【短編】ガラスの天井

「もしもし」
「やあメラニー」
「パパジョー、お久しぶりね。ご活躍はメディアを通して拝見してますわ。ご家族はお元気?」
「ありがとう。お陰様で、と言いたいところだけれど少し問題があってね。君に相談があるんだ」

 少々不穏なセリフとは裏腹に、デスクに深く腰掛けた男の表情は穏やかである。皮膚にハリはなく、痩せた手足をしているが、瞳は澄んで強い光を宿している。少し寂しくなった白髪頭に白い三角耳。老いてなお堂々たる体躯は、強靭な狼獣人ゆえだろう。
 夜空を見上げる青い瞳に一筋、流星が弧を描いた。




 建国より240年。我がシータス連合国は、厳しい階級社会を逃れて、新大陸へ活路を求めた流民が寄り集まって興した他民族国家である。
 建国の理念は自由と平等。国民の幸福とその保全を謳う民主主義国家として産声をあげた。
 ただし当時、国の主役たる「国民」とは、自由市民である肉食獣人に限られ、奴隷として家畜同然に扱われていた私たち草食獣人は除外されていた。
 自由を愛し、平等とは何かを真摯に追い求めた偉大な賢人と、迫害を恐れず、新時代を切り拓いた小さな聖人の、不断の努力と尊い犠牲があってはじめて、肉食・草食の別なく法の庇護を受けられる現在の私たちがある。
 そして私の父、現職大統領ジョー・ケイニスもまた、偉大な賢人の一人であると私は信じる。
 だからこそ、草食の代表格〈ウサギ獣人〉に生まれた我が身も省みず、彼のサポートに邁進し、草食獣人系女性初の副大統領の座にまで上り詰めたのだ。
 だと言うのに、近頃父の様子がおかしい。


「あなたは先程、戦争状態の二国の国家元首の名前を、あろうことか本人の目の前で取り違えましたね」

 記者からの指摘を受けた父は、自信たっぷりに笑う。こんな時も泰然自若としていられるのは、年の功か生来の性質か。

「すでに高齢のあなたが、世界で最もタフな仕事と称されるシータス大統領の職を、次の四年も務め切れるか疑わしいと言う声がありますが、次期大統領選からの撤退は考えていませんか?」
「はっはっは!スピーチに熱が入る余り言い間違えてしまったね。しか~し!私の大統領としての働きぶりと実績に目を向ければ、その疑いが杞憂であるのは明らかだろう!撤退は無い。神が私に引き際をお告げにならない限り!!」
「前回の討論会の結果を、ご自身でも失敗だったと述べていますね。その後、大統領が認知機能の検査を受けたとの報道がありますが、事実ですか?」
「事実だよ?私が健在だと証明するためにね!結果はマーベラスだった!!」
「神経系の病気ではないか、との憶測も広がっていますが?」
「おおっと!それは事実無根だ!!」

 オーバーリアクションで記者に応える姿は、大統領というよりコメディ俳優のよう。
 実際、父の検査結果には一切の異常が見られなかった。何の問題もない。こんな時でなければ、望み通りの結果が出てくれて、「取り越し苦労だったか」と笑って済ませるのだが……。


 ——四年前、パンデミックが起きた。
 未知の病原体の猛威に世界は混迷し、ワクチンが完成するまでに多くの生命が失われた。
 社会活動が制限され、経済は滞り、貧困が拡大。今やっと最悪の時期を乗り切った世界は、これまでのツケを取り立てるような攻撃的な振る舞いをみせている。
 疲弊の激しい各地で紛争が勃発。騒乱は憎悪を掻き立てながら拡大を続けている。保身のための犠牲を厭わない利己的な主義主張の蠢動は、まるで奴隷制度が横行する泥裡へと時代が回帰するようだ。
 この時期に、父がシータス大統領の地位にあったのは不幸中の幸いだった。自国の利益にばかり固執する人物に舵を任せていたならと思うと肝が冷える。
 しかし、大統領の任期は四年。超大国シータスの次のトップを選ぶ戦いは既に始まっている。
 再選を目指す父に挑む対抗馬は、市場原理主義の急先鋒・キング前大統領である。彼が掲げる自国第一主義は、エゴイズムに大義名分を与え、「我々と、それ以外」という対立構造を先鋭化する。


「主役にこだわるタイプじゃなかったのにな」
「老害ってヤツすかね」

 主役の去った会見場に、後片付けに勤しむ二人の犬獣人。

「かもな。けど党内に代わりがいないのも確かだ」
「みんな決め手に欠けるんすよね~」
「それに引き換え、キング候補の人気は堅いな」
「四年前と違って、二度目の戦いはどっちが強いリーダーか、一目瞭然すね」
「このままじゃキング王国の王政復古まっしぐらだ」
「あーあ、金儲け主義のトド獣人は大人しくCEOでもやってりゃいいのに。もうこの国の理念(たましい)は死ぬんすかね」
「縁起でもねえな、口は災いの元だぞ。俺たちみたいなしがない雑種は、潰されたってネタにもならん」
「へーい、すみません」

 二人を含むス黒ーツ達が大股で行き来する。荷物を担ぐ者、電話をかける者。誰も彼もが狩を失敗した後のような疲れた顔。


 パンデミックが起こる直前には、現職大統領の地位にあり二期目を狙う立場だった〈トド獣人〉キング前大統領。彼と激戦を繰り広げた〈狼獣人〉ジョー・ケイニスは、辛くも第四十九代シータス大統領の座を射止めた。
 敗者のキング前大統領は選挙結果に不満を訴え、支持者を扇動して暴動を起こさせるなど、政権交代を妨害。この混乱は多くの逮捕者を出す事態にまで発展。
 キング大統領とは熱狂と憎悪を掻き立てるリーダーであった。
 これと対照的なのは、更に四年を遡り第四十八代大統領の座をキング氏と争った、〈ライオン獣人〉メラニー・K候補だ。
 女性初の大統領を目指した彼女もまた、大接戦の末にキング氏に敗北。しかし彼女は早々に敗北宣言を行って、闘争心をたぎらせる有権者を宥め、諍いの連鎖が広がるのを防いだ。
 当時は、戦いを放棄したかに見えるその姿勢に不平を漏らした支持者も、四年経って目にしたキング氏の醜態を前に彼女の正しさを理解した。
 けれど、キング前大統領の支持者は、未だ彼の欺瞞に目を眩ませたままでいるらしい。


 陽炎ゆらめく白昼の大都。盛況を極めるイベント会場には地鳴りのような歓声が響く。

「時には武器を持って立ち上がるべき時がある!それは今だ!!私が偉大なシータスを取り戻す!」

 壇上には肥満体の大男。デカデカとスローガンが印字された真っ赤なキャップを被っている。背景の大型スクリーンいっぱいに引き延ばされた顔はいびつ。
 けれど付和雷同の聴衆は知らんぷりを決め込んでお祭り騒ぎだ。
 時あたかも厳暑の夏、空は快晴。なおも熱気は高まって、炎天が容赦なく皮膚を焼いた。
 大切なものを守るために武器が役立つ時はある。だけど自分が失ったものを、まだ失っていない誰かから奪い取るために武器を持とうというのなら、それは単なる略奪だ。
 焼けつく太陽がジリジリと命の泉を渇かしてしまうように。自制なき欲得は時に希望を干涸びさせる。
 男は、額の汗を拭った。
 よじ登った屋根の上は、焼けたフライパンのよう。ビショビショになったTシャツが背中に張り付いている。
 あゝ不快感だと溜息をつき、安全装置を解除する。
 略奪から始まる暴力の連鎖。ぶち撒けられる薬莢と臓腑。跳弾する憎しみ。その根源を、お好みの鉛玉でもって始末しようと男は標的を見据えた。
 あとは引き金を引くだけ。
 次期大統領候補は、緩慢な動きでモニターを指差し、外敵をいかに駆除するかの説明を始める。
 遠い青空。こだまする銃声。


「キング前大統領が演説中に銃撃されました」

 同日、大統領官邸。件のウィルス感染が判明したシータス大統領は、自主隔離の上で執務を行なっていた。ワクチンの集団接種最初期に、身を差し出した甲斐あって症状は軽い。

「犯人は」
「既に射殺済みです。単独犯と見られます」

 ウサギ獣人特有の長い耳をピンと立て、整った顔をマスクで覆う女。ジョー・ケイニス大統領の実子にして副大統領を務めるアマラ・ケイニスは、戸口に立ったまま淡々と報告を続ける。

「そうか。彼は無事か?」
「幸い軽傷だそうですが、市民に死傷者が出た模様です」
「そう、か……」

 銃撃の映像はすぐさま世界中に拡散した。銃弾がかすめた耳から血を流し、立ち上がったキング前大統領が拳を突き上げた姿は印象的だった。
 世間はこれで、大統領選は死身の男と老いぼれの一騎打ち、とでも陰口を叩くだろう。
 だけど彼は不死身の男なんかじゃない。暴力の前に屈し、血を流すただの男だ。自ら煽った憎しみの噴出に斃れかけた大間抜けだ。

「大統領」
「……なんだ」
「選挙戦からは撤退なさいませ」

 片眉を器用に吊り上げた狼男がギロリと視線を返す。

「何故だ?私を支えることに人生を捧げると言っていたではないか」

 唸るような低音。獰猛な捕食者の顔。

「私は間違っていました。私の人生を捧げるべき相手は、シータスとシータス国民です。そして、その中には貴方も含まれる」
「ウサギ獣人風情が大きく出たな」

 アマラは思わず眉を顰めた。そう長くもない人生で幾度となく聞かされたセリフ。だけどこれが、これまでで一番不快に感じた。「貴方にだけは言ってほしくない」そういう思いが、心の何処かで煮えきらなかった気持ちを確かなものにする。

「私はウサギ。社会的弱者です。私のような者が立ち上がったとして、きっと誰の脅威にもなり得ない」

 戦える力のある父を陰日向に支える事を、我が身の喜びと思っていた。
 だけど、我々の敵とは誰のことなのか。異なる政策を掲げる政治家?父を選ばない国民?貧困や紛争?
 そうでもあるし、違うとも言える。
 きっと人は、目的の邪魔となるものを便宜的に敵と見做して、排除を行う口実とするのだ。
 勝ったものが正しい?
 だけど世界は戦いに疲弊し切っている。善悪と勝敗は必ずしも一致しないと本当は気づいている。
 ならば真に戦うべき相手は、敵を作り出さずにおかない脆弱性ではないか。
 強さこそ正義?
 でも、脆弱さを持たない人間などいない。

「だからこそ、出来ることがあると気が付いたのです」

 パンデミックがもたらした恐慌に、老若男女、貧も富も、みなが等しく傷ついた今だから。強さや逞しさ、勝利の象徴でない。同じように傷つき、痛みに寄り添う、友のようなリーダーが必要なのだ。

「それがお前の武器か」
「はい、私がやります。老いぼれはすっこんでて下さいませ」

 デスクに深く腰掛けた男はニヤリと笑った。背にした大窓には夜に染まり始めた空。


 私たちの神は時折、下界の様子を眺めるために天界のふたを開けるのだという。この時に漏れ出る光が、夜空をはしる流れ星。
 だから、流れ星が見える間に唱えた願いは神の耳まで届くのだ。星が流れる一瞬に、願いごとを唱えなることが出来たなら、神が叶えてくださるそうだ。

 父の願いは何だったのか?





 ———私が知るのは五ヶ月後。


「もしもし」
「もしもしメラニー?アマラです」
「大統領就任おめでとう、アマラ。私に壊せなかったガラスの天井を破ったのが貴女で本当に嬉しいわ」
「ありがとうメラニー。貴女の尽力のお陰よ。ガラスの天井は既にひび割れだらけだったわ」
「ふふ。昔、パパジョーに言われのよ。私は理由を持たずに使命だけで戦ったために、負けたってね。それから、貴女は理由だけで使命を持っていないんだ、とも。どうしたら貴女が、理由と使命を兼ね備えた大統領になるかって、相談されてアドバイスしたのよ私」
「まあ。全然、知りませんでした……」
「うふふ。だけど、彼が大事な友人の名前を、侵略者の名と間違えて呼んだ時は、さすがに開いた口が塞がらなかったわ!」
「え……それは、………えぇ?」
「貴女には彼が付いてるし、私にできる事なんて何もなさそうだけど、愚痴なら聞くからいつでも電話してね。じゃあ、がんばって!おやすみ」
「あ、ちょ、お、おやすみ……」

 プ、ツーツー

「なさい…………」

 ツー……










 ※※※
 娘からジジィはスッこんでろって言われてみたいパパと、まんまとノせられた娘でした。分かりづらい部分が多かったかな…

 ショートショートにしたかったのに、文字数がおさまらず…無念の短編

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