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北日本文学賞二次通過作品「悲しいね、おかしいね」
こんにちは!
第59回北日本文学賞二次通過、三次落選した作品です。
家族の王道を描いているので、読みやすいと思います。
お時間あるときにぜひどうぞ!
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「今日も悲しかった。うん、悲しかったわ」
悲しい、は母の口癖になっていた。夕食後のお茶を飲んでいるときだった。
「なにが悲しかったの?」
「今日歩いてたら、高校生くらいの自転車乗った男の子たちに、邪魔ばばあって言われたの」
「それは悲しいね」
母はもう湯気を立たせていない緑茶をずずっと音を立てながら一口飲む。白桃風味の緑茶は、それを飲んでいないわたしのところまで白桃の匂いを漂わせている。
酸味より甘みのほうが強い白桃の香りは、緑茶と意外にも合っていた。
「六十って、ばばあって言われる年齢なのかね」
「六十っていうか……歩道歩いててそんな風に言われるのが悲しいよ」
母が“悲しい”を口癖にしたのは、父が亡くなった去年の春からで、それまでは母の口から悲しいなんて言葉をほとんど聞いたことはなかった。父が亡くなってからおよそ一か月たったころだったと思う。
“悲しい”
今日と同じくお茶を飲んでいるとき、あのときは白桃の香りではなく普通の緑茶だった、母は言ったのだった。
「邪魔だなんてね、歩いてるだけなのにね」
「悲しいね」
悲しいと言うと、悲しくないのに悲しいという気持ちがどこからか湧きあがってきて、本当に悲しみに巻きこまれてしまう。
父が死んだとき、少なくともわたしの前で母は涙を流すことはなかった。葬式のときだって、父が焼かれているときだって、母は喪主として凛とした振る舞いをしていたように思う。
涙なんかも見せず、悲哀を思わせる言葉も言わず、だから母は父の死を完全に受けいれているとばかり思っていた。父は死ぬ数か月前から寝たきりになっていて、突然の別れというわけでもなかったし、そもそも若いときから身体がそんなに丈夫でもなかったそうだ。
こんな言い方をしたらあれかもしれないけれど、“永遠の別れ”を予感しやすい人だったと思う。だからわたしも、父が亡くなったときは『ようやく楽になれたね』という気持ちが一番にでてきた。これでもう、入院しなくてもいいし、苦しい思いもしなくていいね、と。
母は冷めたお茶を電子レンジで温めなおす。さっきまで沈んでいた白桃の香りがまた復活して、わたしのもとにふんわりと流れてくる。母は「今度の週末どこに行こうか」と訊いてきた。毎週、というわけではないけれど、週末には母とでかけるのが習慣になっていた。
「どこがいい?」
「どこでも」
「悲しい思いをしなくてもいいところがいいと思わない? すごく楽しいところ」
父とは関係ないところか、あるいは父の思い出が濃い場所。
例えばよく三人で週末に行っていた海とか、デパートとか、よくランチを食べたレストランとか。母は、うーーん、とお茶を啜りながら考えている。わたしはちらりとリビングに面した部屋に飾られている父の写真を見た。一人で写っている写真で、わたしが生まれる前に撮ったものらしい。
死の影なんてなくて、白い歯を見せて笑っている。
「すごく楽しいところなんて思い浮かばない」
「水族館とか、映画館とか」
「どこでもいいから、週末までに考えておいて」
母は緑茶を飲みおえると席を立ち、さっさと父の写真の待っている自室へと行ってしまった。背中からは“悲しみ”が溢れでているように見えて、直視できなかった。
「父が死んでから、母が元気なくて。どこかに連れて行ってあげたいって思うんですけど、どこがいいと思いますか?」
仕事のランチの時間、先輩とお昼が被ったのでそれとなく相談してみた。食堂には人が大勢いて、コロナのころの静寂が嘘のように、今は随分と賑わっている。中庭の竹林の見える窓際の席を、勝手に特等席にしていた。
「んー、なるほどね。まあ、そりゃ元気なくなるよね」
三百円という値上げ時代の今にありがたい値段の焼肉定食はそれなりの味だった。
「父が死んだとき母が泣く姿一度も見なかったので、覚悟していたんだなって思ってたんですけど」
「そりゃ、親が子に涙を見せるなんて、何歳になっても嫌でしょ」
先輩はBランチのサバの味噌煮の骨を一本一本丁寧に取りながら、わたしを見て眉を上げた。
「そんなもんですか?」
「そりゃ、あたしにも三歳児がいるけど、やっぱり子どもの前では泣かないようにって決めてるよ。親が泣いたら子どもが不安に思うじゃん? 特にうちのはまだ小さいしね」
先輩は骨を取ると、まるで男性のように大きく口を開いて豪快に一口を食べる。味噌が口の端を茶色く染める。
「父が死んでから、“悲しい”っていうのが口癖になったんですよね」
「まあ……それが精いっぱいの感情の放出なのかもね」
「感情の放出……ですか」
母はわたしに直接涙を見せない代わりに、“悲しい”という言葉を使って心に溜まっている重りを少しでも軽くしようとしているのだろうか。母は葬式以来、父の話題を避けているようだった。父の親戚の話さえも。
わたしから話題を振るときはあるけれど、大抵は、ふうん、や、そう、で話を終えていた。
先輩はペーパータオルで口元を拭うと
「その、お母さんの好きなことってなにかないの? 若いころからやってたこととか」
「母は……登山が好きですね。でも、父が亡くなってからは、もうそんな体力ないって行かなくなっちゃったんです」
先輩はんー、と声をだしながら水を飲む。
「なるほどね……じゃあ、山にでも連れていってあげたら? 多分、体力ないっていうのは口実だと思うし。好きな場所に行けばなにか変わるんじゃないかな」
確かに、わたしが幼いころなんかは毎週のように山に行っていた母が急に行かなくなるなんて、今考えれば相当なことに違いない。
「うちの近所に小さい動物園あるんだけど、なにかあると子どもそこに連れていくの。機嫌悪くても、動物見るとあら不思議ってね」
「確かに……いいかもしれないです。山、誘ってみようかなって思います」
先輩は、うん、それがいいよ、誘ってみな、と口角を大きく上げて母性を存分に感じさせる笑顔を示した。こんなプライベートなこと相談しちゃってすみません、と言うと、いいよいいよ、こういう話も必要じゃん、ともう一度笑うのだった。
「先輩って、いい母親って感じです」
「全然、もうしょっちゅう喧嘩して大変よ。パパーパパ―って甘やかしてくれるほうに行っちゃうんだから。やってらんないよ」
「父親は甘いってよく聞きますよね」
「子どもが、これ欲しいって言ったもの全部買おうとしたりね」
「うちの父も同じ感じでした」
と言った瞬間、襲ってきたのは空虚だった。“同じ感じでした”。過去形でしか父を表現できなくなってしまっている。今までぼんやりとしか感じていなかった父の死が、“同じ感じでした”の言葉ではっきりとした輪郭を持ってわたしの前に現れたのだ。そう、わたしと母のいるこの世界のどこにも、父はもういない。小さい針が心臓に刺さり、痛みを感じた。
幼いころは商業施設が好きで、週末になるとよく父につれていってもらった。母ももちろん一緒だった。雑貨屋に行くと欲しいものがたくさんあって、でも母は滅多に頭を振ってくれないので父にねだった。母はベンチに座って呆れた顔でこっちを見ていた。これほしい、と言うと父はほとんど悩みもせずに「じゃあこれ買おう」とわたしのほしいものをレジに持っていってくれる。もちろんそんなに高価なものじゃなくて、せいぜい高くても千円くらいのものだった。買い物を終えると母が父に「また甘やかして」とよく言っていたのを覚えている。父はいつもなにも言わずに笑ってごまかし、わたしはその隣で買ったものを一人眺めていた。
ある日の夜、母はわたしに
「お父さんはね、子どもがほしくてたまらなかったの。だから甘やかしちゃうのよ」
と言った。
「だけど、甘やかしすぎだわ」
母はため息を吐く。父はまだ仕事から帰っていなくて、テーブルに並べられている皿はほとんどが空になっていた。車の停車音が聞こえると母は冷蔵庫から父の好きな刺身をだしてテーブルに並べ、わたしは玄関で父がくるのを待つ。仕事終わり、父はいつも甘いものを一つ買ってきてくれるのだ。
玄関のすりガラスに黒い影が現れるとわたしはすぐに扉を開け、父と顔を合わせる。
「さて、今日はなんでしょう」
言われて早速袋のなかを見ると、そこには食べてみたかった新作のコンビニスイーツであるレアチーズスティックケーキが二本あった。プレーン味とストロベリー味。
「うわあ、食べるの楽しみ」
母に見せると「また甘やかして」と腰に手を当て、父はははっと笑ってごまかした。
だいたい毎日がこんな感じだった。もちろん、常に笑い声があるわけではなく、ときどきは父と母のすさまじい喧嘩が起こることもあった。どちらも理性をなくし叫びあう。うわあああ、とほとんど泣かない母が涙を見せる瞬間でもあって、そのときわたしは自室にこもって喧嘩が収まるのを待っていた。
ふと気づくと、先輩が白米の最後の一口をちょうど口に含んでおり、周囲では何十人分の声が行きかっている。
「あれ、わたしなんかぼーっとしてました?」
「うん、してたね」
「すみません、先輩と一緒なのに」
先輩は笑って
「まあ、そんなときもあるでしょ。最近仕事も忙しいしね」
まだ四分の一以上余っている白米の半分ほどを強引に口にいれ飲みこもうとすると、米粒の一つがすとんと落ちていかずに喉に貼りつき咳がでた。「ゆっくり食べて」と先輩は水を汲みに行きすぐに戻ってきた。
「山では熊に気をつけなよ。最近、熊出没のニュース多いから」
「確かに多いですよね。温暖化が原因でしたっけ」
「ん、だったかな」
水をごくごくと飲む先輩の喉元が動いている。そういえば母がお茶を飲むときはいつもうつむき加減で、喉が動いている様子は見えない。見えるのは丸まった背中に、どこか遠くを見ているような目だった。静かに、まるで自分の存在を消すかのようにお茶を飲む母の様子を思いうかべると、今すぐに父のもとに行ってしまうのではないかと不安が、ぽっと夜の川に浮かぶ灯りのように浮かんできた。
家に帰ると、母はいつも通りに夕食を作っていた。
「さっさとシャワー浴びてきなさい」
一日で溜まった疲労をシャワーで流し、まだ濡れている髪をタオルで包んで母のもとに行く。すでに夕食はテーブルの上にあり、わたしは椅子に座る。
「ねえ、週末はさ、山に行かない?」
準備を終え座った母はわたしを見た。
「山って、どこに?」
「高尾山。ここから一番近いでしょ」
母は今度は目を丸くした。
「高尾山なら、何度も行ったことあるよ」
「そうなんだ。お父さんとは?」
母はわたしから視線を外し、夕食であるオムライスに目を向け「お父さんとは行ったことない。週末に三人で山に行ってたでしょ、あれくらいよ」
父の実家は山のなかにあった。コンビニもないし、ちゃんとした病院だってない、床屋が一軒、小さな商店が一軒、なぜか蜂蜜屋が一軒、他は全部住宅というような一言で言うと不便な場所だった。
父の実家のすぐ裏の山をよく三人で探索した。そこで採れた山菜を食べた。わたしはそのなかでもタラの芽が好きだった。でも、タラの芽のなる木は棘だらけだったので、わたしはあまり触れたことがない。父は棘のない部分を器用に摘まんで細い木を自分のほうに寄せて、タラの芽を採る。母はよく天ぷらやマヨネーズ和えを作ってくれた。
今の我が家の食卓には、山菜はほとんど登場しない。スーパーで買うことのできるカボチャ、ニンジン、ブロッコリー、キャベツ……、父がいたころとは随分と変わってしまった。父が好きだったホタテだってほとんど登場しなくなった。
また、ちくりと心臓に小さな針が刺さる。
「あんた、登れるの?」
「登れるよ。高尾山ってパワースポットにもなってるんだね。いい気をたくさんもらえるんじゃない。そしたら……」
“悲しい”っていう口癖も減るんじゃないかな、とはさすがに言えなかった。
「なに?」
「ううん、とにかくさ、行ってみようよ」
母は「まあ、あんたが行きたいって言うなら……」と千切りされたキャベツを一口分口にいれよく噛んで飲みこんだ。
夕食後、母がコーヒーを淹れているとき
「ねえ、今日は悲しいことあった?」
とはじめてわたしから訊ねた。部屋の空気が少しだけ母の心臓の鼓動によってはやまった気がした。思わず息を止めて母から視線をそらすと、笑っている父の写真がちらちらと視界にはいっくる。
「今日はね、スーパーに行ったらニンジンが三本で三百円だったの。数日前までは三本で百円だったのに」
「それは悲しいね」
と言うと母は「うん、悲しいよ」と頷く。
実は、と言い、今日先輩と所謂一般的なお父さんの話をしたときに、死んだ父のことを思いだしたこと、今まで感じたことのなかった悲しみが少しだけ湧きあがってきたことを話した。母は口元にきゅっと力をいれて、うん、うん、と頷いた。
「悲しいね」
「なんかね、本当にもう、この世界にお父さんはいないんだなって改めて思った、いや、改めてっていうか、はじめて思った」
母はコーヒーを啜る。今日は白桃の甘い匂いはしなくて、コーヒーのほろ苦い豆の臭いが漂ってきた。
「そういえば、お父さんってよく缶コーヒー飲んでたよね。あっまいやつ」
「あれね、あんなのばっかり飲んでるからはやく死んだのよ。挙句のはてに煙草だもの」
ブラックコーヒーの匂いが強まった。
「セブンスターでしょ、わたしコンビニ行くときいつもジョージアの青と水色の缶のやつ、頼まれてたよ。あと、砂糖がかかった甘いあんぱん」
「あんたが生まれる前から飲んでたよ、あの缶コーヒー、パンは知らないけど」
「そうなんだ」
「でも、ちゃんと豆から淹れたブラックコーヒーも飲むのよ、それだけにしてたらまだ生きてたかもね」
母はブラックコーヒーを見ながら笑った。
「面白いね」
「面白いでしょ」
わたしの知っている三十年分の父と、わたしの知らない三十年分の父は、そんなに変わりはなさそうだった。あの人はね、本当に食に関しては変にこがわりがあってね、それが健康的なものならまだしも、あんまり身体によくないものだから意味がないのよ、と笑う。三日月の形の目の奥に、しかしやはり曇りがかった風景が見え隠れする。
「まあ、とにかくそれで、お父さんのこと思いだして少しだけ悲しくなったの」
「そっか、確かにそれは……」
悲しいね、と母は言わなかった。言う代わりに、無言で肩と口角を同時に上げた。そしてコーヒーを一口飲んで、やっぱりコーヒーはなにもいれないのが美味しいのよ、この苦さがね、と言った。
土曜日、母に古着屋に誘われた。高尾山は確かに観光地になってはいるけど、山には代わりないんだから、装備はちゃんとしないと、ただのスニーカーじゃだめ、リュックだって登山用のやつで、あとあんたは体力あんまりないんだから、ポールが必要ね、と、一人で口からスイカの種をぷっぷっと吐きだすかのように話している。なにがはいるのかと言いたくなるほどの薄っぺらのリュック、普通のスニーカーよりも大分ごつごつとした登山用の靴。正直言うと、登山なんか爪の先ほども興味がないし、こんなものを買うくらいなら、お洒落なブランドもののワンピースを一着買うほうが物欲を満たせる。登山用の靴を試着すると、足がいつもの何倍にも重く感じられた。
「シャツはお母さんのがあるから。ポールはスポーツ店行かないとだめね」
と言う母は、古着屋をでると迷うことなく近くのスポーツ店に向かう。わたしは母のあとを追って隣に並ぶ。“悲しいね”と言うときの母の横顔と、今の母の横顔では赤と青ほどの差があった。面倒くさいと思いながらも、はしゃぐ心を抑えきれないといった表情に見えた。
スポーツ店の登山コーナーに向かった母は最新のポールを見て「わたしも新しいのがほしいわあ」と呟いた。母は持ち手がピンク色の女性的なポールを手に取り、まるで鑑定でもしているかのように眺めている。
これいいんじゃない、と今手に持っているものを渡してきたので、プラスもう一本を手にし「これ、プレゼントに買ってあげる。そろそろ母の日だし」と言うと「べつにいいのよ、そんな無理しなくても」と頭を振った。「いいから、プレゼントさせてよ」と二本をレジへと持っていった。
靴にリュックにポール、手に持っている袋は重い。店からでると母は早速新しいポールを使って歩いている。新しいおもちゃを与えられた子どものような笑みを浮かべている母からは、“悲しい”を少しも感じられない。
「どう?」
「うん、いいね。ありがとう」
わたしも伸ばすだけ伸ばしてみた。母と同じポールは、自分の手のなかにあるとまるで別のもののように見えた。
夜、母ははじめて“悲しい”という言葉を吐きださなかった。今日は普通の緑茶を飲んでいた。苦くもない、甘くもない、日本人の好みにちょうど合うのであろう香りが食後の空気を覆っていた。
「なんでお母さんって登山好きなの?」
「そうねえ、なんでって言われると……」
母はカップを持ったまま少し考えこんだ。
「秋になると発酵した葉とか、春になると芽がでる匂い、あとは音ね、朝露が葉に落ちる音とか、そういうのは山に行かないと感じられないの。まあ……あんたが興味ないのと同じようにお父さんも興味ない人だったけど」
発酵した葉、それに芽のでる匂い、想像してみたけれど、わたしの嗅覚は都会の匂いに慣れてしまっていて、自然の匂いを想像することができなかった。
「発酵した葉の匂いとか、分かるもんなの?」
「そりゃ、コンクリートに囲まれたこことは全く違う匂いがするものよ」
「想像しようとしたけど、全然分からないよ」
母は肩を竦めて「あんたはビルに囲まれたところが好きだからね」と口元を歪めた。「遠足で登山したけどね」百人の子どもたちが一列に並んで山頂を目指す。普段はコンクリートやせいぜい校庭の土しか踏んでいないわたしたちが、いきなり自然に放りこまれる。雨だったら温水プールの予定だった。水泳を習っていて泳ぎが得意だったわたしは、雨になってと心のなかで願っていた。けれど思いは届かず、雨は一滴も落ちてはくれなかった。晴れたのかそれとも曇りだったのかは思いだせないけれど、とにかく雨は降らなかった。
もう二十年ほど前のことだ。登山をしたという事実だけが頭に残っていて、そのときに感じた疲労や思いなんてのは一切覚えていない。
「明日ちゃんと登れるかな」
「行けるところまで行けばいいのよ。それに、半分まではリフトに乗ればいいの」
「それはいいね」
明日は朝はやくに家をでる予定なので、早々に布団に潜りこんだ。けれど寝られなかった。山に行くことへの不安か、それとも興奮か、どうして寝られないのか分からず、夜の静寂に耳を傾けていると、バイクが静けさを無遠慮に引きさく音がした。うるさいなあ、と思いながら身体の向きを変えた。開けていた目を閉じてなにも考えずにいると、そのうち意識は身体から飛んでいった。
次の日、朝の五時、まだ完全に空が明るくなっていない時間帯に、はやめの朝食を食べ家をでて電車に乗る。まだここは都会の匂いがする。数十分後には山のなかにいるとは思えないほどに、まだまだ空気は都会に染められている。わたしは母に内緒で父の写真を持ってきていた。母と二人で登山をするのではなく、“三人”で山の匂いを感じたい。父の写真のはいっているリュックを、わたしはそっと抱えた。
「ねえ、お父さんとの一番のエピソード教えてよ」
言うと母は眉をしかめて
「なんでそんなこと聞きたいの」
「なんとなく」
窓の外の風景は、いつの間にか緑が多くなっていた。
「聞きたいじゃん」
「べつにないわよ」
「いや、あるでしょ」
「そうね……強いて言うなら、あんたが生まれたときかな。こっちが引くほどに喜んでた」
「ええ、そういうのじゃなくて、二人の若いころの話とかさ」
母は「そんなの聞いてどうするのよ」と言って結局話してくれなかった。風景はより緑を増し、わたしの好きな都会の欠片もなくなっている。
「ねえ、めっちゃ山なんだけど」
「なに当たり前のこと言ってんの。山に向かってるんだから当たり前じゃない」
「なんもないよ。家と山以外」
「そりゃ、そういうところでしょ、山って」
高尾駅に停まると多くの登山客が電車に乗りこみ、一気に人口密度を増した。
高尾駅から高尾山口駅の間には二つのトンネルがある。一つ目のトンネルを抜けるとそこには想像よりも多くの家があって町を形成しており、二つ目のトンネルを抜けるといよいよ目の前に、これから向かう高尾山が威厳を漂わせて立っていた。
降車し改札をでると、ほとんどの人と同じように右方向へと歩みを進めた。蕎麦屋やお土産屋が軒を連ねていて、その先にリフトやケーブルカーの駅があった。確かにそこは山ではなく、“観光地”だ。
わたしたちはリフトを選んだ。いざリフトに乗ろうとすると、座るタイミングが分からず、速度を変えずに迫ってくる椅子に恐怖すら覚えた。大丈夫ですよ、普通に座ってください、という男性に、はい、と返事をして、恐る恐るリフトに腰を下ろす。その瞬間足の裏が地面から浮く。ふわっとなる。わっと声がでる。
「落ちないよね?」
「大丈夫よ」
母は笑った。はじめの一分はリフトの浮遊感に慣れるのに必死だった。少しすると周囲を見る余裕がでてきた。風が吹くと、木々の葉が大きくざわめき音楽を鳴らす。等間隔ではない木々が自然を強調している。脚を動かすとリフトが揺れ、心臓がどきりと鼓動した。
「登山もさ、楽しいって思いながらやれば、本当に楽しいって思える日が来るのかな?」
母は「さあ、やってみないと分からないね」身体を動かす。リフトが揺れる。
「なるべく、動かないでね」
「はいはい」
母が笑うとそれに合わせてまたリフトが揺れた。生きた心地がしなかった。
リフトを降りると、そこは観光地のようになっていて、店が数軒あった。とりあえずわたしたちは山頂を目指すことにした。
「三号路を通っていきましょう」
「三号路?」
「山をより感じられるコース」
人の流れから逸れて横道にはいると、人ではなく鳥の声が随分と大きく聞こえてきた。下から吹いてくる涼しさを持った風が気持ちいい。母曰く、ここは比較的楽なコースのようだけれど、すでにわたしの息は上がって額には汗が滲みでていた。途中、太い切り株があったので座って休憩した。木のざらついた感覚がお尻を通して伝わってきて、ちょっとちくちくした。思いきり息を吸うと、青臭さが身体中を巡った。
「秋には甘い匂いがするんだよ」
「甘い匂い?」
感じてみたいと思った。自然の甘い匂いって、どんな感じなんだろうか。
母の顔は常緑広葉樹の葉によるほのかな光によって照らされて、生き生きとしているように見えた。はあ、久しぶりの山はいいわね、と言った。
山頂に着く直前、壁とも言うべき階段が現れつい「うわあ」と声がでた。
「これ登れば山頂だから」
と言い、母が先頭をきる。母の背中を見ながら、ポールを頼りにして一段一段踏み、頂上に近づいていく。汗を垂らしながら、数分後、最後の一段を踏んだ。
「おつかれ」
母が「ほら、見て、富士山」と指さした先には、確かに奇麗な楕円錘をした山が見えた。
「ここからでも見えるんだね」
「こういうのが見たくて山に登るのよ」
空いているベンチに座って、母の握った塩むすびを食べると、家で食べるときの何倍も塩味を感じられて、白米と塩が身体に染みていくのを感じた。美味しい、と自然と声がでた。誇張でもなんでもなく、本当に美味しいと感じたのだ。
食べおえると今度は薬王院を通ってリフト乗り場まで行き、再び浮遊を感じて麓に戻った。
帰りの電車では、目を瞑って過ごした、というより目を開けていられなかった。家に着くとちょうど昼時だった。冷凍しているおにぎりを温めている間、母は「高尾山行ってよかったわ」と言った。
「どうだった?」
「やっぱり音と匂いがこことは全然違うよ。あんたにも山の音聞こえたでしょ」
「なんとなくね……。秋の甘い匂い、感じてみたいかも。また連れてって」
母は眉を上げた。
「お母さんとじゃない誰かと行きなよ、ていうか、あんたもお父さんみたいな人探しなさい」
「それはね、まあ、そのうちね」
母は「バカだね」と言った。バカだよ、とんでもなくおおバカものだよ、と返した。
夜、お茶の時間、母は“悲しい”を言わなかった。悲しい、という代わりに「可愛いね」と言った。テレビを見ているときだった。ちょうど子猫が五匹並んで寝ている動画が放送されていた。
「確かに可愛い」
母はミルクをたっぷりといれたコーヒーを飲んでいる。本当は砂糖もいれたかったみたいだけど、甘いのはやっぱりいやね、と言っていれなかった。ミルクだけでも十分甘いからね、と母は言う。
「お父さんはさ、特別甘党だったんだよ」
「そうかもね」
“悲しい”ではなく、今度は「おかしいね」、と母は口を開けてははっと息を漏らした。
了