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ともしび
視界に入る全ての景色が歪んで見える😱ような7月20日の土曜日。楽しみにしていた学びの場「ともしび」の開校式に。
”市民社会とケア 「する/される」から「つくりだされる」へ”というテーマ。
大人気シリーズ『ケアをひらく』の白石さんと。
ずっとお会いしたかった、いろんなこと(ほんとうにびっくりするくらい、いろんなこと!)を通してみんなの居場所を創っている近藤さんと。
テーマを軸に思考を深める贅沢な時間。
日本NPOセンターの面々もみんな熱量高くて楽しかった〜。
▼印象に残った言葉たち
ひとりでつくれるものは何もない
ごちゃまぜ
失敗していいよといいながら失敗をしない/させない教育
ケアは定義できない
スープの具を掴むようなもの
発酵とケアは似ている
ケアは潜在的なもの
徳の高い人とは例外を許容する能力のある人
市民社会ってなに?
ってことも話をして。それぞれちょっとずつ持っているイメージ違いそうだなぁ、と感じた。
その日、わたしが考えたこと。
また変わるかもしれないけど、記録。
誰にも強要されず自由な意志の下に集まった人達
経済的でないもの
地に足がついた人達
主体、主権者であることに自覚的な人達
一歩踏み出した人達とそのフォロワー(フォロワーも大事)
ケアについても、ちょっと限定的な、偏った捉え方な気がするけど…現在地として残しておく。
ケアする/されるというものではない
与えることで与えられる
作用反作用
そもそもあるものをひきだす
誰もがケアとともに生きている
配慮、思いやり、気遣い、手当て
専門知識が必要なケア(医療、看護、介護)
cureとcare、cure寄りのcare
ケアの担い手が同時に受け手にもなる
高校時代、とある病で入院した時に仲間からのケアは医者の治療より遥かに意義があった。
子育て中、親(わたし)が子をケアすると同時に、子から親(わたし)がケアされていたし。下手したら受けたケアの方が大きいのかも。
末期癌だった友人との関わりの中でも、わたしが成し得たケア以上のものを彼女から受け取った。
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もやもやしたまま終わったので。
その後ずっと反芻している感じ。
つまり、学びの場として最高だと思うw
今日は大学の図書館で気になってた本を借りたこら、講義終わったらじっくり読むぞ。
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