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20つ目のあじ(ハッピースタイル) "はぴすた"最大のピンチ。ピロザンギ団の罠が襲いかかる!(後編)

まず前編からどうぞ

【重要】今回出てくるフレーバーについては現在販売を終了しています。


「はあああああああああああああああああああああああああああああああ!?」

前編で書いた通りに俺の予想はピタリ当たった。
ただ、その内容が想像以上だった。

「ピロザンギハッピースタイル」

「ハッピースタイル」

「ハピスタ」

「はぴすた」

わざわざ説明するのも恥ずかしいが、どこからどう見てもこのザンギの名前の出所は・・・言うまでも無いわな。

このツイートが出た時間が新札幌ピロザンギの開店1時間ほど前。
札幌ドームにてサッカー観戦中の俺がコンサドーレのユニフォームよりも顔を真っ赤にしたのも、言うまでも無いわな。

そうこうしているうちに、他のピロスアカウントからも発売ツイートが上がる。

ここまでドッキリかけておいて名前間違えるなよと思ったし、

アンタなんでそんな冷静に告知してんだよとも心の中で突っ込んだ。


まあ、何はともあれありがたい話だ。
せっかくなので、ここで「はぴすた」と言う名前の由来について語らせてもらおう。


1982年5月14日、とある家庭の末っ子として苫小牧の病院にて産声を挙げる。
3歳の頃実家の2階にて家族に囲まれてた時が最初の記憶。4歳の頃に幼稚園に通いながら親がこっそり俺の精神鑑定のためにそれらしき施設に通わせていたらしい。


サクナ「はぴすたさん、突っ込む人がいない状態で生い立ちから長々と話すボケはやめて下さい!」


悪ふざけもこれくらいにして、ちゃんと話すか。

2004年、プロ野球再編騒動の流れでライブドアブログを知りアカウントを作成。
そのアカウントの名前に「happystyle」と名付け、ブログを通じて交流していた人から「はぴすた」と略された。
以降、
とある有名掲示板でのネットラジオ配信や、とある笑顔な動画でのコメント職人
、サービス終了したソーシャルゲーム等でこの名前を常に使い続けた。


足掛け18年。
ネット上での俺の名前であり、時にこっちの人格に本来の俺が乗っ取られているような状態もあった。

俺の名前がこんなことになるだなんて。
そんなことを考えているうちに、

逆転負けくらってました。

この記事を書いている2022年12月の時点ではまあJ1残留出来たんで笑いのネタにはできますが、残留争い真っ只中だったこの日の時点ではかなりヤバい状況だったわけでして。

残りの対戦相手を見て危ない空気を感じていたが、のど自慢のこともあるしずっと落ち込んでられん。
いろんな理由で足取りは重かったが、今日の拠点となるホテルへ向け移動を開始した。

風呂に入りつつ、そろそろ真剣に作戦を考えよう。

そもそも最終回を想定してたからここにいるんだ。
泊まってしまっている以上ハッピースタイルだけ食べて次回、と言うわけには絶対にいかない。
そこで決めたんだ。

イベント開始前に食ってやると。


間違いなく不思議な味だった。
と言うか、この味には3ヶ月の間におーるばっくやがっちゃんと話した事が詰まってたんだよね。

コンサドーレサポーターであることを話していたからこのチラシのカラーリングだし、液体ソースばかりで粉末少ないのねって話してたからこそ、この粉末。
と言うか、そろそろ言おう。
俺の名前がはぴすただからこそこの味なんだよ。

と言うか、

アレじゃねーかよ!

ただ、間違いなくドッキリではあるが、ピロザンギ団からのメッセージだなって。

だから食べ終わってこう呟いたんだ。

「お前らからの感謝状、確かに受け取った。」


食べ終わったところで、のど自慢の会場へ移動。
自分の出番は14番目と言うこともあり、前半はゆっくり座ってられる。
ゆっくりしつつ、この3ヶ月を回想しつつ舞台に立った際対峙することになるキャプテンとゆいまーる相手にどう立ち回るべきか考えていた。

間違いなく、この3ヶ月の大一番。(続く)

サクナ「次回の、おはなしはー?」
「あ、もう食べてきました。」
「歌はもういい、トークに全力だ。」
「ついに、こいつを食うのか。」
次回 21つ目のあじ ただザンギを食べるだけの長く壮大な、思い出いっ"ぱい"の物語
「長かったけど、短かった。」

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