雑記「忘れていたこと」
今回のこの記事は、タイトル通り「忘れていたこと」を雑記という括りで書こうと思う。
突然だが、詩などの作品を書くのが最近当たり前になってきていて、私自身が忘れていたことがある。
それが、作品というものは「好き」だから書いているだけという事実だ。
「好き」を燃料にして、「描きたい」と願うから書くのではないか。
今までもそうだ。
例えば、この作品はチェンソーマンのキャラクターであるレゼに心底惚れ込んで、「自分もこのキャラの絵が描きたい」という思いから出来上がった作品だった。
私は、この時のような熱意を忘れていた。詩人を宣う未来の鮮やかな自分ばかりを期待して、創作活動の一番大切な所を忘れていたのだ。
最近薄々感じていたスランプも、恐らくはここから来たものなのだろうと思っている。
上手く表現する技術や、活動につく評価も確かに大切だ。
でもそれだけでは、他人を動かすような「熱」が作品という命に込められない。
熱が薄まっているから、きっと詩人になるための行動を起こすことも後ろ向きになってしまっているのだろう。
もっと積極的に行けば、より世界を広げられるかもしれないのにだ。
つまりは、命を捧げたいと願った創作を「逃げの手段」に使ってしまっているということなのだろう。
真剣に物事に向き合うことは怖い。
才能のなさに気がついてしまうかもしれない。
全て無駄になるかもしれない。
それでも、私は書くことが好きなのだ。
詩や小説で、救いのある優しい物語を紡ぐことが、好きなのだ。
理想を表現できる、この瞬間を愛しているんだ。
だから、これからも描き続けていたい。
そんな、暖かい気持ちを忘れたくないから。
だが、時に忘れてしまうこともあると思う。だが、何度でもこの感情を思い出して、これからも作品を書いていきたいと強く思った。
(余談ですが、最近好きになったキャラの、熱をたっぷり込めた絵を現在制作中なので、楽しみにしてもらえると非常に嬉しいです!)