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夏休みの過ごし方で…

家で勉強する習慣のなかった僕は、何の考えもなく中2の夏休みも遊んで過ごしていた。

毎朝毎朝、家族が寝ている時間に起き出し、朝ごはんの前にひょいっと帰ってくる感じだった。多少寒い朝でも関係なく出かけた。海に着くと、岩場の右側をどんどん歩き、昆布に針が引っかからない場所まで行って投げ竿で針を飛ばした。

海水浴禁止③から右へずっと歩いて行った。


当時は新しいタイプのリールが出回っていたが、僕のリールは針を投げる時に90度回転させるタイプだった。旧式だったが好きだった。竿も安物だったが、それでも50メートルくらいは投げていたと思う。

投げ釣りに使った竿とリール


いくら岩場から離れても、いくら沖に投げても、そこで大物が滅多に釣れないことは、浜に自分しかいないことで十分わかることだったのに、一人だけの気持ちよさを感じていた。海も砂浜も自分の物に感じていたのかも知れない。

波が寄せ返す時にピチピチ跳ねたプランクトンの数は昔の様ではなかったが、それでもまだ結構いたようで、波際ではたくさんの魚が跳ねる姿があった。それは、まだ小さなカレイだった。沖に投げて釣れない針を巻いてくると、途中で掛かるのが「コマイ」で、それも掛からずにリールを巻いてくると最後にその小さなカレイが釣れる ―― そんなパターンだった。

小さなカレイは、本当に小さいので我が家では「レントゲン」と呼んで笑ったが、小学時代の僕もガリガリに痩せていたので、親戚のお姉ちゃんから「レントゲンやね」と言われるほどだった。そのカレイの方の「レントゲン」は、物置のひさしの下に吊るすととても美味しい干物になったので、お腹が空いたときなどは、物置の屋根に上がって干物を取って食べていた。


そんな風に、毎日毎日、浜辺での充実した時間を過ごしながら夏休みが終わった。

夏休みが終わって少しすると試験があった。あれは何という試験だったろうか、結果が廊下に貼り出されるタイプの物だったが、貼り出された結果を見て僕は驚いた。

同級生の背の高い山田君と僕は、その夏休み前まで殆ど同じ順位の辺りで競り合っていたのだが、その時は、僕のずっとずっと上に彼の名前を見つけたのだ。驚いた僕が山田君に聞くと、夏休みの間も勉強していたと言うではないか!

そっか…。ひと夏の過ごし方でこんなにも違いが出るのか…。


この時ほど、時間の使い方の大切さを痛感したことはない。それを人にアドバイスできるほど痛感した僕だったが、自分へのアドバイスを怠り、中2の冬休みは毎日スケートリンクに通った。確か、スケートリンクが閉鎖していた年末年始でさえ、塀を乗り越え、誰もいないリンクで滑っていた。

ダメだ、こりゃ…。

その後も山田君は僕のずーっと前を走っていた。

(まこと)

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