父と長島商店と日の出湯と
■長島商店
僕は親父が37歳のときの子供です。その親父に連れられ釣りに行ったり、オートバイに乗せてもらい、山に山葡萄やコクワ(キーウィに似た味形をしていて、大きさはワインコルクの半分くらい)を採りに出かけたりしたのは小学4、5年生位迄だったと思う。
その頃までは親父と風呂に行くのが楽しみで、それは親父が行きがてらに「チョコレート買うか?」と聞いてくれるからだった。お金を貰うと、いつもの長島商店まで駆けて行ったものだった。そうして、迷いながらも買うのはやっぱり明治のフルーツチョコレートで、それを手にお店を出てくると、親父がその辺りまで来ている ―― いつもそんな間合いでお金をくれるのだった。
時には忘れたのか、いつもの場所(確か、魚を売っていた真田商店があり、そこを過ぎた頃だった)に来ても何も言わない時があって、そんな時は、「まだ言わないの」、「もう言わないと遅くなってしまうのに」と心の中で焦るのだが、無常にも長島さんが通り過ぎてしまうと、なるべく早くチョコレートの事は忘れるようにした。
親父と最後に風呂に出かけたのは多分中学1年の頃で、「たまには一緒に行かないと可哀想かな」などと考えての付き合いだった。そんな年頃だから、チョコレートはもうどうでもよくなっていたのに、親父は聞いてきた。滅多に一緒に行かなくなってからの時間のギャップを計るかのように、ポツンと、遠慮がちに。
フルーツチョコレートは、やはり魅力一杯だったが、少し子供っぽい感じもして、苦めのブラックチョコレートを選んでお店から出てくると、親父はもう先を歩いていた。なんて声をかけようかと迷っている間に追いついて、「買った」とひとこと言うと、笑顔をみせた。あれが親父との最後の風呂だったと思う。
■日の出湯
風呂に入ると必ず背中の流しっこをした。
小学生の頃は親父にも兄にも「もっと強く」と言われた。そこで、手拭をぎゅっと固く絞り直して、力いっぱいゴシゴシ擦って「痛くない?」と聞いても、返事はいつも「全然」だった。そして、「まっこは力ないなー」と笑われたが、中学のその時は何も言われなかった。でも、親父の背中はいつもと同じく大きく感じた。
親父の髭剃りは、既にT字の安全カミソリが出回っていたが、いつも貝印の長刃カミソリだった。僕は怖くて殆ど使ったことがないので、親父に負けた気がしている(笑)。
親父が死んで今年で40年経つが、いまさらながらに、もっと親父の話が聞きたかったと思う。そうして父との思い出を辿れば、このような他愛のない、同じ事ばかりなのだからおかしいものだ。僕が親父が37歳の時の子だと気付いたのは40になった時で、これもおかしなことだと思う。
■二人の娘たちと
親父との最後の風呂が12才の頃。それから先、どれだけまともな父子の会話をしたか思い出せない。仲が良かったとは言わないが、特にいがみ合っていたわけでもない。仲が良くても悪くても、その年頃になると子供は親から離れるものだと思ったので、自分の娘たちとは12才になるまで、全力で真剣に向き合った。そのお陰か分からないが、今、母親となった娘たちや孫たちとも仲良くできていることが何より嬉しい。
父の日に親父を偲び、娘たちを想う。
■やっぱり手拭
最近、再び手拭で体を擦り始めている。
「強くこすると肌に良くない」なんて情報が出始めてから細長い「あかすり」で上品にやってたけど、それは背中だけにして、他はやっぱり手拭をギュッと絞ってゴシゴシだ。日の出湯で親父の背中をゴシゴシ、兄貴の背中をゴシゴシ、自分の体をゴシゴシした思い出が蘇ってくる。
思った以上に垢が出るので笑ってしまう。
(まこと)