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pasteltime
毒親サバイバーでヤングケアラーだった私には、「いる意味ない」という思い込みがあった。
私の母はリウマチで身体が不自由だったので、私は幼い頃から母を手伝ってきました。
母は日常生活の中で助けを必要とする場面がたくさんありました。
身の回りの些細なことから、家事の手伝いなど小学生の頃から多くのことを母の代わりにしていました。
母は思い通りにならない身体を持て余してよく愚痴を言っていました。
小学生の私には受け止めきれないことも多かったのですが、母の心に寄り添いケアをしていました。
色々なことを私なりに頑張っていたのですが、小学生の私にはできないことは多く「私は役に立たない。私には力がない。」という無力感を常に感じていました。
そして「私は役に立たないし、(存在して)いる意味がない」という思い込みになり、それはどんどん大きく育っていきました。
その思い込みが私の生きにくさの1つでした。
ですが、私が存在する意味なんて必要なかったんです。
意味なんかなくても私はここに存在している。
そして私と一緒にいてくれる人もいる。
私のいる意味は私が決めて良い。
私はお母さんが大嫌いです。
そして、やっぱり私はお母さんが大好きです。