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キナリ杯に応募して感じた事

キナリ杯が終わり
受賞された作品を読み、共感して、笑って
心が揺さぶられ、涙してどれもこれも素敵な作品ばかりだ。

私が文章を書く事が好きなのはなんでだろうな?
と考えてみた。
なぜ応募してみたい。と思ったのか?

振り返ると、その出来事に意味を見つけつつ
フライドポテトにフレーバーを振りかけるように、おもしろ風味を散りばめ自分を癒している感じ。
因みに、私はコンソメ味が好み

あの時、その時、これは後々面白いネタになるぞ?

なんて事は思えないわけで
悲しくって、寂しくって、自分が許せなくって
心が幾度となく折れながら日々を過ごしていたと思うのだ

ポジティブに前を向いて、と力に任せてねじ伏せていた時もあった。あ

小学4年の時の担任をふっと思い出した。
私はともかく勉強が大っ嫌い

お決まりの、給食、体育、音楽、運動会、遠足
それだけが楽しみで登校していた。

その担任、学級文集を月一で発行していて
作文は毎月提出する必至課題だった。

その文集には先生からの感想付き。
書評とも言えるけど、それが子供ながら楽しみだったように思う。

私の作文に
アナタの表現はその時の情景が目に浮かんでとっても楽しくなります。

その一文を読んだ時,心が踊った。
なんだか嬉しかった。先生に褒められるなんてそれまで一度もなかったから尚更だ

私の作文って人を楽しくさせるんだ。とも思ったそれから、作文を書く事が好きになり
この出来事をわかりやすく表現するには?なんて事に意識したように思う。
おぼろげだけど、そんな感覚を覚えている

そして、時は過ぎて
高校の時、3ポイント貯まると保護者呼び出し
システムだった高校。
なんともゆるっとした校風。
頭髪検査に服装検査3回指導なんて
直ぐにたまるポイント。
担任は家の事情を考慮してくれたのか
毎回、電話での対応をしてくれてた。

それが一度で終わる訳もなく
ポイントが一気に倍になったり,
今日は感謝デーなのか?
事象により容赦はないのは当たり前だ

そんなポイントを精算しなければならなくなり、生徒指導室で軟禁状態

反省分を書かされ、ぼんやり窓から外を見下ろすと校門に一台のタクシーが止まった
母親が降りてきたではないか。

まだその時は杖を突きながらも歩ける状態だった。
ゆっくり、ゆっくり、休みながらこっちに向かってくる。

うわ。マジかよ。

指導室は3階だった。ここまで登って来れないよな。

先生、親が来たんだけどさ。なんで?

今回は、こちらから出向きます。ってお母さんが言ったんだよ

ここまで上がって来れないよ。 

で、そこから一階にある応接室に部屋がグレードアップした。
折り畳み椅子からソファーにアップ

思い出せるのはそこまで。応接室に入ったまでは覚えているけれど。

罪悪感。
あの時ばかりは反抗期の最盛期であったけれども申し訳ない気持ちで一杯になったと思うんだよね。

その時私は母親に手紙を書いて渡した。
まぁ。詫び状なんだけど

それは覚えてる。

それから、卒業し、社会人になり、成人になり
一緒にお酒を飲んでいた時に

いきなりこの案件を口に出し
あの時の詫び状を未だに持ってると言う。

しかも、暗記したのか
一文を言い出したのだ。

あんたの気持ちが伝わって来て嬉しかった。
って
言ってた。

鳥肌が立ったよ。感動してじゃなく
そんな言葉を綴った自分に気持ち悪くって
恥ずかしくって

あの時の情景をも今回思い出させてくれた
あんまり嬉しく無いけれど←笑笑


そう。
キナリ杯に応募するって
小4の時の担任の先生に宿題提出する感じに似てた。

今回はなんて感想書いてくれるかな。文集に載せてくれるかな。そんな感じ。

やっぱり褒められたかった。
認めて欲しかった。の思いもあったよね

それが悪い事じゃないけれど、それだけの為に描き続けるのはなんか切ない。

振り返った時に、自分の道が照らし出される様に、その時の気持ちを振り返って、噛み締めてみると結局は自分の気持ちがじんわり温かい。

それが良い
それで良い。

キナリ杯が終わり数日経って
忘れかけてた思い出が蘇って来た。

受賞はほんの少し期待しちゃったけど
沢山の作品に出会えて
経験ってやっぱり最高のネタだな。を改めて思った

そして

自分が面白がれたらそれが最高❗️
#キナリ杯ありがとう
#岸田奈美さんありがとう
#エッセイ
#思い出