実写版「耳をすませば」 なぜカントリーロードではなくなったのか考える
※注意 ネタバレあり
実写版「耳をすませば」
ジブリ版とはかなり違っていました。
天沢聖司がヴァイオリン職人からチェリストになっていたり、月島雫が書いたはじめての物語を読む人がおじいさんから天沢聖司になっていたり。
そして、1番の違いはカントリーロードが翼をくださいに変更されていたことです。
耳をすませばといえばカントリロードでしょうよ。
なぜカントリーロードを使わなかったのでしょうか。
権利の問題などやむを得ない事情があったのでしょうか。
多くの方の耳をすませばの考察を見ていましたら、岡田斗司夫さんの耳をすませばの解説動画と出会いました。
この動画ではカントリーロードを軸にジブリ版の耳をすませばの考察がされています。
ここでポイントとなるのはカントリロードの歌詞とそのメッセージです。
カントリーロードの2番の歌詞を見てみます。
昔を懐かしんで思い出に浸るけど、昔に戻ることはできない。
明日になればいつも通りの今を生きていく。
月島雫と天沢聖司のような甘酸っぱい恋の思い出はよかったけれども今を生きていくというような歌詞なのです。
つまり、月島雫と天沢聖司の物語は過去の思い出であって、今は別の現実を生きていると読み取れるのです。
カントリーロードの歌詞を読むと、10年後を描く実写版耳をすませばではカントリロードを使わなかっかこともわかる気がします。
今回のストーリーでは、天沢聖司は昔を思い出して日本に帰り、月島雫にプロポーズしました。
カントリーロードの歌詞は合いません。
過去を懐かしむけど今を生きていく歌ではなく、困難を乗り越えてゆく歌の方が合うでしょう。
だから翼をくださいが実写版耳をすませばでは選ばれたのではないでしょうか。
きっと制作陣はこのような意図でカントリーロードではなく、翼をくださいを選んだのではないかと思います。
皆さまのご意見をぜひコメントください。
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