【コラム】アーリーリタイア(早期退職)するということ
いま私は56歳。
去年9月末、55歳で関西のテレビ局を早期退職して、JICA海外協力隊のシニアボランティアとして南米のウルグアイで合気道を教えている。
JICAのボランティアといっても活動形態はいろいろ。事務系・技術系で派遣されている人は、定時に自治体やNGOのオフィスに通っている人が多い。
一方で、スポーツ系は派遣先の練習時間がどう設定されているかによるので千差万別だ。私が派遣されているウルグアイ合気道連盟は個人経営の道場の集まりで、一般の方々が稽古の対象となるため活動時時間は基本的に夜。だから昼間は自由に過ごせる。
首都モンテビデオの海岸(実際はラプラタ川の河口)の景色を眺めながら、散歩をしたり音楽を聴いたりしていると、実態としては日本でアーリーリタイア生活をしているのと変わらない生活リズムなんだろうなと思う。
早期退職という選択
早期退職をした理由はいろいろある。
以前からJICAの海外ボランティアに興味があったこと、会社組織の面倒くささにもちょっと辟易していたこと。そこにコロナ禍と父の死が重なった。気が付けば会社や大学時代の先輩(あるいは後輩)が健康を崩したり亡くなったりという事も起こって来た。
会社では普通にやれていたし、スキルもあったが、「体力があるうちにやりたいことをやらんと後悔する」と思い至った。
前提条件は「経済面」だが…
早期退職するにあたり、ネットで一番調べたのは経済面だった。
早期退職すれば給料はもらえないし資産は目減りして行く。60代で年金をもらい始めるまでどんなふうに資産が変動するのか?エクセルで試算した。JICAで派遣されている2年間は現地の生活費が出るのでそれも考慮に入れた。
あたり前の話だが、経済面でのハードルを越えられるか?が最大の関心事だった。
そして実際に早期退職してはや半年、地球の裏側とはいえアーリーリタイアに近い生活を送っていて…
ここにきて「なるほどなぁ」と理解できたことがある。
アーリーリタイアとは、経済的な面を除けば、
「時間を手に入れ、名刺を捨てる」
という行為なのだと。
「時間」という資産
会社という組織は、個人の行動・生活を制限する。リタイアしてそれらの制限がなくなると、時間はどのように使ってもいい。
朝起きる⇒何時でもいい。
朝ごはん⇒何時でもいい。
午前⇒何してもいい。
昼ごはん⇒何時でもいい。
午後⇒何してもいい。
(以下、繰り返し)
メッチャ自由だ。
時間という資産を有り余るほど手にした「大富豪」になる。
なんと贅沢。
でも、この資産。使い方がわからず持て余すようになると、とたんに重荷になってくる。
ときおりネットで「リタイア後の生活が苦痛」なんて記事を見かけるが、私もウルグアイに来てスペイン語が分からない中、最初は昼間に何していいかわからなかった。
こういう時、会社にいれば仕事という「時間つぶし」がある。やりようによっては生きがいにもなる。経済的な理由以外で定年後も働く人がいるのもよくわかる。
幸い、私は合気道を教えるというJICAの活動があり、スペイン語も含めそのための準備に時間を費やすことができている。ネット環境が整っているウルグアイでは映画や日本のアニメ・ドラマを見たり電子書籍を楽しむことも可能だ。こうやって発信する作業も楽しい。
アーリーリタイアによって手にする莫大な「時間」という資産をどう生かすか?そこがアーリーリタイアを楽しめるかどうかの分岐点になるのだなと思う。
「名刺」というご褒美
一方で、これまで名刺に書かれていた「〇〇テレビ××部の△△さん」という肩書はなくなる。それに伴い仕事上の打ち合わせ・会議といった「無理やりでも人と会う」といった機会が極端に減ってくる。
これが何を意味するか?それは周りから「生身の自分」で判断され、「生身の自分」の人間性でコミュニケーションをとらなければならない。ということだ。
サラリーマンは会社組織に「時間」を差し出すことで「給料(時給とは限らない)」を得る仕事だ。その仕事を円滑に進めるツールとして会社は地位・肩書というものを与えてくれる。名刺はその象徴だ。
もし、人生をサラリーマンとしての肩書だけを頼りにして生きてきたとすれば、そのままでのリタイアは勧めない。
リタイア前に「そうではない自分」を築いておくことが必要だ。
今さら「築く」のは難しい?だったら言い方を変えよう。
「気づく」ことが必要だ。
それは長年やっている趣味や特技、あるいはサラリーマンとして培ってきたスキルかもしれない。それに「気づき」、伸ばせばいい。
あなたは何本脚で生きてますか?
早期退職を考えた時、私は人生において会社の肩書以外に、自分を支える「脚」が二本あった。
ひとつは会社で培った、著作権法・企業コンプライアンスの専門家。
もうひとつは、合気道。
このどちらかの脚であれば、会社の肩書という脚を捨てても社会の中で立つことができると思っていた。どちらもなければたとえ経済的に余裕があっても、会社に残っていたと思う。
そして時間。
JICA海外協力隊に応募し派遣されることで、私は二年間というかけがえのない時間を手に入れ、過ごしている。
逆にこっちでは楽しめないこともあるので、任期が終わって日本に帰ってからやりたいこともたくさんある。
どんなことでも「楽しむ」という気持ちがあれば時間はあっという間に過ぎていくのだと思う。
会社にいた時もっと「楽しむ」気持ちがあったら…とも思うが、そこは私自身の修業が足りなかったので仕方がない。
最後に…
note初めてしばらくたって、そろそろ、JICAやウルグアイのこと以外も書いてみようと思いました。
いま、サラリーマン生活していてストレス溜め込んでる人からしたら「ふざけんなよー」って思うかもしれませんが、去年までの私の経験でいうと、こういった体験談を見て「こういうの、ありかなー」って遠い目をするのも割と楽しかったように思います。
そこそこ順調なサラリーマン生活を投げうって南米に合気道を教えに来ている変わり者の独り言が、誰かの夢につながればいいなと思います。
ではまた次回。
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