私は何がしたいのか。
私は結局何がしたいのだろうか。
そんなものは、誰かに聞いたってしょうがない。
自分自身に問いかけていく。
私は今まで、たくさんの詩を投稿してきた。
それは何故か。
私は詩が大好きだからだ。
繊細な感性から編み出される素直な言葉の数々が私の胸を強く打つから。
そして、なによりも自らの苦しみを価値あるものに昇華出来るからだ。
詠うことで心が安らぐ。
作品を投稿することで、誰かからの「好き」が貰えて。
承認欲求すらも満たされる。
詩を詠うことが、たまらなく幸せだった。
だから。
私は今まで、たくさんの詩を詠ってきた。
累計で言えば、500作以上。
楽しんで、時には苦しんで。
それでも確かに詠ってきた。
でも、それだけだった。
世の中の人間は、私よりもよほどすごい奴らばかりで、隣の芝生は変わらず青い。
自分より才能のある人間はたくさんいる。
歳なんて関係ない。
私より若い人間が。
私より積み重ねてきた人間が。
そして。
私と同期の人間が。
数多の成功を納めている。
誰からも認められる実績を手に入れている。
それはいい。
彼らには、まだ遠く及ばない。
だが。
これからがある以上、いくらでもチャンスはある。
だけど。
悔しいことがある。
彼らは本気なのだ。
慰みで作品を描いてるだけの私とは違う。
憧れをもって。
夢をもって。
目標を叶えるために、常にやれることをやり続ける。
及ばないなりに、私にだって出来ることはあるのにも関わらず。
私は何処か「好き」に本気になりきれていなかったのだ。
それがたまらなく悔しい。
私は何がしたいのだろうか。
書きたいだけの衝動に囚われて、輪郭が見えない。
このままでは、今好きなことして生きたいだけの刹那主義者だ。
私は何を伝えたいのだろうか。
これは私の人生の問題だ。
他人のせいにはしたくない。
他人のせいで歪められたくはない。
だからこそ。
最後は必ず、自分で答えを見つけ出す。
高尚な目的を見出だしてもいい。
いっそ吹っ切れたっていい。
でも。
せめて、間違わないように。
面白いと思えないことを、続けてしまわないように。
大義であれ、快楽であれ。
「これ」と思うものに命を捧げたい。
今はきっと、それでいいと信じて。
「好き」に打ち込みたい。