ウルトラ・バブリー・ビッグP武帝と、素人っぽ過ぎるアイドル李広利による『ジェットコースター人生協奏曲』
ある歴史の中身は、「要はこういうことだよね」ということで、私なりに現代風にアレンジしてみました。
本日の主役はこのお二方。
前漢を最盛期に導きつつ、衰退させてしまった張本人武帝、と、低い身分から武帝にものすごく引き立てられたのはいいけれど無茶苦茶な企画を任されてやっぱり圧倒的栄光と挫折を味わってしまった李広利です。
本当に、軽い、くだらない、ノリに仕立ててしまっています。
失礼ながら、どうぞ。
ものすごい有名人気番組に、担当カリスマPとのコネでねじこんでもらいました。
が、周りはどう考えても、自分よりはるかにすごいやつバッカ。
でも、Pさんに「お前さんにぜひ売れてほしいんだよ✩」と、まだ素人同然の即席クルーをかき集められ、「こいつら引き連れて、一旗揚げてこい!」と肩をたたいて送り出されました。
行きついた先は世界でだれも知らないような異国の砂漠のど真ん中。
危険な妖怪や人食い狼もいっぱい生息しているということです。
この奥地の未知なる民族が代々守りぬいているという“お宝”を手に入れてこなきゃいけません。
あなたならどうしますか。
武帝と匈奴
時の皇帝は武帝です。
この時前漢は北の強大な騎馬民族国家匈奴に手を焼いておりました。
匈奴はなにせ、前漢が出来上がった時からの宿敵です。
あの高祖劉邦も匈奴に負けて一城に追い込まれ、危ういところを匈奴にたくさんの贈り物をして許してもらった、という過去があります。
以後、前漢は匈奴に対して、贈り物を与えたり、公女を嫁がせたりして、何とかことを荒立てずに済ましておりました。
ところが、果断な武帝はちがいます。
「やつらを討たねば!」
武帝はある時、匈奴の捕虜が
「匈奴によって先年滅多打ちにされた月氏が砂漠のより彼方に移って匈奴への復讐を誓っております。彼らはその仲間を欲しがっています」
と言ったのをまた聞きします。
すると、武帝は、張騫という男を、Dにして(選んで)、月氏への、生ロケを敢行しました(使者としました)。
張騫の大旅行
張騫は月氏に向かいますが、途中で匈奴に捕まります。
もちろん『撮れ高』を意識したわけでも、『やらせ』でも当然ありません。思いっきりガチです。
どうしようもなくここに居座るしかなくなった張騫は、やがて現地の女性と結婚し、子どももつくります。
こうして10年ほど匈奴で過ごしつつ、張騫は、健気にも祖国のビッグP(武帝)、からの使命を忘れず、ふと監視が緩んだすきに逃げ出し、月氏へといたりました。
ところが、月氏はもう匈奴と戦う気はありません。
仕方ないので帰りに着くと、その道でも匈奴に捕まり、再びずいぶんな苦労をしてやっと漢へと帰り着きました。
張騫は武帝に言った先々でのことをこと細かにいろいろとお話しします。
異国のことに好奇心旺盛の武帝は気に入ってどんどん「よりくわしい話を」とせがみます。
すると、その中で特に気になった話が、
「砂漠のはるか彼方に大宛という国があります。そこの馬はものすごい駿馬で、走ると血の汗をかきます。これを汗血馬といいます。」
武帝は「この馬を使えば、数字が取れる(匈奴をやっつけられる)」と踏んだのでしょうか。
ならば、と、早速「汗血馬を手に入れる特別チーム」を立ち上げることにいたしました。
李広利はもともと家族ぐるみの芸能一座の一員です。
これも『仕込み』ではなくガチです。
ただ、その一座で話題になっていたのが李行利の妹の美貌です。
すると、ある時、武帝が李広利の妹の“ダンス(舞い)”を目にし、「この娘を、大型新人アイドルとして売り出す(側室にする)」と突然申し出てきました。
とんでもない話があるもんだ、と驚いているとトントン拍子に話は進み、とうとう李広利の妹は本当に武帝の側室になり、その一族である李広利たちも漢朝廷に見る見る引き立てられてゆきました。
しかし、世の中ははかないものです。
妹はことのほか武帝に愛されたのに、二人の間に男児を一人もうけると、彼女は深く病床に就くようになります。
やがて彼女は武帝とも会おうともしなくなり、寂しくていたたまれなくなった武帝は
「なぜ、私と会おうとしないんだ」
と問いかけます。
すると、李夫人は
「今私のやつれはてた姿を見ると、陛下はがっかりして私の兄弟たちのことを引き立てることもやめてしまうでしょう」
と言います。
ほどなくして李夫人は亡くなり、武帝は彼女のことを想って、ある『目玉企画』を思いつきます。
「そうだ。大宛への汗血馬獲得プロジェクトを李広利にやらせよう!」
“弐師将軍”李広利、出立
こうして武帝は国中から、売れない芸人・俳優たち(ならず者、あぶれ者たち)をかき集めます。
その数、幾万かしれません。
カメラやマイク(ラクダや兵糧)もしっかり準備され、李広利は西へと旅立ちます。
与えられた『キャッチフレーズ』もとい、官職は“弐師将軍”。
大宛の都のある“弐師城”で伝説の名馬“汗血馬”を晴れて獲得して帰ってくるという『帯』を約束された“弐師将軍李広利”。
一見、むちゃくちゃな『企画』ですが、武帝はなんとこういう無茶な『新人発掘』をして『企画』の中で見事に育て上げたことが何度とある、物凄い敏腕でした。
はてさて、しかし、道のりははるかに遠いです。
長安の都から河西回廊を越えて、敦煌、玉門関、……。
この辺までくると完全に砂漠地帯、天に飛鳥なく、地に一木一草生えていない地が見渡す限り続きます。
途中のオアシス都市諸国は遥か遠くの国である漢のことをなめて、みんな城門を閉ざしたままです。
おかげで、延々と補給ができません。
やれやれ、こまったものです。
ていうか、李広利。今まで歌や楽器ならいくらでもあやつってきたけれど、戦争なんて鼻から知りません。知るはずもありません。当たり前です。
仕方ないので、とりあえずドンドン先に進むと、ドンドン兵糧がこころぼそくなります。
家来たちもみんなプロ意識の乏しすぎる数合わせの寄せ集め。
しかも、ほとんどみんな“いわくつき”です。
彼らは、チームの先行きが怪しくなるごとに、国の重責をほっぽらかして続々と逃亡。
気付けばもう八割がたいなくなっていました。
AD殿(参謀殿)は言います。
「閣下、間もなく兵団内で食料の奪い合いが起こる危険があります。すると最後です」
「最後とは?」
李広利は恐る恐る聞き返します。
「閣下の命も危ないということです」
李広利はすっかり青ざめて、仕方なく漢に引き返すことにいたしました。
そして、ようやく玉門関まで帰り着きます。
これほどのビッグ・プロジェクトをなし崩しにしてしまいました。
どうやって局(国)に帰ろう。
どうやってP(武帝)にまみえよう。
これまでは命さえ助かれば、とばかり気を取られておりましたが、ここまで来ると、今までどこかに置き去りにしていた憂鬱が急にこみあげてくるものです。
局の入り口の自動扉(玉門関の城門)をすべて閉ざしたまま。
それどころか、警備員たち(兵員たち)が物々しく、こっちに対して臨戦態勢を取っております。
そこへついに関門上の役人から武帝陛下による李広利らへの処分がついに伝達されることになりました。
その内容とはこうです。
李広利の捲土重来
武帝から李広利への下命はこうでした。
「軍、敢えて入る者あらば、すなわちこれを斬らん」
一歩でも入れば斬り捨ててやるぞ、ということです。
えぐいコンプライアンスです。
李広利なすすべもありません。
もう行き場がありません。
漢には帰れません。
しかし、この小部隊で兵糧もなくては大宛と戦なんてとてもじゃないけれどムリです。
そこで、李広利はとにかく玉門関の下に露営し、ただただ武帝陛下のお許しを待ちました。
砂漠のど真ん中。
夏の昼は四十度を軽く超える酷暑ですし、冬の寒さは底冷えして地面を凍り付かせます。
(一体何を思って俺たちならず者軍団はこんな異国の得体のしれない僻地のど真ん中で日々におびえ、肩を寄せ合っているんだ・・・)
やがて、武帝陛下から新たな命が下り、今度は、本格的な売れっ子の皆さん(プロフェッショナル師団)をつけ、しかも、ロケ車・カメラ・マイク・小道具(騎馬・駱駝・兵糧・武器)あふれまくりの超充実バックアップです。
歴戦のAD(参謀)たちもいっぱいつけてもらえます。
負けるはずがありません。
こうして、李広利たちは許してもらい、もう一度“弐師将軍”として西へと出立。
行く先々のオアシス都市諸国家もあの時とは手のひらを返してみんな城門を開け、補給どころか人質すら自ら進んで差し出してきます。
こうして大宛へといたった万全の大軍は“弐師城”を囲み、大宛を降伏させて念願だった“汗血馬”をまんまと供出させました。
“弐師将軍李広利”は晴れて、局の第一スタジオ(長安の都)に凱旋します。
武帝はこの結果に大喜びで、弐師将軍をレギュラー・タレント(“海西侯”)に封じました。
その後の李広利
李広利はその後、北の匈奴討伐に新たな企画ロケ(出征)することになります。
当然、その軍団にはあの天下無双の名馬“汗血馬”部隊もふくまれていたはずです。
しかし、その出征中に思わぬ疑獄事件が起こり、李広利の近親たちは激怒した武帝の命で次々に残酷に処刑されます。
匈奴への出征先で勝勢だったはずの李広利はこの事実を知って、軍事行動をやめて匈奴に投降。
そしてここでも李広利は、持ち前の『偉いさんに対するコミュ力』を見事に発揮したのでしょう。匈奴の単于(皇帝のようなもの)にとても気に入られますが、同じ漢人の降人によって妬まれて讒言され、処刑されることとあいなりました。
一方の武帝は、他にも身内や家来をたくさん巻き込むスキャンダルの果てに無実の人々への大粛清を行うなど、明らかに政治の精彩を欠いた末に程なく没しました。どんな時も、「はい、P(武帝)のおっしゃることはごもっともです」とおもねる人ばかりが侍るようになったせい、と言われるのは致し方ないと思います。
また、行き過ぎ・歪み過ぎた内需・外征政策から、豊かだったはずの国庫は窮乏し、次代からは緊縮的な方針に転換せざるを得なくなります。
当時の中華史上空前絶後の華やかさだった「前漢最盛期」はこうやって終わりを告げます。
歴史と言うのは、いつも哀しい色を帯びていると思います。そしてまた、今の我らと変わらず、彼らの確かに生きたという証から、必ず学び取るものがあると思います。