続けていればいつか報われる?
夢があったとして、みんな叶うわけじゃない。
みんな叶ったら世の中野球選手とプロゲーマーだらけだ。
「続けていたから報われた」類の成功者の言葉は説得力があるけど、そもそも夢が叶う方が珍しいため、辞めた人間が責められるのは違う。
全力で頑張っても、才能があっても、結果が出ないなら頑張っていないし、才能もないという扱いになる。
「正しい方向性で正しい努力は報われる」
ならば報われなかった人=努力不足のうえ方向性も間違っていた
ということか?
そもそも正しい努力とは何か。それこそ結果論ではないか?
才能もそうだが。
「結果が出るから才能がある」
という因果関係になりがちだ。
成果が出たから過去の行いが肯定される。
因果応報とはそういうことだが、この世界に因果応報という法則はない。スピリチュアル思想に近い。
現実には何の罪もない人が迫害される事はザラだから。
俺は夢を諦めたし、努力も才能も不足していたけど、仮に努力も才能もあっても、頭角を現せていたかは分からない。
それでも「結果が出ないのは本人の責任だ」と言われる。
「やり方が悪い」と。
さっきも書いたがやり方が正しいかどうかは過程には関係が薄い結果で決まるのに。
こんな供給過多かつ競争激化の業界で夢を諦めるのは真っ当と言える。それを間違った選択だと思わせるのはあまりにも酷い仕打ちではないか?
「続けていればいつか報われる」
「努力は必ず報われる」
同じ努力をしても報われない人が大半の業界で、その言葉はあまりにも無責任ではないか。
それともその努力が間違っていたと言うのだろうか。
まあ成功者からしたらそうなんだろうな。
死人に口なしだ。
結果が出た人間は注目されるから、発言も広まるが。
大多数の脱落した人間の発言は広まらない。
戦争を経験した人間の体験談は貴重だが、戦争で死んだ経験をした人間の体験談はもっと貴重だ。
しかし聞けない。死んでいるからだ。
生存バイアスというものだ。
沖縄の終戦映像を見たことがあるが、アメリカ兵からの徹底的な仕打ちを悲観した民が、崖から投身自殺をする瞬間の映像があった。
その人の体験談はそりゃ貴重だぞ。
だけど勝てば官軍理論なんだよな。
結局後世に語り継がれるのは、目立った活躍をした水木しげる氏や死なずの舩坂だ。