第30章 怖れ
今のこの三次元地球における現象世界で、皆様が行動、活動をしているその基本要因は100%恐れにあるようです。原点として肉体維持のために仕事をします。源の恐れです。より快適にと、より良い環境、より良い待遇を得ようと頑張ります。
見下されることを恐れる人は、常に上を目指さなければなりません。基本環境が整うと、その維持に躍起になります。せっかく築いた環境を失いたくないからです。まわりの人達とうまくやっていくために気を使い、より優れようと努力します。誤解されないよう、悪く思われないよう細心の注意が必要です。常に気が抜けません。
持たないことを恐れ、持ったらそれを失うことを恐れます。どんなモノも手に入れたとたん壊れ始めるからです。あなたのエゴの観点から見れば、決して恐れから逃れることは出来ません。恐れは、逃避しようとすればするほど、エネルギーを増してあなたを襲ってきます。
恐れの解消法は2種類あります。ひとつはこれまであなたがチャレンジしてきた古典的やり方、すなわちあなたの外側にある現実に対処するというやり方です。
攻撃して撃退するか、逃げ出すか、そのどちらかですが、そんなやり方では絶対に究極的安心感が得られないことはもうすでにご存じの事でしょう。そろそろ恐れの根本原因であるあなたの内側の価値観に意識を向け始めるときが来たようです。
人は愛する人を得たいと努力してきました。愛する人のいない生活に意味を見いだせないのです。「存在する事の価値」に気付いていない人は、愛されるに値する人間にならなければなりません。「仲良くしたい」も、「愛されたい」も、基本的には孤立することを恐れているからです。
まわりの人達からの拒絶を極端に恐れ、偉くなりたい、人に褒められたい、認められたいという衝動に対処しているわけです。愛を分かち合う人が出来たら出来たで、今度は一度得た友人や愛人を、失わないようにと日夜努力が要求されます。
「存在する事の価値」に気付いていない人達は、傷つくことを恐れています。他人からの拒絶を恐れます。では、どうして拒絶されることを恐れるのでしょうか?
拒絶の恐れは、人から嫌われたら生きづらくなる、不利であるという程度のものにすぎないのですが、人は今や拒絶そのものを恐れています。拒絶されたと判断したとたん、心は猛烈な反撃を開始します。「存在」が傷つくことなどあり得ないというのに・・・。
でも本当はあなたを拒絶することを目的として、あなたを拒否する人がいるわけではありません。あなたが拒絶されたと判断したその相手は、単に自分が傷つかないように防衛しているか、すでに傷ついてしまった心を癒そうとして、そのような態度をとっているにすぎないのです。
そんな傷つきやすい人を恐れる必要などないのです。あなたが常に愛を持って接していれば、どんな人も恐れる必要なんかありません。
人に愛を持てなくなるのは、あなたが傷つくからです。人は「無条件の愛」という言葉を聞くと、それが素晴らしいことであることを誰でも知っていながら、でも自分には出来ないと言います。それはこれまでの自分の人生の中で、人に優しく出来なかったときの記憶があるからです。
どんな時、人に優しくできなかったか思い出してみて下さい。人に意地悪な思いがわいてきたのは決まって自分が傷ついていた時、イライラしていた時であったはずです。ですから大切なことは、あなたが傷つかないようにすることです。気分のいいときは、誰でも人に優しくなるものです。
では自分が傷つかないようにするにはどうすればいいのでしょうか。あなたはこれまで他人の言葉や態度によって傷ついた記憶があるので、自分が傷つくのは他人のせいであると勘違いしていますが、実は他人の態度を契機として、あなたの内面にある否定的価値観が表面意識に上がってくることによって、あなたは傷つきます。
あなたを傷つけ続けているのは、あなたの抱いた否定的価値観です。他人の態度があなたの手放すべき考え方を教えてくれているわけです。
「このくらいしてくれて当たり前」、「このくらい出来るのが常識」と思っていると、してくれない相手を咎めます。出来ない相手に苛立ちます。あなたの「あの人は冷たい」という思いがあなたの心にトゲを刺します。あなたをイライラさせる張本人は、この「してくれて当たり前」、「出来るのが常識」という考え方にあります。
すべきであるといった断定的考え方があなたの心を傷つけます。どうか勇気を奮って、「そんなの当たり前、誰でもそう思っているのだから」という考え方を全て手放して下さい。あなたの思っているみんなも間違っているかもしれないのですから。
自分ひとりだけ非常識なことをするのを恐れないで下さい。誰かがやり始める必要があるのです。これまで使い古されてきた常識という固定的価値観を、白紙に戻すことによってのみ、この社会は変わり始めます。
この社会を変えるのに弁舌を持って他人を動かそうとしても変わりません。社会はあなたの反映なのですから。あなたひとりがその意識を変えることによって、あなたの見える宇宙全てが変わってしまいます。
地球を変えるのに、あなたひとりの意識の変容で事足りるのです。他人の抱いている固定観念を変えようと努力する必要はないのです。
もしもあなたのまわりの誰かが、光り以外の何かに見えているとしたら、それはあなたの中に、何らかのかげりがまだ残っているという証拠にすぎません。
あなたがある人を嫌いだとしたら、その人の欠点を見つけだしている自分に気付いて下さい。その人の中に見える欠点を、欠点と認識するために使ったあなたのモノサシは何でしょうか。他人を良くないと判定するための尺度に用いたあなたの価値観を見つけて下さい。
その価値観の対極にある考え方は何ですか。その対極する価値観を使ってあなたの判断の天秤ばかりがバランスするように持ってきて下さい。あなたの価値観をニュートラルにするという事です。
あなたの抱いてきた価値観が、「どちらでもよい」とニュートラルになると、そのことに対して比較することが出来なくなります。比較するための尺度がないからです。比較しなくなったら判断もできません。
このとき、人は初めて判断しない人生を生きられるようになってきます。比較するな、判断するなと教えられても、モノサシを持っている以上、瞬間的に無意識に条件反射的に判断が起きてしまうものです。
あなたの抱いている全ての、善し悪しの価値観を手放して下さい。あなたの疑うことのない正しさに対局する価値観をさがし、価値をバランスさせ、ニュートラルにして下さい。
この時、人は比較判断が出来なくなります。判断しなくなったあなたの心は揺れようがありません。こうして人は不動心を獲得します。正しさを握っている限り、社会の現実を見て、心を動かさないではいられません。正しさを持っている限り、そこに悪を発見するからです。
不動心を得た人は、現実を感情を交えず見ることが出来るようになります。即ちあるものをあるがままに観るわけです。全てのものを、全ての人を正観出来るようになります。
見えてくるものの奥にある「存在」が感じられるようになってきます。「ただ在る事のすばらしさ」がわかるようになってきます。至福に満たされます。存在の美しさ、存在する事の素晴らしさを実感します。決して変わることのない、永遠の巨大な存在を感じられるようになってきます。
「私は今なぜこんなに頭が悪く、力が無く、矛盾だらけのジレンマの社会に生きているのか? 私が神であるはずがない」と考える人は、「だから我々は互いに掛ける迷惑を、最小限に止められるよう我慢しあってひっそりと生きていかなければいけない」という考え方が正論となります。これまでの考え方です。
この反対に、自分が神である事を疑わずに真理の中心にすえた時、「ではなぜ、神であるはずの私が矛盾をとく智恵がなく、問題を解決する力がないのか」と、その解答を用意する必要が生じます。
神である我々が、ジレンマ社会にいるとしたら、それを体験してみたくて、ちょっと遊びに来ているのだとしか考えられません。子どもが恐いジェットコースターにわざわざお金を払って遊びに来るように・・・。
そして全ての現実を創っている自分が創造者であることを受け入れたとき、自分のまわりで起きる全てに責任を取ったとき、もはや永久に被害者にはなり得なくなります。被害者にならないとは、もはやあなたは永遠に傷つくことがないということです。
もう自分は傷つくことがない、自分は永遠に安全であると想像してみて下さい。どんなに安らかにくつろげることでしょう。自分はそのためにこそ、これまであくせく頑張ってきたのだとは思いませんか? 本当はその感覚が欲しかったのではありませんか?
そうなのです。自分に起こってくる現実の総てに対して、自分が責任を取ったとき、あなたはその瞬間から永遠にくつろげる豊かで、自由な存在へと変わります。これは難しいことではありません。
単に「自分の見るもの聴くものは総て自分のハイヤーセルフが、私のために創り出してくれているのだ」という、この一点を受け入れてしまえばそれで終わりです。それだけであなたは完全なる安全を手にします、完全なる安らぎに浸れます。
どうか恐怖から逃れようと、責任を取ることを回避するのではなく、勇敢に総ての責任を受け入れて下さい。本当に「総て」にです。永遠に傷つかない人だけが、永遠に人に優しくできます。それが無条件の愛の体現者のことです。すなわち「無条件の愛」を体現するための必須要件が、自分が傷つかないということです。
あなたが永久に傷つかなくなったとき、あなたが永久に被害にあわなくなったとき、それは即ちあなたの世界から完全に加害者が消える瞬間でもあります。あなたの世界に加害者を出現させていたのは即ちあなた自身だったのです。あなたが自分を守りたかったからです。
そうさせたのはあなたの恐れなのですが、あなたが「自分を守ろう」と決めたとき、ハイヤーセルフはあなたの希望どおり守らねばならない敵をあなたのために用意して下さいます。
あなたの唯一最大の敵は「自分を守ろう」という思いにありました。どうか進んで勇気を奮って自分を解放して下さい。「守る必要なんか一切ないのだ」という一見無謀な考え方を受け入れてみて下さい。そこからあなたの安心がやってきます。
その時あなたの世界から、あなたを攻撃するものが消えていきます。天災にもあわなくなります。事故も起きなくなってきます。それを創っていたのがあなたの「自分を守る」という理性にあったのですから・・・。
「自分を攻撃していたのは自分の思いであった」「自分の心を揺さぶっていたのは自分の抱いた価値観にあった」こんな簡単な理屈を、人はやっと理解できるところまで意が上がってきたようです。