
『はっぴー、会社作るってよ ④』
「テナントなんて、やらなきゃよかった①・優等生はっぴー」
「先生の教室って、もう会社じゃないんですか?」
このエッセイを読んでくれている方からご質問をいただきました。いえ、違うんです。私、フランチャイズで教室を経営している、「個人事業主」なんです。でも、やりたいことがあって、今回、新しい会社を立ち上げることにしたんです!
さて、教室の運営は順調でした。テナントで教室をやり始めて3年目。Grace先生は事務から先生として教室に立つことになりました。4年目には副講師の先生が3人増えました。合計5人の先生と、私と。毎日のレッスンをこなしていました。
けれども私の気持ちは、曇るばかり。
たくさんの先生がいて、事務として働いてくださるかたが3人もいて。でもなんだろう、「楽しくない」んです。
「私がやったほうが良いレッスンができる」
「私がやればもっと早く終えられる」
「どうして私の気持ちをわかってくれないのだろう?」
こんな思いを抱えていました。今考えると、本当に独りよがりな考え方しているなあ。
そして、自分の無力さにも打ちのめされます。
私、経営のこと、何も知らない。
エクセル?できない。
税務のこと?知らない。
色々な取引先とも仕事をする機会が増えました。でもこれも、頭の中にいつも「?」マークが浮かんだまま、仕事をしているような感じでした。
それでも、自分の意味不明なプライドが邪魔をして、誰にも相談ができませんでした。
嫌なことは、嫌。
いらないものは、いらない。
そんなふうに人に断ったことがなかったのです。
話は自分の子ども時代のことになります。
私は、自営業の父と専業主婦の母の長女です。上に2歳上の兄、下に7歳下の妹がいます。父は、自営業でエクステリア関係の仕事をやっておりました。母は時々、父の工場を手伝い、私はといえば、小学1年生の時に生まれた妹の世話をしながら、両親が仕事を終えるのを待つ毎日でした。
母は、真っすぐな性格で、父を支え、3人の子どもたちを大きな愛で育ててきた人です。
私は小さな頃から、いわゆる「優等生」でした。2つ上の兄は、とても自由な人で、母に心配ばかりかけるような男の子でした。困っている母を見て、私は母の期待にたくさん応えようとしている女の子でした。母の思い通りに、母が嬉しいって思うように、そんな風にいつも振る舞っていました。もちろん、いつも母が怖かったわけではないのです。学校から帰ってくるとたくさんその日の話を聞いてくれる、優しい母でした。なぜかはわかりませんが、母の機嫌が悪くなると私は恐怖を感じ、その場をなんとかしないと!という気持ちになっていたのです。
「ああ、お皿洗いとかしなきゃ。」
「お母さんが怒ってる。笑わせなきゃ。」
自然と、「嫌だ」「やりたくない」を言うのは【いけないこと】だと思うようになったのです。
つづく