夢のはなし。
おはようございます。
元々取っていた航空券でヨーロッパ旅行に行き、日本に帰ってきました。絶賛時差ボケ中のため、寝れなかった身体を叩き起こしてカフェに来ました。
リュック一つで行ってきてヨーロッパ内の航空費がかなり安く済んだのでこれもいつか記事にしたいと思います。
ワーホリの目的を語学だけにするな
イギリスに行くにあたって、何がやりたいか、語学以外の目的を持てと人生の先輩方に言われ、ここ数ヶ月内観の日々です。
私のはなし
東京に生まれ、母は専業主婦、父は経営者。自分で言うのもなんですがかなり裕福で愛にあふれた家庭で育ったと思います。
どこかのSNSでは人生Easyモードと言われるような。笑
なので母が亡くなる20歳の年まではバイトはほぼ禁止(母から紹介されたもののみ)でしたし、服すら自分1人で決めれない、みたいな私でした。
いわば過保護・過干渉の家庭だったのかなと思います。母なりの自身の経験を踏まえた教育方針だったのでそこに関して否定するつもりはないです。人生の約半分をかけて私のことを守り、育ててくれたことに感謝しています。
ただ、そうして育った私はやはり、自分1人で決断する力と、自分の気持ちを言葉にする力に欠けていました。制限されることに一種の慣れがありましたし、決断しない方が穏やかに時が進むので制限された中で自分にできることを考える癖がついてました。
その制限の一つには「母から一生離れられない」ということも心の中であったと思います。
そんな自分に気付いたのは17から始めた演劇のおかげでした。きっかけは3歳から始めたバレエを17で辞めたものの何かしら形にしたかったのと、幼少期からいわばスカウトにあう事が多かったからです。(今思えば安易だったなと思いますが)
事務所に所属すれば、送迎などもついていて、母が私から離れられるのではという思惑もありました。(実際はマネージャーさんが付きっきりなんてことは新人にはほぼありません。笑)
そうこうして芸能事務所に所属した私はバレエしかやった事がなかったので、演技のレッスンから始まりました。
演劇系の大学に通うことも考えましたが、1年後事務所に所属することを約束に1年間演技の勉強を無料で提供してくれるとのことだったので普通の4大に通いながら芸能事務所のレッスン生になることにしました。
演技のレッスンはとても楽しく、セリフの覚え方、体の動かし方、声の出し方、自分の魅せ方、など基礎レッスンの毎日でした。中高一貫校だった私は色んなバックボーンの人たちと出会えたのも新鮮でした。レッスン生の年齢は18~30代までで、中には高額な金額を払って参加している社会人の方などもいました。
1年後、無事卒業とともに事務所に所属し、いざ実践。そこで気付いたのですが、私は感情の引き出しがプロの方々には到底及ばなく、またそれを表に出すことも苦手だと。
19になった私はその原因を今までの人生経験の浅さのせいにしました。人との衝突を避け、相手に責められていると感じるとだんまりを決め込んでゆっくりとその人の前から消えていく。そんな自分の人との関わり方を。
その自分を変えなければと、喜怒哀楽全ての感情を俯瞰視する癖がつきました。怒りを感じたからその人を避けるのではなく、怒りを感じた時点で、自分の体にどういった変化が起きているのかを内観する。というような。笑
少し変態だったと思いますが、その癖のおかげで怒るのも悲しむのも悪い感情じゃないなと思えるようになって少し楽になった気がします。
演劇(drama)は自分と向き合うきっかけ
この自分の演技をどう変えるか悩んでいた時に今の夢の根源に出会いました。ここまで長くてすいません。
事務所の先輩にメソッド演技が学べるとおすすめしてもらって3ヶ月間のワークショップに参加しました。
ワークショップの内容は台詞を読んで実践することよりも、相手の言葉を受け取ってから自分の言葉を発する訓練と、自分の感情と身体の状態を一致させることが主だった気がします。
また、参加者同士で人生において大切な人の話をしたり、その人へ架空の手紙を書いてみる、なんてこともしました。
そのワークショップの後に、舞台の仕事が2本入り込んできて、また母の癌が再発し、母は入退院を繰り返すようになりました。私は20になってました。大切な人もできました。今思えば人生の転換期だったと思います。
この経験を経て、演技が上手くなったかどうかより、自分自身が楽になったのを感じました。無意識に押し殺していた感情を表現すること、相手の言っていることにフィルターをかけないことの大切さを学びました。
それを最も感じたのは、怒り狂う母に自分の言葉ではっきりと対抗できた時でした。いつもは逃げることしかしてなかったですが、「そんな怒り狂うことをしたからと言って私が変わるわけではない」とそんな感じのことを言えたと思います。一瞬だけ怒り狂う母の動きがピタッと止まったのを覚えています。(その後ビンタされましたが。笑)
その後、母はケア病棟へ入院し、元々末期癌だった母は亡くなりました。最後まで身内全員に怒り続ける正義感の強い母でした。
まだ皆さんが理解できるようなはっきりとした説明は全くできませんが、私は先述のワークショップのおかげで、母と向き合うこと、母の死を受け入れること、自分の人生と向き合って自分で決断すること、ができるようになった気がするのです。
この経験を世に広めたい。
だからドラマセラピー、もしくは演劇教育をイギリスで学びたいと考えています。
学ぶにあたって色々な弊害はもうすでに見えているのですが、自分のペースで一つずつクリアしていこうと思います。
クリアできなかった時は思考を柔軟にして、少しでもそこに近づけるような道を選びます。
以上!笑