キナリ杯の女王が思い出させてくれた事。
https://note.com/panko73/n/nab50ad68411a
パン子さんの記事に共感炸裂。
頷き過ぎて、笑い過ぎて首筋やら下っ腹やら痛いわ。
私も長年この輩たちに悩まされて来ました。
ええ。それこそ20代は水遊びもお盛んにロマンスもちろんちらほら。
いざって時には万全な対策を高じて挑まなければならなかったあの時代。
ネズミ取りの粘着シートとさほど変わらない
代物で思いっきり剥がすあのエグい痛み。時にはガムテープでの代用。
クリーム塗って,毛ってこんな感じで縮れながら溶けるもんなの?と思いながら塗ったくったり。
親父のカミソリをこっそり拝借して、深剃りを体験し皮膚に相当なダメージを加えたり。
ともかく、脱毛、除毛。ありとあらゆる手段を駆使して乗り越えて来たあの若かりし時代。
今みたいに気軽に脱毛サロン。なんて事考えられなかったよな。
そして、誰にも知られたくない秘密事項でもあったし。
お金もなかった。
子供の頃に言われたなかった?
毛深い人は情が深い。って話
だからお前は情が深い子なんだよ。と諭されて育ったけども。
いらねーよ。情なんて。そんな目に見えないモノよりも見てくれだよ。
思春期辺りから、この遺伝子を心の底から呪ったもんだ
しかし、それって何情報だったのだろうか?
そんなこんなで乗り越えて来た私のムダ毛との戦い。
であるが
結婚し、懐妊し、産科に通院する事で
更にハードな苦行になっていった。
相手は医者である。妊婦のムダ毛なんぞは気にも止めないのは重々承知しているが
そこはまだまだ恥じらいをもまだ持ち合わせていたわけで、下半身重視、膝下を最重要地点として処理に勤しんでいたが
後半期になるとお腹が邪魔をするわけだ
どんな体制でも処理に向かうも限界がやって来る
しかも、いつ始まるのかもわからない出産
諦めた。どーにもならない。
産科は医者以外女性である。
私が力を注ぐのはムダ毛処理ではない
無事に、母子ともに出産を終える事だ。
そこに集中する事に決め
ムダ毛の無法地帯のまま二人の子供を産み落とした。
あれから数十年。水遊びもロマンスも程遠い歳になり
あの時よりも更に幅を利かせ始めた私のムダ毛
更に、強者になりたくましくなって来てるではないかっ。
なんで?歳とれば薄くなるんじゃ?と淡い期待もあった。
どうやら更年期って毛が濃くなるらしいよ。
の情報。
歳を取るっていろんな事を少しづつ諦めていく作業なんだろうか。
水遊びが今や温泉巡りや大衆浴場に代わり
行く前にはやはり処理に手間をかけていた。
なんだかな。私の人生ムダ毛と共にかよ。
憧れのツルッとした肌
ちくっとでもなく、モジャでもなく。
脱毛サロン行ってみようか?
今更かよっ?
そこに金かけてどーする
まだまだ金のかかる項目が待ち受けているのに、そこに使う意味は?
私の脳内では幾度となく会議が始まっていた
そんなある日。
とあるお茶会で知り合った人が放った一言
私脱毛サロンを経営してるんです。
えっ?
場所は?
なんとうちから車で数分の所
しかも、通勤する道すがらにある。
でも、お高いんでしょ?テレビショッピングのお決まりのセリフの様に問いかける。
施術してもらいたいのは腰から下なんだけどね
想像を遥かに超えるお値段。
そんな値段で大丈夫なの?
7万円? もう誰も止められない。
即決だった。迷ってなんかいられない。
やるったらやるんだ。
それが手術を受ける一年前の事だ。
あの時、即決し、行動を起こした自分を褒め称えたい。
病気が発覚して、ホルモンをお尻に注射なんてあの時想像もしなかった。
脱毛を諦めていたら、ストレスは更に倍になっていたであろう。
手術って殆ど全裸に近い
フンドシ締めて、術着ってお腹と背中の境目をマジックテープでさらっと止めてあるだけの服
手術の心配もそうだがムダ毛の心配がなくなるだけでも心は軽やかである
ムダ毛との戦いに解放されて一年以上
こんなに心が軽やかになるんだったらもっと早くやれば良かったの後悔もなくは無いけど
あのタイミングで脱毛サロンに通う決心をした自分。よくやった
たかがムダ毛、されどムダ毛。
侮るなかれ
人生に彩りを加えてくれたムダ毛には今はありがとうのは思い。
そしてパン子さん記事に出会って、やっぱ人生ネタの多さで決まるな。と改めて思った次第です。はい
#末端巨大症
#キナリ杯を終えて