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【自己紹介】ファイナンシャルコーチの私が七夕を一年で一番大切にしている理由

人生の可能性を広げるお金の専門家
ファイナンシャルコーチの佐藤ななみです。

本日7月7日は、七夕ですね。
私にとって七夕は、お正月よりも大切な年中行事。
毎年、気の置けない仲間と集まって『妄想族七夕集会』と銘打ったイベントを開催、お酒を飲みつつ短冊を書く会で盛り上がっております。

どうして七夕がそんなに大切? って不思議に思われますよね。
今日は、自己紹介を兼ねて、私が七夕にかける想い(笑)などを綴ってみようと思います。


原体験は中学3年生

七夕の起源は中国の伝説にあるようですが、私にとっての原体験は、中学3年生のときにクラスで作った七夕飾り(遠い目…)。ひとり2枚ずつ書いて笹に結んだ短冊にあります。
中学3年生といえば、高校受験を控えて、わかりやすく願い事ありありな時期です。
ここで私が書いた短冊は「〇〇高校に合格しますように」ではなくて…

高校生になったら

ところで私、小学3年生の時から近所の道場に週3で通う空手少女でした。大会に出れば上位の成績を収め、それなりに自信があったオテンバ娘です。
中学校には空手部がなかったので(まあ、あんまりないですね)、陸上部と道場を掛け持ちしながら、高校に入ったら空手部に入部して全国でバリバリ活躍するというイメージに心躍る日々を過ごしていました。

それというのも、当時、地元熊本には全国大会で何連覇もしている空手の強豪校がありまして。入部すれば活躍できない訳がない!と深く信じておりました。今思えば、ナカナカ単純な思考回路です。
もちろん!第一志望はその高校。第二志望も同じく。そして第三志望も…以下同文。
もはや、志望校に合格するとかしないとか、そんな次元ではなく、入学して空手部に入部したその先を妄想している夢見る夢子ちゃんでございます。

短冊に書いたのは

そのようなバックボーンを持つ中3の私が、短冊にしたためた言葉は
「国体出場」「目指せ!日本武道館」の2つ。
もちろん、何をどうやったらそこに辿り着けるのか、具体的な方法などわかるわけがありません。高校生になったら必然的に道が開ける!としか思っていない。やっぱり単純

高校生活のスタート

それから9ヶ月後…無事に第一志望の空手強豪校に入学!…ではなく、私は、大学進学に熱心な公立女子校の門をくぐっていたのでした。あれ?
いえ別に、入試で不合格だった訳ではないですよ。
実は、出願を目前にしたタイミングで、その強豪校の顧問の先生が郡部の高校に転勤になられるとの情報が入りまして。さすがに遠すぎて通えないということで、急遽の進路変更となった次第です。
そうなると、もうぶっちゃけ学校なんてどこも同じ(そんなはずないけど当時は…ね)。学力的に入れるところで通学しやすいという理由で、母校が母校になりました。

入学してふと気付くと、そこは学業優先の進学校。空手部もない、練習場所もない、指導者もいない。シ、シマッタ
それでも空手を続けることを諦められない私は、ブッ飛んだ策に出ます。

目指せ!スーパー女子高生

当時、自宅から見えるほど近くに大学があったのですが、偶然にも、そこは全国屈指の空手の強豪校でした。
全国区の大学生に混じって稽古をさせてもらえたら、もはや高校レベルを飛び越えてスーパー女子高生になれるんじゃね!?
トンデモ妄想炸裂です。
そして父親に連れられ大学顧問の先生を訪ねると…

師匠に言われたのは…

「君ね。大学の空手部というところはね、歯が折れたり、鼻が折れたり、アゴが折れたり。そういうのが日常なんですよ。高校生の女の子を預かれるはずがない」
そのような言葉だったと思います。即座にお断りを受けました。言われてみれば、そりゃそうだ。
まあ、イマドキの大学空手部がこんな感じかどうかはわかりませんが、いかんせん昭和の話ですし、そもそも格闘技ですし。
わたし、甘い!の一言ですね。

「ただ君が、形(かた)をやるなら週に1回通って来てもいいよ。普段は自分で稽古なさい。ここでその成果と次の課題をチェックして、また一週間、自分で稽古する。そういう形だったら指導してあげるよ」
そんなありがたい救いの言葉に、私は目の前が真っ暗になったのです。

そして始まった空手生活

そもそも、学校に練習環境がないのであれば、また出身道場に通ったら?と思った方もおられることでしょう。
私の中にその選択肢がなかったのは、(ひとりで演武する競技)ではなくて組手(1対1で戦う競技)の選手として活躍したかったからです。
出身道場では小中学校の間、安全面から形しか稽古しておらず「組手は高校でやりなさい」という方針。高校生になって、やっと組手をやれると思ったのに、その願いは二度三度と見事に打ち砕かれたのです。

とは言え、当時の私にとって、もはや形しか空手を続ける道は残っていませんでした。
泣く泣く指導をお願いして(完全に間違ってますけど、当時の気持ちをお察しください)、毎週水曜日、帰宅後に大学の道場に通う日々がスタート。
水曜日以外は、あるときは放課後の教室で机を移動させて、あるときは校舎の間の渡り廊下で、またあるときは屋上の片隅で、ひとり形の稽古を重ねる日々でした。
そういえば稽古中、陸上部の先生にスカウトされたことがあったなぁ。
「君は走れるよ」なんて言われたけど、それ、知ってます。

念願の国体へ

そのような日々を積み重ねて、九州大会やインターハイにも出場。国民体育大会には、高校3年生のときに第43回の京都大会で出場を果たすことができました。夏にはソウルオリンピックが開かれ(40代後半以上の人はギリ知ってる?)、体操の池谷・西川コンビが一大旋風を巻き起こした1988年のことです。
ここで重要ポイントなんですが、もし私が組手の選手として活躍していたら、国体には出場できていませんでした。なぜなら当時、国体の出場種目に女子の組手はなかったからです。

そして、あらためて。
それもこれも、何の責任を負う筋合いも、労力をかける必要もない、ただの近所の女子高生だった私に熱心にご指導を続け導いてくださった恩師のおかげです。今でも深く深く感謝しています。先生、本当にありがとうございました。

というわけで、短冊に書いたことは叶うんだ!ってこと、わかっていただけました?
そうなるまでの間、日々の生活や稽古の中では、もちろん短冊のことなんかすっかり忘れちゃっていましたよ。
それでもOK!なのが短冊の威力。これが私の七夕の原体験です。

日本武道館の件

そうそう。日本武道館はどうなった?
それ、私もずっと気になってました(笑)
といいますのも、現役の間に日本武道館につながる試合そのものと、ナカナカ縁がなかったのですよね。

「武道館はもう来ないのかなぁ」なんて、長いこと頭の隅で消えずに残っていたもう一枚の短冊については、なんと!地域の子どもたちを指導していた37歳だったか38歳だったか(うろ覚え)になって、突然叶う日が訪れたのです。
それは、子ども達を引率するついでに「私も久しぶりに出てみよう!」のノリで出場した流派の全国大会でした。

出場要件は、現役の頃のように「厳しい地方予選を勝ち抜いて」というものではありませんでしたが、それでも日本武道館で試合をするには、前日に浦安市の体育館で行われた予選を勝ち上がる必要がありました。
ちなみに大会成績はベスト8。「第5位」の賞状をいただいて「なるほど!ベスト8って5位なんだ!」と思ったことを覚えています。

今年も盛り上がります♪

さて、冒頭でお話しした妄想族七夕集会の副題は
~本気の短冊書きに来いや!~ です。
※決して暴走族の集会ではありません。

今年も盛り上がる予定ですが、嬉しいことに、メンバーみんな欲張りなので、150枚の短冊(約10名分)が足りるかどうか心配。
「去年、なに書いたっけ?」(酔った勢いで書くので忘れてる)
なんて言いつつ前の短冊を振り返り
「あ、叶ってるね」なんて展開になるので書かなきゃ損!

よかったら…あなたもぜひ、本気の短冊を書いてみてください。
このとき、短冊の文体は「〇〇する!」がお作法(誓いだから)。
書いたら叶うことは、私が既に証明済です。


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