あかんたれにいちゃん14
しばらく続きを書けずにいたのは、第2ステージで終わると思っていたストーリーが第3ステージに突入してしまったためである。ようやく家族も落ち着きを取り戻し、また続きを書いていこうと思った次第である。
引き続き読んでいただければ幸いです。
家族会議と2回目の再建計画
兄は相変わらず返済の目処が立たず、このままでは両親の日常生活および将来への不安は解消することはない。それどころか、取引先の倒産により、資金回収が苦しくなった兄は、ついに私と弟に救いを求めてきた。私と弟は、返済がなければ兄弟の縁を切ることを条件に、折半で300万を貸したが、その返済も期日が守られることはなかった。読者の皆さんも、もう驚くこともないと思う。
私と弟は相談の上、2回目の再建計画を立て、兄を呼び出した。
今までの貸付金額の合計額をつきつけ、なぜこのようなことになったのか、両親の財産が、事業資金だけではなく、兄の生活資金に使われているという現実を彼に認識させた。きっと、うすうすわかっていたと思うが、目をそらしてきたことだっただけに、落ち込んでいる様子だった。しかし、もはや、全く信用のない兄の姿が演技に見えたのは、私だけではなかったと思う。
何が家族にとってベストな選択なのかいろいろ考えたが、どうしても兄に貸したお金に執着してしまい、思い切った選択ができなかった。そんなとき、「アルケミア」という解決手法の本に出会い、半信半疑だったがやってみることにした。本を読んでその手法を実践してみた。すると驚くことにとてもシンプルな解答に行き着いた。そう「家族が幸せに暮らすこと」。それは、過去の執着を断ち切り、これからの未来のための選択をすることを意味していた。私は、兄とお金に対する執着を断つことを決意した。
そして両親と相談の上、購入したマンションを売却し、賃貸に移ることにした。
とにかく安心して老後を暮らすために、手元にある程度のまとまった資金を持っておくことが大切なことであった。それがあるかないかで精神的な安定度は大きく変わる。それは自分自身も経験済みのことであった。
両親の寿命がどれぐらいかかわからないが、私のシミュレーションでは、兄から返済がなかったとしても、私と弟のサポートがある程度あれば、老後を安心して暮らせるという最善の方法であった。
いろんな賃貸マンションを見たが、立地などのいろんなことを考慮し、少々家賃が高かったが同じマンションの賃貸に移ることにした。たまたま、理想の間取りの部屋があったのは幸いであった。マンションの売却については、数社に相談したが、どこもどんぐりの背比べだったが、ある仲介業者の営業マンが使っていたノートパソコンが父が勤めていた会社のものだったことが決定要因となり、その会社に決めた。とても親身に取り組んでくれたおかげで、購入時とほぼ同じ価格で売却できたのは有り難かった。
家族会議
無事引っ越しを終え、家族会議を開いた。兄にけじめをつけさせるためだ。
そしてこの負のスパイラルを断ち切るために。
兄には、事業撤退および自立するよう申し入れた。さすがに、迷惑をかけている自覚があったのか、素直に受け入れた。そして、毎月少しづつでもいいから両親と我々に返済するよう求めた。「わかりました」と言った兄だったが、むろん
信用などできなかった。私は、約束を守るよう、また言い続けなければならないことに嫌気がさしていた。もう兄とは一生関わりたくないという気持ちが本音だった。
マンションの売却代金が入り、なんとか老後を暮らして行ける状態になった。
いろいろあったが、これでようやく平穏な日々が訪れると思い、肩の荷が降りた気持ちになった。以前の二の舞いを踏まぬよう、通帳管理を私がする予定だったが、母が銀行の金庫に預けて、使うときは私に必ず相談するという約束で、便宜上、母の手元に通帳を残した。この時、この決断が後にまた家族に不幸を招くとは知る由もなかった。
兄は、宅配業や清掃業などありとあらゆるアルバイトを掛け持ちして収入を得るようになった。お金を稼ぐということがどれだけ大変なことであるかがわかったようで、そんな話を母にしていたようだ。「今更かよ」と思ったが、少しは彼の中にも変化があったようでそれはそれで好ましいことであった。
一方、収入が安定するようになったら両親への返済を優先して行う約束であったが、マンションの売却代金という老後の資金ができたことと、私が兄と関わることが嫌だったため、その後、私は兄に干渉することをやめてしまった。
母からは兄が一生懸命働いていると聞いていたので、このまま、コツコツ働いてコツコツ返済してくれればいいと思っていた。ようやく、兄もまともな人間になってくれる。そう感じていたが・・・人間はそう簡単に代われるものではないと
いうことをこのあと思い知らされるのであった。
つづく