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私の「精神安定曲」
「精神安定剤」と呼ばれるものは人それぞれにあるのではないだろうか。食、睡眠、人など三者三様だと思う。ならば少なくとも私にあるように「精神安定曲」というものも存在するのだ。
私の「精神安定曲」はGRANRODEOがカバーした椎名林檎の『丸ノ内サディスティック』だ。
是非この記事を読んでくれた方が聴きたくなるような曲の感想を綴りたいが、私から出てくる感想は「原曲は勿論、カバーも良いから両方聴いてみて!」と全てを「良い」で包含した浅いことしか書けないため、今回、感想は諦めさせてもらう。
曲を聴いたきっかけは、不登校で段々と病みの階段を下っていたときに谷山紀章を知り、GRANRODEOを知り、カバーの『丸ノ内サディスティック』があることに歓喜して聴いたことだ。元々『丸ノ内サディスティック』は好きでよく聴いていた&最近好きになったユニットがカバーしているという十分すぎる理由から聴いたことが始まりだったように思う。
初めてカバーを聴いたときの感想はあまり覚えていない。多分、「癖強。」「原曲キーえぐ。」と思ったような記憶がふんわりとだけ残っている。だが、初めて聴いたときに植え付けられた中毒性と謎の安心感が当時、精神的に頼るものがなかった私に居場所を与えてくれたように思う。
日常的にカバーを聴いていたが、私が特にこのカバーを欲するときがあった。それは、午後から学校に行くために家で準備しているときだ。この時間が学校に行く第一の「負」を味わうときだった。午後から行くとなると昼休み、廊下を歩く生徒と鉢合わせになる。大勢の生徒と先生が行き交う学校で一人だけカバンを背負って階段を上がる人がいれば誰だって見る。「見られたくない、誰も見るな」と心の底から思っていたがそんなことは有り得ない。そんな第一の「負」からやっとの思いでたどり着いた教室にも私の居場所なんかあるわけがなく、心配という形で大勢が取り繕った偽善は私にとめどなく降り注ぎ、第二の「負」が始まったことは覚えている。これからそんな負を味わうことが確定している中で準備する時間が本当に大嫌いだった。準備しているときから耐えられずに涙がこぼれていたが行くしかない。そんなときの私はGRANRODEOがカバーした『丸ノ内サディスティック』を精神的に欲していた。
色々書いておいて言うことでは無いかもしれないないが、聴いたからと言ってまっさらな気持ちで学校に行ける訳では無い。でも、この曲を聴いてとめどなく流れていた涙が止まり、感情の波が穏やかになった。「気持ちをねじ伏せる」と言えばあまり印象は良くないかもしれないが、この言葉が一番自分の心情を表していたように思う。
私は話す人の数だけ仮面という重いものを使い分けている。わざわざそんなことをしているから人より心が疲れやすいのだとある時自覚した。だから仮面を持たない生き方をしたいが、それ使い分ける生き方しか知らないものだから、「本当の自分でいたい」という根本的な問題を解決することが難しい。というか先天的なものと後天的なものが組み合わさり、これから先も解決することができないのだと思う。でも、このカバーは私の「精神安定曲」として私が何処かで変わるまでは私専用の空席を作って置いてくれると勝手ながら思っている。
聴いたことない方は一度聴いて欲しい。