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無関心オットと戦うヨメ!㉑〜アスペルガー症候群って?③〜
こんにちは、戦うヨメです!
今回のタイトル画は秋の初めのとある湖にて撮った写真です♪
前回、私のオットへの怒りがやがて絶望へ変わり無気力になったエピソードを書きました。
今回はそこから私がどう気持ちを切り替えることができたか、のお話です。毎度のことで申し訳ありませんが、長くなります。
お時間のある方は読んで頂けると嬉しいです。
我が子との時間は幸せ。でも…。
オットに失望し家事を放棄したものの、長男のお世話はこの上なく幸せでした。
飼っている愛兎のびびよりも可愛い生き物などこの世に存在しないと思っていた私。
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しかしいざ我が子と対面すると…
「いや、いたわ…!」と笑
びびはうさぎ界で一番可愛いけれど、やはり我が子は別格。生まれて数ヶ月は日々顔が変わるし、成長も目に見えてわかるので大変さの中に何にも変えられない幸せがあります。
ただ、長男との日々は間違いなく幸せではあるけれど、狭い世界に2人きり…そんな気分でした。
私はあの日(前回の記事の件)からオットの事を考える事をやめてたので、目も合わせたくなかったし、会話もろくにしていませんでした。
それに対してオットは特に何も感じていないようでした。もうこれ以上傷つきたくなかった私は、そんなオットの態度についても深く考えないように、関わらないように努めて過ごしていました。
母親学級で出会った友人
そんな鬱々としたものを抱えながら日々過ごしていたある時、とある友人から連絡が来ました。
長男を産んだ産院では、妊娠中に母親学級というものがありました。妊娠6ヶ月頃から出産する前まで、月に1,2回通っておりました。
出産前に出産の時のことや産後のことを色々勉強したり、会陰マッサージについて学んだり。
あとは、妊婦さん達でただ悩みや不安などを共有したりする、そういう会でした。
そのクラスで出会い、意気投合して仲良くなったサエコさんからLINEが来ました。
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彼女は私より11歳年上でしたが年齢差を感じることは全くなく、とても気が合いました。
気さくで明るく、心地よい距離感の方でした。
もしも学校で彼女と同じクラスだったら、絶対同じグループにいたであろう同じ属性の人、という感じでした。
そして彼女と私には、話せば話すほどたくさんの共通点がある事がわかっていきました。
まず偶然同じ不妊専門のクリニックで顕微受精をして第一子を授かっていた事。
そして凍結胚がまだ数個そのクリニックにある事。
出産予定日が1日違いな事。
他文化に興味があり海外各地に友達がいる事。
写真を撮るのが好きな事。
そしてなんと、住んでる場所がかなり近く徒歩圏内でした。
初めて話したその日から仲良くなり、妊娠中も何度かお互いの家でお茶したりもしました。
長男は37週3日で生まれ、出産予定日よりも約3週早かったのですが、私が出産したその翌日にサエコさんも女の子(リコちゃん)を産みました。出産予定日が同じ時期だったにも関わらず、偶然2人ともかなり早く生まれたので、産後の入院期間がかぶっていました。私はそんな部分でも、彼女との不思議な縁を感じていました。
産院での朝食は選択制で、広間で食べるか自分の個室で食べるか選ぶ事が出来ました。
私は毎朝広間に行き、サエコさんと色々と情報交換やお喋りをしながら、楽しく朝食を食べました。
私もサエコさんも、産後の体調が良くなく入院期間が延びたので、どんどん親しくなっていきました。お互い見守りながら順番に沐浴させ、私がおむつ替えに苦戦して長男におしっこをかけられた時も、サエコさんと大笑いしました。
長男はすぐ足の障がいがわかり、想像していなかった事にショックを受けていた時、リコちゃんは黄疸になり別の病院に搬送されました。
2人で不安に押しつぶされそうになり泣きました。でも毎日励まし合い、そのおかげで前向きになる事が出来ました。
そんな日々は私にとって、とてもいい思い出です。
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そんな戦友でもあるサエコさんが、久しぶりにうち遊びに来ることになり、とっても嬉しかったのですが、私はハッと家の惨状に気づきました。
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オットとの事ですっかり無気力になっていた私は、しばらく家の掃除を一切していませんでした。ただでさえ普段から片付いていない家がゴミ屋敷のようだったので、大慌てで片付け(もとい別室に詰め込み)なんとか人様を呼べるレベルまでにしました。
午前中に、サエコさんがリコちゃんを連れ訪ねてきてくれました。近所のパン屋で美味しいパンと、これまた近所の美味しいケーキ屋さんで手土産を買ってきてくれました。
それを2人で食べながらルイボスティーを飲んで、それはもうノンストップでたくさんお喋りをしました。
サエコさんと大笑いしながらお話をして、並んで元気にパタパタ手足を動かしている我が子達を眺めていると、私の枯れきった心にどんどん水が降り注いできたような感覚でした。しぼんでいた根や葉に水が行き渡り、ピンっと張りを取り戻して復活したような、とても瑞々しく明るい気持ちになりました。
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まさかの更なる共通点
色々な話をしていく中で、サエコさんは15歳年上のご主人について話してくれました。
「家事も育児も言わなきゃ何もしなくて。
周りには言ったらやるならまだいいじゃんとか言われるんだけど…。でも言われた用事が終わったらすぐスマホいじるの。そういう父親って結構いるよとも言われるけど…。
そういうことじゃなくて、全てのことに無関心というか…。上手く言えないけど他とはなんか違うの。」
私は、驚きました。私の今抱えている、オットに対する悩みそのものだったからです。
サエコさんのご主人もオットも、入院中に毎日面会に来ていたので、お互いに面識がありました。サエコさんのご主人はとても気さくで明るい印象だったので、無関心と聞いて驚きました。
「それってサエコさんの旦那さんの話だよね?」
「そう。今旦那のことでかなり病んでる。」
「えー!私もだよ!」
私は病み病みスーパーMAXな時期だったので、
思わず大きな声で共感してしまいました。
「ヨメちゃんの旦那さん感じ良くて優しそうだったけど、病んでるなんて、喧嘩でもしたの?」
「そう見えるだけで優しくはないよ。家では何も喋らなくて無表情だし、うちも何事にも無関心なの。言えばやるけどってところ、マジで同じ。あなたの息子ですけど?って思う。」
サエコさんは私の話にとても共感してくれました。
彼女は個人でエステサロンを経営してもう10年になるベテランでした。ご主人は転職を繰り返しなかなか定職につかなかった事もあり、妊娠がわかってからサエコさんは自分の稼ぎからコツコツと養育費を貯めていたそうです。
サエコさんは出産の2ヶ月前に切迫早産で入院になってしまったので、出産に関する準備をしていなかった事もあり、様々な支払いに関する事をご主人に全て任せざるを得なくなり、自宅の通帳一式を保管してある場所と暗証番号を伝えておいたそうです。
母子共に長引いた入院を終え、ご主人の運転する車で無事リコちゃんを連れて帰宅すると、自宅には見覚えのないテレビやパソコン、大きな筋トレ器具(ルームランナーやエアロバイクなど)が、2LDKのアパートに所狭しと置かれていたそうです。子供部屋にする予定の部屋のど真ん中にエアロバイクが置かれており、その奥に追いやられるように、入院前にサエコさんが用意していたベビーベッドやベビー用品の棚がひっそりとあったそうです。
「え…」
リコちゃんを抱えながら、サエコさんは唖然としました。
「どうしたの、これ…。」
震える声で、サエコさんは聞きました。嫌な予感しかしなかったそうです。
「これ?どうしたってなにが?」
ご主人は平然と聞き返してきたそうですが、
わざととぼけてるのだと思ったサエコさんは無視して続けました。
「まさか生活費や養育費の通帳から使ってないよね?」
サエコさんは恐ろしすぎて聞きたくない、でも聞かなければならないと思ったそうです。
「え?何を?」
この期に及んでまだとぼけたような様子のご主人にイライラして、サエコさんは言いました。
「この見覚えのない運動器具やテレビを買うお金はどこから出したのかって聞いてるの!!」
サエコさんは吐き気を覚えなから、強い口調で言ったそうです。
「これ。」
ご主人はそう言いながら、3枚預けていたうちの1枚の通帳を差し出したそうです。
サエコさんはその通帳を見て、心臓がドクンと大きく脈を打ったと言います。
それは、サエコさんがコツコツ貯めた子供の養育費の預金通帳だったのです。
中を見ると、残高はわずか160円ほどだったそうです。
サエコさんはリコちゃんを抱いたまま、その場に膝から崩れ、泣きじゃくったそうです。
お金を使われた事ももちろん悔しいけれど、何よりも、生まれてくる我が子を思いながら貯めたお金や用意したベビーグッズ、それはサエコさんの愛情そのものでした。
それを踏み躙られた相手が、リコちゃんの実のお父さんである、という事実がなにより悲しかったそうです。
その状況をぽかんと見つめた後、ご主人はこう言ったそうです。
「使っちゃダメだったの?」
その衝撃的な発言に、サエコさんは言葉を失ったそうです。
「それでうちはもう冷戦状態というか、私がお前の顔なんか見たくねえわ!って感じなんだよね。リコは可愛くて毎日幸せなんだけど、なんかずっとイライラモヤモヤしてる。」
私はサエコさんのご主人の発言を聞きながら、
ああ、オットも言いそうだ。と思いました。
私も、サエコさんにオットとの現状や私の気持ちなどを話しました。するとサエコさんは涙を流して言いました。
「ヨメちゃんの気持ちがもう今の私とかぶりすぎて、辛くなってきた…。旦那同士の性格は違うけど、うちらが悩んでる根本的な原因は同じだよね。」
その言葉に、今まで我慢していた全てのものが爆発したかのように、私も泣きました。
「誰にも共感されないと思ってた。うちもそうだよとか、男の人ってそうだよねとかよく言われて。それとは違うのにな、と思いつつ、でもうまく伝えられないから、そうだよねって、いつも次の言葉を飲み込んでた。でも、明らかに違うよね、おかしいよね?」
私の言葉に、サエコさんは言いました。
「違うよ、絶対おかしい。わかってもらえない行き場のない気持ちすごくわかるよ。実は私もこの話自分からしておきながら、ヨメちゃんの次の言葉勝手に決めつけてた。みんなそうだよねーって言われるだろうなって。でももしかしたらわかってくれるかも、とも感じたの。フィーリングが合うなって会った時からすごく感じてたから、最後の賭けのつもりで話した。」
その言葉に、サエコさんも追い詰められていたんだと伝わってきました。
「話してくれてありがとう、本当にありがとう。」
私はサエコさんの手を握りブンブン振って言いました。
アスペルガー症候群…?
2人でしばらく旦那の有り得ないエピソードを愚痴ったあと、サエコさんは言いました。
「アスペルガー症候群って知ってる?」
私は答えました。
「聞いた事があるくらい。」
すると、サエコさんは話出しました。
「私も詳しくは知らないんだけど、実の兄に旦那について相談した時に言われたの。それはもうアスペルガー症候群だって。金遣いの荒さと言い見通しのなさと言い、もう絶対そうだって。前々から兄は、旦那の一方的にずっと自分の話ばっかりするところも気になってたんだって。」
「そうなんだ、アスペルガー症候群ってそういう感じなんだ。」
私は知らなかった、と思い目から鱗でした。
うちはどうだろうと考えてみましたが、オットはお金遣いは荒くないし(むしろ冷酷なほどドケチ)、一方的に話すどころか超がつくほど無口だから違うだろうなと思いました。
「色々タイプがあるみたいで、タイプによって傾向がバラバラなんだって。話を聞いてたらヨメちゃんの旦那さんもうちの旦那と発言似てるし、何事にも相当無関心だから、もしかしたらそうかもしれないよ。話が噛み合わなくてコミュニケーションがとれないのはうちも全く同じだし。」
「えっ。そうなの?」
「うん。発達障害の一種みたいだよ。」
私は衝撃を受けました。
オットにずっと感じていた違和感は、もしかしたら発達障害が原因かもしれないー…?
サエコさんは言いました。
「私が旦那に絶望して関わりたくなくて、完全無視しているのに、能天気に普通に話しかけてくるし、ようやく怒ってると気づいたかと思えば、なんで怒ってるの?俺はどうすればいいの?だって。」
サエコさんはため息をついて、話を続けました。
「もし本当に旦那がそうだとしたら、こっちが理解して歩み寄るか、それが無理なら別れるかしかないんだろうなって思う。」
私は、それを聞いて頷きました。
「確かに、私もそれは思ってた。アスペルガー症候群という見方は新しかったから目から鱗だったけど、でもずっと心の奥で、彼が変わる事は多分一生ないと感じてた。まるで話が通じないし。きっと私が諦めて合わせるか、別れるかしかないんだろうなって。それを考え始めると結局正解がわからなくなって疲れて考えるのをやめてた。」
もう一度向き合おうと思えた理由
どうすべきか2人で悩みました。藁にもすがる思いで、私はその場でアスペルガーについての電子書籍を検索し、購入しました。2人でどんな傾向があるのかを読んでみました。
そしてその内容に私達はとても驚いたのです。
この本を書いた人は私達の夫のこと知ってるの?これ絶対夫の本だよね?
と、サエコさんと私は思いました。
「疑問系で怒られてもわからないんだって、伝えたい事はメールとか紙に書き出したらいいみたい。口頭より活字で箇条書きにした方が頭に入るらしい。」
「抽象的な話は理解できないって書いてある。」
「文脈を読み取る事ができないから、
あの時もさー、とか話の流れで過去の話をされても、どの時のどの場面の話かわからなくて思い出せないらしい。」
「へぇ、私かなりNGなことしてた。」
「私も。」
こうして、しばらく2人でアスペルガー症候群について知識をつけ、それを踏まえた上でもう一度話し合いをしてみようという話になりました。
サエコさんと話して気持ちが晴れ、更に新しい角度からの見解を聞き、気持ちが切り替わった事もあり、私は前向きになれました。
かつては片思いから必死に実らせた恋。
惨めになるから考えないようにしていたけど、私には今でもオットへの愛はある。
そんなオットとの間に生まれた愛おしい長男。そして私たちはたくさんの辛い不妊治療を乗り越えてきました。もう一度2人で長男のために頑張れるのなら、そっちの方が絶対良いに決まっている。
そして、私はその日帰宅したオットをリビングのソファに座らせ、話があるけど、長くなるからわかりやすくする為にLINEで会話したいと伝え、一問一答スタイルで会話を進めて行きました。簡潔に、わかりやすく、感情の部分は絡めずに…。
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そうすると口頭で話す時よりも、何についての話なのか理解できたようで、時間をかけて読んだあと、これまたじっくりと時間をかけてオットの返答がちゃんと返ってきました。(それでも一行以内でしたが、大きな進歩)
一問一答を終えると、私からの要望もLINEに打ち込み、送信しました。
《家事と育児の私にかかる負担が大きすぎるから、オットは朝のゴミ出し、お風呂掃除、洗濯(洗う、干すまで。畳むのは私がやります)をお願いします。》
《はい》
《育児については、オットが家にいる時はおむつ替えを担当してね。あとは搾乳した母乳やミルクは哺乳瓶に入れられるから夫があげて。》
《はい》
オットは黙って上記のように一言返信してきましたが、そんな時もやはり無表情でした。
それ以外にも、細々した作業でやって欲しいことを箇条書きにして送りました。
そして私は、一生懸命寝ないで長男のお世話している時に関係ない顔でゲームをされると、とても孤独を感じるので辛いのだと伝え、ゲームはダメとは言わないけど、まずその前に家事や育児で何か自分で出来ることはないか考えて欲しい、それでもわからなかったら何かやる事はあるか聞いてほしい、とも伝えました。
もし今はないと私に言われたら、ゲームしてくる旨を言付けた上で、長男がいるリビングではなく、オットの部屋でならやってもOKという約束をしました。
(それも全部LINEに短く書き少しずつ分けて会話していたのでかなりの時間を要した)
こうしてLINEで話したい内容を送った結果、
オットは終始無表情で無言でしたが、LINEを通してすべての事を承諾する返信をくれました。
本当は事細かに言わなくても察して欲しい。
悲しい気持ちをわざわざ自分からこんなに詳細に指示しなければ配慮してもらえないなんて惨め。だけどオットはアスペルガー症候群かもしれない。そうだとしたら、オット自ら発信される言葉や行動など、今後もないのだろうと悟りました。
彼の気持ちを聞いても、空虚な瞳で無情なる言葉を返されるだけだ。わかってる。
オットといる限りこの寂しさは消えないのだろうな、と思うと胸がギュッとなりました。
それが一生続くことはとても辛い事ですが、得体の知れないモヤモヤと一生付き合うよりも何倍もマシでした。
これからも無関心な彼と関わっていこう決めたと同時に色んなことを諦めたけど、オットの事は諦めない。本来私はしつこくしぶとい女だと自負はありました。
2人にとって一番良い付き合い方を必ず見つけてやる。と心に決めました。
その日から、オットは私に言われた家事と育児が自分の役割と認識したようで、最初はLINEを見返しやる事を確認していましたが、やがてそれはオットの生活ルーティンに組み込まれ、忠実すぎるほどきちんとやってくれるようになりました。