狼がくるぞ
まともにSOSがだせるなら。
それを丁寧に受け止める人が悩める人のネットワークのなかにひとりでもいたなら。
私ももう還暦間近。
30年近く前の身内の死などいいかげん人生の1ページとしてヒモで閉じてしまうべきなのだとは思う。
しかしいまだにそのページは穴開けパンチで2穴あけたはいいが綴じ損ねてひらひらと床を舞ったり、ピンナップよろしく壁に貼ってみたり、折りたたんで封筒にいれて机の引き出しにしまってみたりまた出してみたりと所在なくとっ散らかっている。
それはひとえに姉のこの死が避けられたかもしれない説が直後から濃厚だったからだと思う。
近所にすむ伯母や上の姉の話によると眠れず憔悴しきっていた姉はなんとかして入院したいと思っていたらしい。
眠れると思い薬を一度に服用したこともあったということだ。
つまり、そのときの主治医は不眠に悩んでいた姉の病状について入院不要という判断を繰り返していたと思われる。それは症状に対する当たり前の判断だったのかもしれないが。
一度、私が一人暮らししていた町の高名な心療内科にみてもらったとき、
私も付き添ったのだが、長い長い問診票に書き込んだにも関わらず「なんでうちにきたんですか?」「どうしてうちをえらんだんですか?」としつこく聞いてきた。あのときのことはいまも忘れられない。威圧的におもえ、
心療内科というのはそういう、何らかの条件に叶わないとまともに話を聞いてもらえないところなのかもと思ったぐらいだ。
それから数ヵ月して知ったがその病院への通院もやめてしまって隣町の内科で薬を出してもらうことにしたらしかった。
専門医ではない医師が処方したものだ。
そこからさらにオーバードーズは加速したようだ。
昼間に眠ることが増え、首を吊る素振りなど不穏な行動が増えた。
首を吊るぞ。
手首を切るぞ。
家出するぞ。
その度に父は「バカなことをする暇があったら結婚しろ、仕事しろ」と追い詰めた。
本人にしてみれば父を始め遠くに暮らす姉と妹、そして親戚縁者は叱咤激励に終止しその病の本質から目を反らすばかりの無理解な輩だったことだろう。
いったいなぜ人は冷静さを失うとあり得ない手段に打ってでるのだろう。リスクをおかしてまで救済を求めるのだろう。
それこそが病なのだと片付けるには孤独が過ぎる。
大事なこと。
悩める相手をコントロールすることではなくて自分を一旦取っ払って相手を見つめること。
自分のなかにいつもその余白を保存しておくこと。
なのかな。