海外で育つ子どもが日本の小学校を体験したら④ 熱烈歓迎とお別れの涙
日本での学校生活を経験してみるまで、韓国で生まれ育った息子にとって、日本語を日常的に話しているとはいえ、日本は夏と冬に数週間行く場所であり、じいじとばあばがいる場所であり、それすらも、コロナで途切れた3年間で細かいことはもう思い出せないくらい遠い記憶になってしまっていました。
大人にとっての3年はついこの前だけれど、8歳だった息子にとっての3年前は5歳。人生の半分近いくらいの時間になります。
それなのに、ソウルでの暮らしで「日本人は~」と耳にする度に、「日本の人はいい人だよ!」と自信を持って答えていた息子。しかし、客観的に考えると、彼は日本の幼稚園も経験していないし、同じ年頃の友達といえば私の日本の友人の子供達や日韓家庭のお友達のみ。彼の知る日本人や日本社会はとても小さなものでした。
そんな中で、子どもなりに、彼の年齢に合わせた「日本社会」を感じてほしいな、と母は思っていました。
この記事では、その結果決断した、小2での4ヶ月の(夏休みを挟むので実質3ヶ月)日本の小学校体験の始まりの話を書きたいと思います。
様々な手続きを踏み、ランドセルを注文し、必要と思われる最低限の日本での学用品を揃え、コロナ禍での出発日の調整などもなんとか乗り越えて、日本へ到着。初登校の前日、先生方への挨拶に向かいました。
教務の先生から諸々の説明を聞いて書類に記入し、しばらく経つと担任の先生を紹介されました。先生は丁寧に教室まで案内してくださり、翌日歓迎会を準備してくださっているとのお話も。登校初日には私も付き添い、別教室で待機してから、先生と一緒に教室に向かうことになりました。
息子自身は、先生と母親の話を聞きながら、質問に答えるくらいでとりたてて言葉もなく、緊張している面持ちでした。
廊下を歩きながら、
「まぁ、普通に教室に来てもらっても構わないんですが、あんまり子どもたちが興奮して囲んじゃうと、ビックリしちゃうかもしれないのでね…」
ボソッと呟く先生。
興奮…?
その時は分からなかったのですが、翌日の初登校の朝。
先生と一緒に教室に向かう途中で、遠くから子どもたちの叫び声(?)が聞こえてきました。
「あ!ユウくん!」
「先生!ユウくんなの!?」
「ユウくん!ユウくん!」
「ユウくん!ユウくん!!」
た、たしかに興奮状態かも…。あっという間にわらわらと集まる子どもたち。こらこら~と制する先生。子どもたちに囲まれて見えなくなる息子。
積極的な子たちが息子の周りを囲み、右と左から手を引いて「教室こっちだよ!」と連れていき、「ここがユウくんの席だよ!」と座らせ、わぁわぁ質問攻めに。もう母の立つ位置からは、息子のツムジも見えない…。その間、息子は圧倒されたのか、一言も発せず。
近くに行けなかった子どもたちが(代わりに…?)私にも話しかけてくれて、ワイワイとした雰囲気の中でユウの日本の小学校体験が始まりました。
初日はお迎えに行ったのですが、同じ方向の子どもたちと一緒に下校するようだったので、少し距離を開けて後ろからついて行きました。
ポケモンTシャツを来て登校したユウ。韓国で毎日友達としていたポケモンバトルごっこを、早速日本のお友達ともしながら下校していました。
後ろを歩く別のお友達も、ユウの話をしているのが聞こえます。中には私に「ユウくんのママですか?」と話しかけてくれる子どもたちも。
「ユウくん、日本語ペラペラだったよ!」
「せっかく韓国語の挨拶勉強してきたんだけどな!」
意外とすんなり溶け込めたのかな~と安心したその時です。
「あ!班長抜かし!班長抜かししちゃいけないんだよ!」
という声。
どうやら、列になって歩く下校班の班長さん(裏返しの帽子が目印)の前をユウが通り過ぎたようでした。
言われてる意味が分からずそのまま歩くユウ。
「抜かしちゃダメだってば!」
「えーでも、知らないんだからしょうがないじゃん!教えればいいんだよ」
「ユウくんて、なんにも分かんないんだから~!」
ユウに声をかけて言われている意味を教えると、「あ、そうなの?」と班長さんの後ろに戻りました。なるほど。文化のルールを分からないってこういうことか、と思った出来事です。
きっとこの日、学校でユウは本当になんにも分からずポカンとしていたことでしょう。手取り足取り、給食のことやら掃除のことやら教わったんだろうと想像しました。
普通に日本に滞在することと、学校生活を体験することの違い。
それは、言葉だけでなく、目に見えない文化の様々なルールの中にどっぷり身を浸すこと。子どもの年齢に合わせた社会の中で暮らす、お客様ではない生活をすることです。
そこでどんな先生や友達に出会い、どんな出来事が起こり、どのように感じるのか。
それを事前に知ることはできないだけに、親心は様々な心配に揺れますが…。
日常会話と、先生の話が理解できるできるぐらいの日本語力を育てておくこと。
諸先生方とのやり取りなど通じて、できるだけウェルカムしてもらえるよう環境を整えること。
あとは、本人の力を信じて見守ること。
いつでも助けられる用意をしておくこと。
親にできることはそれくらいなのかな、と思います。
そして月日は経ち1年後の2023年、小3の夏。ユウは、一ヶ月の体験でまた同じ学校を訪れました。
同じように登校する前日、小学校に挨拶に向かう道で、下校途中の同じ学年の子どもたちとすれ違いました。
「あっユウくん!みんな、ユウくんが来たよ!!!」
わらわらと集まる子どもたち。囲まれる息子。前にも見たことがある光景。
体験入学の一ヶ月を終えて7月の終業式。先生へのご挨拶を兼ねて迎えに行くと、同じクラスのお友達が目を真っ赤にして泣いていました。
「ユウくん、すっかり溶け込んで過ごしてたんですけど、やっぱりもうすぐ帰っちゃうってみんなも分かってるんで、寂しくなっちゃって」と担任の先生。
「ほら!また来るって!」と泣いている子に声がけをしている先生。ボロボロ泣いているお友達と対象的に、なんだかケロッとしているユウ。
でもそのユウも、忘れ物を取りに行った放課後の教室で机を一つ一つ見渡し、「あ~、僕の名前書いた机、もうなくなってる」と呟いていました。
歓迎してくれたり、別れを惜しんでくれたり。
体験入学前には心配もあったけれども、そんな子どもたちや先生方に出会えたことが、何よりの宝です。
小2での4ヶ月の体験入学の最後の日、校長先生をお見かけしたので一言ご挨拶にとお声がけすると、「今日が最後ですか」と聞かれた後、「いつでも、おかえりなさいと言って迎えたいですね」と言ってくださいました。
その言葉は、母親である私にとっても、ずっと心に残る一言となっています。
ここからは後日談になりますが、つい先日、韓国での出来事です。
読書討論という小グループでの課外授業で、国際結婚家庭の子どもたちの困難や差別についての本を読む機会がありました。数日後、ユウがこんなことを言いました。
「ねえママ。本ってね、いつも本当のことが書いてあるわけじゃないんだよ」
「え、どういうこと?」
「あのね、この前読んだ本で、日本と韓国の家族(日韓国際結婚家庭)の子どもがいるんだけどね、日本では韓国人、韓国では日本人って言われて(それぞれ蔑称で呼ばれ)どっちの国でもいじめられるっていう話だったの。でも、ユウはさ、日本と韓国の子どもじゃん。だから分かるけど、本当はそんなこと、全然ないよ」
ユウがその日の活動で書いた韓国語の作文「主人公への手紙」には、こんな風に書いてありました。
なんだか、単純であっけらかんとした作文だなぁと感じつつ、そんな風に思ってるんだ、と微笑ましくなりました。
ユウが9才なりの実感を持って「そんなことは全然ない」と言ったこと、そこに全てが詰まっているような気がしました。
あの興奮の熱烈歓迎。お別れの日にはワンワン泣いてくれたお友達。
その体験が、彼の根っこのどこかに入り込み、栄養分となっていること。記憶は薄れていくかもしれないけれど、原風景として心の片隅に残ってくれることを願います。
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