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階段飛び(イラスト追加)

《2023/07/31 階段のイラストを追加しました》

1960年頃、紋別小学校の3~4年は旧校舎の教室だった。
旧校舎は新校舎の後ろにあり、古い木造校舎。

紋別小学校。右後ろに旧校舎があった。

教室を出て左に行くと、やがて緩やかな傾斜のある廊下が少しあり、その先に階段があった。

旧校舎の記憶スケッチ。正しいかなぁ?

階段を下りて右に行くとトイレがあり、右が男、左が女と別れていた。トイレは勿論「ポットン便所」。手前に手洗い場があったと思う。

階段を下りて左にまっすぐ進むと職員室などがある新校舎。途中で右に入る廊下があり、幾つかの教室の先に体育館があった。記憶が正しければの話だが。

で、先ほどの階段だが、旧校舎で、階段も木だったので、階段を降り切った床が少したわんでいた。小学校設立が明治25年(1892年)なので、当時で60年が経過していた。その間、多くの子供たちがその階段を上り下りしていたのだから、多少のたわみがあって当然だろう。

子供たちは階段は飛び降りる。女の子だって最後の2段くらい飛び降りるのは普通のこと。ましてや男の子は、もっと上から挑戦する。昨日は下から3段目から飛んだので、今日は4段目から挑戦!てな具合に。

どれほど多くの男の子が60年の間に飛び続けて来ただろう。延べ数で考えると恐ろしい気がする。

当然ながら僕も飛んだ。

7,8段上は慣れっこだったが、最終目標は一番上から。それには緩やかな斜面を走る必要がある。

あの階段は何段あったか、もう、知る術もないが、一度だけものすごく上から飛び降りたことがある。もちろん、みんなで体育館に向かっている時には出来ないから、放課後だ。

意を決して飛び降りると、たわんでいた床がメリット音がした。「飛んだ!」と言う満足感と、床がさらに傷んで「ごめん!」と言う気持ちが混じり合った。


あの時は、助走を付けて一番上から飛んだ気がするが、冷静に考えると、それなりの段数があったので、飛びたいとの思いが飛んだ記憶になったのかもしれないとも思う。

確かなことは、結構上の段から飛んだことと、子供には階段を飛びたがる遺伝子があること ―― かな?

《2023/07/31 追加》
階段の雰囲気が分かりました。
階段の上の廊下が斜めだったのが分かります。また、階段は全部で9段でした。僕は「7,8段上は慣れっこだったが」と書きましたが、きっと慣れっこだったのは「5,6段」だったのでしょう。ここの階段の一段一段は奥行きがあり、勾配が他の階段より緩かったことを思い出しました。つまり、上から飛ぶには距離を行かなければならない怖さがあったのでした。

当時の階段。


(まこと)


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