あの時整形していたら。と、眼鏡がずれ落ちるたびに思い出すこと
私はとても鼻が低い。
目線を下に向けても、自分の鼻が直に見えたことはない。
みんなそうだと思っていたのに、友人との会話をきっかけに、自分の鼻を自分の目で見ることができる人がいることに驚いた。
子どものころ、母親は私の顔を見るたびに(は言い過ぎ)、怒るたびに、「不細工!」と吐き捨てるように言っていた。
親が子どもにかける言葉の影響力はとても大きと思う。
私は母親のおかげで、「自分は不細工なのだ」という自己認識を持って大きくなった。
母親に言われるがままに中学受験をし、毎日電車に乗って学校に行くようになった12歳。
たくさんの人が同じ空間に一定時間いる電車の中がとても苦手だった。
だって、不細工な顔を人に見られるのが嫌だったから。
電車の中ではいつも下を向いていたと思う。
電車に乗り合わせる他校のイケメン学生にバレンタインチョコを渡す、などという甘酸っぱい思い出も、私には一切ない。
だって、いつも床だけを見て通学してたから。
高校生になるころには、母は私に「整形したら?」と言うようになった。
聞こえないふりをしていたので、どこをどう整形しろと提案したかったのは知らないが、たぶんこの低すぎる鼻のことだろうと思った。
校則違反のアルバイトを始め、私は整形するために貯金をした。
やるなら今だ、と思った高校卒業後の春。
茶封筒に30万円を入れて、私はついに整形外科へ行った。
診察室で先生は、手術の流れを説明してくれる。
「上唇と歯茎がつながっているところあるでしょ?そこを切って持ち上げて……」
え?いったん顔をはがすってこと?怖い……怖すぎる!
鼻を高くしてほしいと思っていたのに、その方法について考えたことがなく、事実を伝えられ始めたところで「無理!」と思ってしまった。
馬鹿な高校生だ。
先生の説明が怖すぎて、「持ち上げて……」以降の記憶が一切ない。
しばらく説明をしてくれていた先生が話に区切りをつけたとき、私は正気に戻り、再び先生の言葉が聞こえてきた。
「楽しみにしててください。あなた、とても美人になりますよ。整形手術ってね、すっごく不細工な人がやってもそこそこにしかならないんだけど、あなたみたいにそこそこの人がやると、すごい美人になれるから」
これ、どう考えても超絶失言だと思われるけれど、当時の私にとってはそうではなかった。
「先生、私ってすっごく不細工じゃなくてそこそこなんですか?」
先生は何も言わずに、「じゃあこちらへ」と手術室へ歩き始めた。
気付いたら先生の後ろ姿に向かって大きな声でこう叫んでいた。
「やめます!」
無理やり手術室へ連れていかれることはなく、私は整形外科を後にした。
とても怖かったから、というのが一番の理由だけれど、顔面のプロに「そこそこ」と言われたことが、私にとってはとても嬉しいことだったのだ。
「不細工だ」という思い込みを、「そこそこ」かもしれないと思えるよう、気持ちを整形してもらった。そんな気分。
この日の帰り、私は電車に乗り、下ではなく前を向いて座ってみた。
誰も私のことを不細工を見るような目で見る人はいないことに、驚いたりホッとしたり、とても気持ちが大きく動いた。
今までの自己認識が変わるほどに。
私の顔面に変化はなかったはずなのに、この日を境に母親から不細工だと言われることがなくなった。きっと母親も、つい言ってしまう自分が嫌だったのではないかと思う。
時が過ぎ、片目で2.0見えてしまう視力が自慢だった私の目は、手元のピント調節ができなくなり、眼鏡が必要になった。
レンズのど真ん中に眼球が来る位置に眼鏡をかけても、秒で滑り落ちてしまい、ザ!老眼鏡!の位置で眼鏡が落ち着く。
「あの時整形していたら、こんなに眼鏡がずり落ちることはなかったけれど……」
母親にかけられた一言で、悩んで下を向いていた子どもの頃の私に、「そのままで大丈夫だよ」と言ってあげたい気持ちになりながら、眼鏡を持ち上げる。
そして鏡を見るたびに思う。
私の顔って、母親そっくり……
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