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あったものを失くすということ
私の難聴は片耳の低音突発性から始まって20余年ほども経つ。
その間ガクリガクリと両側不規則に5度大きく変化しながら現在に至った。
その5度とも早くステロイド治療を始めたものの1度も改善することはなかったので、後半2回は惰性というか、まただよねと思いつつ、それでもやらずに後悔するよりはとしっかり治療をした。けどやはりだめだった。
いつも前触れなく突然消える。
でもソレに気付いた時の感じは毎回違う。
酷くうるさい大音量の耳鳴りで始まった時や、静かすぎておかしいぞと全身ゾワッとした時もある。
買い物中にクラッときて辺りが歪んだ時や、気持ちの良い晴天の日に車を運転していて、窓を全開にしたはずが外の音が入って来なくてキョロキョロ確認してしまった時もあった。
あれ?聞こえない…。
急にポフッと それを失くす。
さらにこれが 何度も起こる。
でもいつ起こるのかは わからない。
どのくらい失くすのかも わからない。
人の声を失くす。エンジン音を失くす。
片側を失くす。頼っていた音域を失くす。
以前はあった。でも失なっていく。
あった頃の記憶と経験はそのままに。
誰かとコミュニケーションを取りたい。
けどこれまでの方法は使えなくなった。
あったものを失くしたからだ。
筆記や文字起こしや口の形を読む。
指文字や日本語に合わせた手話を使う。
手探りだけど進むため。
試行錯誤しまくりまくる。
日本語対応手話は肩身が狭く、使いたい理由を伝えてもなかなか理解が得られない。ほんとむず。