もう泣きません!
僕は芭露という町で生まれた(地図の赤丸の辺り)。
産婆さんに取り上げられた時、泣かなかった(らしい)。
つまり呼吸を開始しなかった。
慌てた産婆さんは僕を逆さにして振ったり叩いたりしたが、それでも泣かなかったので、顔はどんどん土気色に変わっていった(らしい)。
その様子を見ていた母は、案外あっさり
「もういいわ…」と諦めた(らしい)。
「すでに子供が3人いるから」と。
その時になって、僕は遂に「オギャー」と泣き出した(らしい)。
こうして、反骨精神いっぱいの僕の人生が始まった(と思われる)。
産声が足りなかったのか、何が原因か分からないが、僕は良く泣いた。
決まって暗くなってからギャンギャン泣くので、近所では有名だったようだ。
自分が納得するまで泣いて反抗するので、夜に、家から少し離れた木に縛り付けられたり、雪の中に放り投げられもした。芭露時代のことである。
困り果てた親が強硬手段に出るのは無理ないことである。
紋別に引っ越すと、公営住宅には石炭室がついていた。
雪が降る前に、一冬分の石炭を外壁の小さな扉から放り込んでおくと、家の中で石炭を取ってストーブに焼べることができる。
もう記憶が定かではないが、石炭室は2畳くらいの広さで、家の中の床面から1メートルくらいの深さ。更に3~4枚の仕切り板を使って、床面より高くまで石炭を積み上げた。
そして冬の間は、その仕切り板を1枚、2枚と外して徐々に上から石炭を取り、全部外し終えると、次は石炭室に入って石炭を取る。
夏を迎える頃に、石炭は底の方に少し残るだけになるが、そんな時期、石炭ではなく僕が放り込まれた。5歳の時だったと思う。
寝る頃になって、恒例のギャン泣き始めた僕に我慢の限界を超えた父は、僕の手を捕まえると、あっという間に石炭室に押し込んだ。そして、手早く、仕切り板をパンパンパンと嵌めたので、真っ暗闇に。
もう、自力では脱出できない。
ものすごい恐怖だった。
あれ以上の暗さは、きっとこの世に存在しないだろう。
その中に、たった一人なのだ。
木に縛られた時よりも、雪の中に放り出された時よりも、遥かに恐ろしくなって、僕は「ごめんなさい、ごめんなさい」と必死に許しを乞い続けた。
でも父は戻ってこない。
遂に僕は「もう泣きませんから許してください!」と叫んだ。
すると父が戻ってきて「本当だな? 約束できるか!?」と大声で念を押した。
「はい、もう泣きませんから許してください!」と謝って、やっと出して貰えた。
真っ暗闇に閉じ込められた恐怖はやがて薄れて行ったが、僕は二度とギャン泣きしなくなった。
案外、約束を守る男なのだ(笑)。
大人になり、兄に「あの時、誰も助けに来なかったよね」と言うと、
「お前はしょっちゅう泣いていたから、当たり前だよ」と、
これまた、あっさりとした返事が返ってきた。
(まこと)