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【MBTI】相性論の弊害

はじめに


血液型占いや西洋占星術、姓名診断、そしてMBTIも例に漏れず占いや性格分類全般で「相性」は非常に人気なコンテンツである。

人間は他者との関係構築や進展の際に、相手との相性に不安を覚えることがあり、その不確実性を軽減するために占いや心理学に頼ることがある。

人間の損失回避的傾向や確証バイアスを考慮すれば、相性を知りたくなるのは当然とも言えるかもしれない。

しかし相性論に頼ることで良好な人間関係を築けるとは限らない。

今回は特にMBTIにおける相性論について私の持論を述べる。


MBTIにおける相性論


題目の通り、MBTIに相性論は存在しない。

正しいとか間違っているとかではなく、そもそも存在しないのである。

日本MBTI協会もMBTIは相性を測るものではないと断言している。

16per含めネット上で出回っているタイプ間の相性はソシオニクスを流用したものである。

ソシオニクスもMBTI同様ユングの心理学的タイプ論に由来するが、理論体系が異なるため同一視していいものではない。

それではソシオニクスベースで相性論を語る分にはいいのだろうか。

私はソシオニクスの相性論に対しても懐疑的である。

何故なら相性とは社会的属性や利害関係、コミュニケーションスタイルなど様々な要素が複雑に絡み合って形成されるものだからだ。

MBTIにしろソシオニクスにしろタイプ論は人間の内面全てを説明するものではない。

タイプ論や情報代謝理論で人間の相性が測れるとは到底思えない。

しかし実際にはYahoo知恵袋やQuoraといったQ&Aサイトでは身近な人(友達や恋人)との相性を知りたい、あるいは相性の悪さをタイプのせいにしたいがためにタイプ間の相性を質問する者は絶えない。

私はこういった質問をする人たちに問いたい。

仮に「相性が悪い」と言われたら、相手の性格の捉え方を変えたり、今後の人間関係を見直したりするのだろうか。

相手の尊敬していたところや相手とのかけがえのない思い出も、「相性が悪い」の一言で無に帰するのだろうか。

まずMBTIの目的はタイプ間の相性を測ることではない。

MBTIの理論の礎となったユングの考え方とは、「人はそれぞれ固有のものの見方や判断の仕方、エネルギーの用い方があり、それを正しいとか正しくないとか、良い悪いではなく、その違いに目を向けよう」と提唱するものである。

つまりMBTIの意義とは自己理解とともに認知の選好の多様性を理解し、尊重することにあるのだ。

ネット上の相性表を人間関係の構築・進展の際の意思決定の基準にすることは、相手の性格を十分に知らないまま性格を決めつけ、人間関係に制限をかけることに繋がりかねない。

したがって相性論を語ることはMBTI本来の目的に逆行していると言える。

故に私は相性論を語ることはもとより、特定のタイプに否定的な感情を抱くこともしない。

そういった考えは根拠薄弱な相性論や一般化するには乏しい個人的経験の上に成り立つものだからである。

最近ネット上の相性表に影響を受け、特定のタイプを罵る書き込みが散見される。

非常に残念な動向である。

最後に太宰治の名言を引用して本稿の締めとする。

人生はチャンスだ。結婚もチャンスだ。恋愛もチャンスだ。と、したり顔して教える苦労人が多いけれども、私は、そうでないと思う。私は別段、れいの唯物論的弁証法に媚こびるわけではないが、少くとも恋愛は、チャンスでないと思う。私はそれを、意志だと思う。

太宰治「チャンス」


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