出来事、人、本、ドラマ…他者を゙通しての自分の気付き
前回投稿したのは夏休みのはじまり。
毎日一緒に過ごす夏休みは今年が最後かもしれないから大切に過ごそうという想いを綴った。
暑さで市民プールが連日閉まるという異常事態も
振り返れば印象的でいい思い出になるんだろうな。
いろんなことをして、あっという間だった。
怒ったり反省したりと
相変わらず至らない母だけれど
思春期の表情を時折見せつつも
笑顔でくっついてきたり不満があってあたられると、つまりは心許せる存在ではあれてるかな?
と、ありがたい気持ちにもなるのです。
感謝 感謝。
台風ととにスタートした2学期も充実して過ごせますように。
そして私も一歩踏み出している!
踏み出すと、不思議と現状は変わっていないのに
良い方向に気が流れていくのを感じる。
苦しい時は本能にしたがって行動してみて
その時々の気の流れを確かめるのは大切。
それでも変わらない、違和感、苦しい時は
立ち止まるのも大いにありだと思う。
ところで夏休みに小1息子が読書感想文に選んだ
『葉っぱにのって』
という物語がとても良かった。
子どもにしか見えない葉っぱの妖精 "クルミ"
控えめで傷付きやすく、なかなか子どもに気付いてもらえないクルミがいつも1人ぽつんと過ごしている女の子に出会い、自分と似ていると感じて
仲良くなりたいと強く思う。
けれど、なかなか勇気が出ない。
うまくいかない。
やっとの思いで振り絞っても、
タイミング悪く何度も遮られてしまう。
ある時、女の子がケガをしてしまう。
妖精の仲間に応援を求め、女の子のために夢中で
お母さんを女の子のもとへ呼び寄せる。
無事、女の子のもとへお母さんを連れて行くと
女の子は仲間の妖精達と楽しそうに過ごしていた。
お母さんを見つけると途端に泣き出しかけていく。
クルミは安心して女の子を見送り、仲間の妖精達と「次はみんなで遊ぼう」と話して帰っていく。
クルミの勇気ある行動で女の子は笑顔になり
2人は仲良くなる
というのがよくありそうな結末だけれど、
そうではないことに
ほろ苦く爽やかな意外性を感じた。
安心したのはもちろんだけれど、
複雑な気持ちもあるんじゃないかな、と思う。
それでも爽やかなのは女の子のために無我夢中で頑張ったことと、お母さんのもとへかけていく女の子の姿を見届けることができたからではないか。
それができたのも仲良くなりたいと思ってからの
いくつもの行動があったからだと思う。
小さな行動が小さな変化を呼び、
波紋のように伝わっていくような。
また自分にできないことを軽々やってのける仲間をただ羨むのではなく、頼れるクルミに人間性(妖精性)としての強さも感じた。
理想の結果でなくても満たされ、温かい気持ちをもてることは素晴らしいと思った。
子ども達のおかげでさまざまなジャンルの本に触れられてありがたい♡
子どものころの私は読書する習慣はなく
するように言われる煩わしい物という印象が少なからずあった。
が、そんなことは全く言わない母が常に何かしらの本を読んでおり、読み終えた後「あぁー面白かった」と深く呟く様子は好奇心をそそられた。
夜お酒を飲みながら、布団の中、電車内、お風呂、私が学生時代に頭痛で気分が悪くなり途中下車したホームのベンチで静かに読書する母。
そんなこともあってか私も自然と図書館に通うようになり、子どもが産まれてからは「ミニ図書館」を自宅に再現するつもりで週替わりでいろいろな本を借りてきている。
子どもの成長にともない、絵本ばかりだったのが
図鑑、コミック、迷路、料理本、歴史、名作、小説とさまざまなジャンルになってきた。
まじめに勉強をしてこなかった自分を反省し、
少しずつ学校で習うものにも手を伸ばしてきたところ私が歴史にハマりつつある。
なかでも紫式部が密かなマイブーム
吉高由里子さんが大好きなのと、勉強のため娘と『光る君へ』を観始めたところ吉高由里子さん好きが増すとともに紫式部への関心が止まらず。
思慮深く創造的で才能溢れる方でありながら不器用さ、内向性、引っ込み思案な一面もあるようで魅力と親近感を感じずにはいられないのです。
また“我”でなく、“個”が強い人が好き
個がしっかりした人は無闇に他者を巻き込むことなく自分に素直な人。
過敏になりがちな私のセンサーを自然となだめてくれる存在であり、
そんな友人達に密かに(?)心を寄せている。
吉高由里子さんも私にとってそんな存在の1人だ。
出来事、人、本、映画などなどツールは様々
他者を通して自分を知ることに終わりはない。
変化していくのだから当然だ。
クルミが起こした小さな行動の波紋のように
私も気付きの連鎖がおきて穏やかでワクワクした
充実感を今、得ている。
あぁー、面白い。