも驚きです。                               

阪神タイガースは50年後も変わらず関西では人気球団ですね。この時代になるとドーム型球場が主流になってるみたいですが、甲子園だけはそのままなのが嬉しいです。昭和60年(1985年)に悲願の日本一になるらしいので、今から楽しみにしときます。※昭和60年まで優勝出来へんのか?                                 
大概の人は例の手帳型電話を持ち歩き、手帳型電話とにらめっこしながら歩く人も見かけますが、彼らは周囲が見えてるんかな?                          昭和⇒平成⇒令和と元号が変わると聞きました。そして何より最も驚いたのは、平成7年(1995年)に神戸と淡路島で前代未聞の巨大地震が発生するとの事。今見てる神戸の街は、地震で崩壊した後に復興したという事ですか?                                       75才の俺が言うように、未来の事は先に知らない方が良いのかも知れません。そんな思いにふけながら、俺は阪神電車で大阪に向かいました。                           

俺はすっかり馴染みの場所となった淀川大橋に着くと、異次元ダイブをきめて昭和47年の大阪に無時帰還、寄り道せずまっすぐ帰宅しました。     「ただいまー」「おかえりなさい。今日も週刊誌やテレビ局の人から電話があったわ。ほんま、ええ加減にして欲しいわぁ。」                            マスコミの取材攻めはしばらく続きそうだ。                                千日デパート火災の報道は連日に渡って日本中の話題を独占している。                   「でも、あなたが無事で良かった……マモルもまだ1歳やし……あのね、家族が増えます。今、7週目です。」                                        カヨコからまさかのおめでた報告です。俺はこの上ない幸せな気持ちに浸りましたが、50年後にはカヨコに先立たれてしまうと思うと何ともやるせない気持ちになり、思わずカヨコを抱きしめていました。


fin


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