4章 千葉ちゃんの入院
第1話 宿題「1歩とは」
11月に入った最初のサークル日。みんなが集まっていますが、誰か一人足りません。
寿 美: お知らせです。うちの人が白内障で両目手術することになり、少しお休みします。最近、「そこら中が白っぽく見える」って言うので眼科に行ったら、そういうことになって。
ミッチ: この大事な時期にかい?
寿 美: ごめんなさいね。
ミッチ: 海に流さなくていいんかい?
寿 美: あの人は誓約書を書いてないから。
ミッチ: チッ!
みんなが笑いました。
さとし: 振り付けは大丈夫か?
寿 美: 大丈夫みたいよ。殆ど構想が出来上がっているようだし、それに向けて、みんなの宿題も聞いてあるから安心して。
美 和: 宿題って?
寿 美: メモしてあるわよ。読むわね。
①1歩とは何かを考える。
②タコ踊りの練習。
③呼吸して踊る練習。
これだけやって、他はなんにもするなって言っていたわ。
美 樹: なにさ、それ? フォーメーションの練習じゃないの?
ミッチ: チャミちゃん先生、あいつの入院、本当に目ですか? 頭じゃない?
ヤ ス: 俺もそう思う。「1歩は何か」とか、「息する」とか、分かり切ってることだべさ。
加 藤: おまけに、俺たちにタコ踊りの練習しろってか。それより、ちゃんとした踊りをやってる方がいいと違うの?
寿 美: 本当にね、私もそう思うのよ。でも、あの人が戻ってきたとき、宿題やってないのに「やった」と嘘つくのは気が引けるから、形式的にササッと片付けちゃいましょう。
全員で「そうしましょ、そうしましょ!」となりました。
寿 美: じゃあ、一つ目から片付けましょう。「1歩とは何か」よ。分かり切ってることだけど、形式的でいいから皆で話し合って、答えが出たら声を掛けて下さい。じゃあ、男女適当に3グループに分かれて話し合いましょう。
みんなの答えが出るまで、寿美ちゃんはシャドーをしながら待つことにしました。そして、選曲に少し迷ってから踊り始めようとしたところに、たちまち声がかかりました。
全 員: 出ました!
寿 美: もうはや出たの?
さとし: だってさー、話し合うまでもないべさ。
全 員: そうだよ。
寿 美: そうよね。じゃあ、全員、両足揃えて立ってください。
そして、皆がきれいに整列したところで声を掛けました。
寿 美: そこから左足1歩前進して、3グループの答えを見せてください。いいですか。さん、はい!
全員、左足1歩前に出して止まりました。その格好が、「ダルマさんが転んだ」をやっているみたいで、可愛らしいです。
寿 美: オーケー。それがみんなの答えね。そんな気がしていたわ。
全 員: 正しいでしょ?
寿 美: どうかしら。それを確認するために、そこから右足を1歩出してみましょう。いいですか。さん、はい!
全員が一斉に後ろにあった右足を前に出しました。またまた「ダルマさんが転んだ」でストップしたみたいな可愛い恰好で、自信ありげにニマニマして寿美ちゃんのコメントを待ちましたが、
寿 美: あらら? なんか変じゃない?
と、言われてしまい納得がいきません。
全 員: 何が?
寿 美: だって、今の右足の移動距離は左足の倍もあるわよ? 同じ1歩なのにそれでいいの? どっちが本当の1歩?
全員、ざわつきました。
寿 美: さあさあ、もう一度、グループに戻って話し合って。
あちこちから「なんでよ」とか「だってそうじゃない?」などと、ワイワイガヤガヤが始まりましたが、暫くして「そっか!」の声が上がりました。そして3つの班は互いに確認し合ってから、全員で「分かりました!」と言いました。本当に学校の授業のようです。
寿 美: では、代表して誰かが説明してください。
さとし: 俺がやります。1歩とは、さっきの両足揃えて立ったところから左足を出したら、その傍に右足が来る所までが1歩です。さっきは、左足を出しても右足がまだ後ろに残ってたので1歩の動きが完了していないことになる、って思った。
寿 美: その通り! みんな、偉い!! それが分かると、踊りが変わるわよ。じゃあ、ワルツのシャッセ・フロム・PPで考えてみましょう。美和ちゃん、女性がPPになり、予備歩で外側の右足を1歩出すと、その1歩の終わりは?
美 和: 今までは、内側の左足は後ろにあったけど、違うってことね! つまり、内側の左足が右足に寄る所までが1歩ね。
寿 美: 正解! じゃあ恵美ちゃんに質問よ。次のシャッセの1歩目は?
恵 美: 内側の左足を出したら、外側の右足を「寄せる」までが1歩ね!
寿 美: 正解! 基本的に1歩とは、出した足の傍にもう一方の足が「寄る」所までと考えてください。厳密には足ではなく腿とか膝だけどね。でも「寄せる」とか「持ってこよう」とするのは作為的になるので、「寄る」ことを考えてください。その方がより自然で「あずましい」でしょ?
加 藤: あはは。チャミちゃん先生は「あずましい」も使うんだね?
寿 美: すごく便利な方言で、私大好き! 1歩にはまだ深い意味があるけど、いま理解したことだけでも、すごい前進よ。
ミッチ: ええーっ! まだ深い意味があるんだったら、この問題はチャミちゃん先生が考えたんだべさ。絶対、あいつじゃないよね。
全 員: うん。あいつじゃない、あいつじゃない。
さとし: 今頃病院でくしゃみして、ご飯こぼしてたりしてな。
全員が笑いながら頷いていると ――
寿 美: あなたたち、本当に仲良しなのね。そして、まだ黒池町で日の浅い私に気を遣って優しくしてくれて、本当にありがとうございます。
と、寿美ちゃんが涙ぐんで言ったので、全員そわそわし始めました。みんなは、隠しておいた心の内をしっかり読まれてしまったからです。
寿 美: さてと…。
と、目元を拭きながら寿美ちゃんが続けました。
寿 美: じゃあ、もう少しワルツのステップの1歩1歩をチェックして、今得た知識をしっかり自分のものにしていきましょう。これはフォーメーションのブルースにも役立ちますからね。
全員から「はい!」と大きな返事がありました。
今回は「1歩とは何か」の答えを、みんなで考え、話し合って導き出すことができました。宿題は千葉ちゃんからという事になっていますが、寿美ちゃんもしっかり絡んでいることに、サークル員は当分気づかないことでしょう。
「北国ダンサー物語」(作:神元 誠)