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「成田スイッチ」よもう一度

今、私は東京から離れた山奥の田舎町で暮らしている。

事情があって東京から離れざるを得なかったのだが、最初は田舎暮らしに慣れず手こずった。何が困ったかと言うと、大一番が「虫」。大の虫恐怖症の私は、小さなクモがちょこちょこ歩いてるだけで

「!!!!」

と言葉も出ず卒倒しそうになる。自然に虫はつきもの。彼らだって同じ生きものなのよ。とうそぶいてみるが、怖いものは怖い。最初の三か月ぐらいは

「どうしたら虫を無視できるのか」

とオヤジギャグみたいなことを真剣に考えていた。


だが、慣れというのは恐ろしいもので、三年経った今では部屋にゴキブリがいても、

「君はそこにいたのか。さあ好きに走りたまえ」

と余裕しゃくしゃくでベッドに寝転んで本を読んでいる。小さなクモで失神しそうだった私の、なんて素晴らしい成長ぶり。笑顔のオーディエンスに囲まれて拍手喝采されたいものだ。


手こずったもの第二位は「足」。交通手段のことである。車がないとどこにも行けない。車がない私は自転車とバス、電車(というか汽車?)で動くしかない。一日に何本かレベルしか来ない乗り物を待つのがもどかしく、

「私が運転するから汽車を動かしてくれ!」

と頼んでやろうかと思うほど最初はイライラした。

しかし、そのうちそういうもんだと慣れて来て、一日に何本かレベルに合わせて動けばいいと気付き、イライラも無くなっていった。


他にも手こずったものはたくさんあれど、だんだん馴染んできて、地元の人とも仲良くなり、それなりにユル~い田舎暮らしを送るようになった。


でも、去年あたりから、ムズムズするようになっていった。

「成田スイッチ」が目を覚ましたのだ。

日本海の田舎町に育った田舎者なのに、いや、田舎者だからだろうか。小さな頃から、大きい場所に出たいと思っていた。それも県庁所在地ではなく、もっと大きな、日本なら東京。そしていつかは海外へ。

20代から海外を旅しはじめて、30過ぎにニューヨークに行った。一番危険と言われた頃で、一緒に行った知人は通りすがりのアメリカ人にいきなり首を絞められ、

「金をよこせ」

とたかられた。1ドル渡して必死で逃げ、命だけは助かったが、怖くてガタガタ震えた。そんな怖い思いをしたのに、またニューヨークに行きたくてたまらない。

だけど縁があってイギリスに何度も行くことになり、ついには半年間住んだこともある。他にもインド、ケニア、タンザニア、シンガポール、マレーシアなどなど。せっせとお金を稼いではあちこち行きまくった。


そこで、「成田スイッチ」だ。

成田空港から出国ゲートを出た瞬間、私の意識はコロッと変わる。

「私なんか全然未熟でダメダメで。何もできなくてごめんなさい」

と卑屈に近い謙虚すぎる日本人を演じていたのが、

「ハーイ!このワタシが来ましたよ!レッツエンジョイパーティーしましょ!」

ってなノリノリ、グイグイの超前のめりでアクティブ人間に変身する。英語が下手だろうが気にしない。電車で横に座った外国人と目が合えばニコッと笑い、喋りまくる。外国人とコミュニケーションするのが大好きな私には楽しくて仕方ないのだ。

この調子で自分のアート作品を売り込んだり、有名デザイナーのパーティにしゃーしゃーと乗り込んでいろんなアーティストを紹介してもらったり。とにかく前に前に動きまくる。成田空港のゴミ箱に、日本人特有の謙虚さを無意識に捨てているのだろう。成田を出た瞬間に、私は別人に変身してしまう。だから「成田スイッチ」。


単に海外で羽根延ばしてるだけじゃん、と皮肉を言われることもある。現実逃避じゃないの、とも。何て言われようと仕方がない。海外にいる時の自分が心からのびのびしていて、何よりも「自分が自分を好きでいられる」のだから。「成田スイッチ」は私を縛る何かから解放し、自分を取り戻させてくれるアラームなのかもしれない。

今の田舎町に来て三年、私はゆるやかな暮らしの代わりに、「自分を抑えて周りに合わせる」「いつも他人様の目を気にして、迷惑をかけないようにする」「目立った言動や行動をしない」といった保守的なマインドに染まっていった。まず他人の顔色を見、変なことを言っていないかを気にし、噂にならないよう行動に気をつける。ここで平穏に暮らすにはそんな心がけが必要で、地元の人たちの大半がそんなマインドで生きている。コロナの今など、

「コロナになったら村八分」

「ひ孫の先の代まで呪われ、たたられる」

とほとんどの人が真顔で言っているのだが、どれだけ世間からはみ出るのが怖いのか、よそ者の私でも手に取るようにわかる。それでもここで生きるのが幸福ならそれが最高だ。私はそれを否定する気はない。何にでもメリット・デメリットはあるので、平穏な暮らしを得る代わりに、周りに合わせて自己主張を控えて生きるのは仕方ないのだろう。


でもそんなマインドが、私には合わない。

「成田スイッチ」が発動したせいだろうか。もうこの町を出る時が来たのかもしれない、と思うようになった。人の目を気にし、言いたいこともやりたいことも出来ず、どんどん自分が委縮していく。「私なんか全然ダメで」と卑下しまくる。私の思考が歪んでいるのかと反省し、改善を試みたが、やっぱり合わないものは合わない。改善にエネルギーを注ぐのが辛くなってきた。同じエネルギーを注ぐなら、「成田スイッチ」で私らしく生きる方に注ぎたい。

だからと言ってコロナの今、海外に行こうというのではない。私らしくいられる場所で生きられる日のために、今から準備をしたいと思うのだ。チャンスが来た時、いつでも「成田スイッチ」を発動させられるように。

「成田スイッチ」よもう一度。

私が私らしく生きられるために。




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