【長編詩】郷愁する青

 まるでわたしの手指が独立した生物のように、っていうのはあながち大袈裟な比喩じゃないかもしれないですね。(ともだちがいないから、誰に話しかけるでもなく。ひとり言以上、誰にも吸われない空気みたいな)事実、その仕草は、わたしの脳髄をほとんど経由することなく表出してた。わたしの行動は、ドーパミン。自分のことに自分で責任を取れるひとになりたいって思いながら、放出していた。百点、百点、また百点って繰り返し殴り書きされる赤い字、でも、問題がなんだか可哀そうだと思いました。意識が遠のいて途切れようとする、そのたんびに起こされ鞭に打たれる拷問みたいな、何度自害しようとしても、毒を飲む、ひかる刃物をさす、焼けていく、おぼれていく、いろんなほうほうを試してみても、苦しいだけで死ぬことができない不死身の能力者みたいな、って思ったら、零点、零点、零点、のほうが、もともと解かせないために作られた問題のそんげん?を保つことが出来るような気がして、わたしはとつぜん、平日の昼間に夢遊病のように外に飛び出したのです、まる、。
 バレエみたくくるくる踊りながら、もうとっくに葉桜に変わった桜並木をあるいてた。なんどもなんどもよろめいてよろめいて、だれかが心配してくれると思ったけれど、みんなみんなそんな暇じゃないみたい。ってことは誰かを本気で心配してくれる人、なみだぽろぽろすぐ泣いちゃう人、みんな暇人ってこと?、この世界がいいひと、いいひとでみたされるためには、みんなみんな暇、生きがいのない、からっぽになるしかないのだとおもいましたまる、いや続きをかいていこうと思うよ、日常が平坦過ぎて日記が書けないひと、暇なら日記ぐらい毎日書けばいいのに、でも毎日暇なら書くことないっていうパラレルみたいな矛盾、どうすればいいのだろうね、って考えてるうちに、だから、桜のせんめいさに見惚れてしまうんだ。コマみたいにくるくるくるくる回る。バレエみたいって言ったっけ、でもなにかに喩えるなんて自己満足。桜並木通り過ぎて、ちかちかひかる信号機の青、走り抜けて、はっと目に入った桜の残党が綺麗で、今日の日記に書くこと、出来上がった、わたしはただの暇人とは違うんだぞ、ってほっと胸をなでおろして、くるくるくるくるつむじ風のように回る。風みたいに軽々しく、威厳もなく、ふらふらふらふら。
 好きな男の子、あらわる。わたし、純粋だからずっと好きな男の子、変わらないの、六歳のころから変わらない、って、わたしが単に、ずっと六歳なだけね。布団に入って眠りについて思い出すのは、いつもいつも昔のこと、まだ二十歳なのに、ついに「まだまだ若いんだから」って言ってくれる人がいなくなって、おとうさま、おかあさま、わたしが目を覚ました瞬間、藻屑を見てるみたい、きっと飛蚊症に悩まされてるでしょう、はい、って自己完結、ごまかしごまかし、あいかわらずわたしはその男の子が好きで、でもその好きな男の子は、かっこいいスーツ姿で通り過ぎてった。きっちりしてるのね、わたしのこと覚えてるのかしら、と歩きながら頬杖をついてるみたいな気分、ああ、わたしのことを逆浦島って呼んでくれ!(わたしのこと呼んでくれるひと、どこにもいないけれど)
 幼くても郷愁、それだけは関係ないのです。いつも死に際、いつも走馬灯を見てる、って思えば、走馬灯も郷愁も似たようなもので、だから二十年ぽっちでも、振り返らせろって思うだけ思いつつ、笑顔になってきた、久しく思ってなかったけど、どうでもいいっていう気分、なんだかラリッって無敵になった人みたい、もう何も考えなくていい、わたしはくるくるくるくる環状線みたいに回って、次の駅、いや、わたしに到達点なんかないのです。はい、駅にたどり着いて、プラットフォーム、わたしの目の前をとおり過ぎる電車、自分が中心で世界が回ってると思ってるひとは、電車が目の前を通り過ぎることに納得がいかないんだろうか?ってこれ、是非、卒論のテーマに使ってみて!って好きな男の子のところに持ってったら喜ぶ?けっこうおもしろいと思うけれど、え?喜ばない?と、大学に入ったこともない、放浪者がたわごとたわごと言ってみたり。
 今の電車で死ねなかったから、郷愁しようと思います。えー、生まれる、ぜろさい、歩く、一さい、ろくさい、好きな男の子ができる、はいおしまい。なかみなんてないよ。ただあいされたかったの。
 べんきょうだけがとりえだった。あのこ、きみといってしまおう、きみのことがすきでしょうがなかったのに、「こい」っていってるひとたちばかにして、べんきょう、ただがんばれば、かってに、なにもかもうまくいくって、おとなはそういうことしかおしえてくれないし、でもそのおとなたちは、もうわたしがきらいで、かまってくれない、いきなり、いましかできないことをしろよとかむせきにんなこと、とりがなくみたいにつぶやいてる。わたしはじぶんのこと、せきにんなんてとれない。でもそれはみんなおなじで、なのに、ほかのひとに、せきにんをとるきがないのに、いろいろいってくる。わかんないよ、わたしにはべんきょうのしかたしかわからない。ってさけんで、でもそれもただのげんそう。わたしはべんきょうもできない。おちちゃった。べきょうしかとりえがないのにおちちゃった。かちがない。しのう。ほら、でんしゃ、やってくる。
 でもしらないうちに夕がたになる。なん本ものでんしゃ、とおりすぎただろうね?わかんないけれど、しゃようがきれいだった。にし日がきれいだった。ぽけっとに手をつっこんだら単語カード。ぺらぺらぺらぺらめくって、くちにして口にして、うん、覚えている。何もかも忘れてしまえば、空っぽ、でも覚えていた。墾田永年私財法。乙巳の変。エトセトラ、エトセトラ。単語カードぺらぺら捲る。勉強して勉強して、もっとわたしの白紙をみたしていけ。まるでわたしの手指が独立した生物のように、っていうのはあながち大袈裟な比喩じゃないかもしれないですね。脳髄を経由しない動き。くるくるくるくる飴の螺旋みたいに回る。

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