岡山まちづくり探検〜地方創生時代の市民活動集〜・岩淵泰
この本を読んで岡山に行ってみたいと思った。岡山のことを全く知らないとわかって、そして岡山をもっと知りたいと思った。
私が筆者である岡山の岩淵さんを知ったのは、2019年に徳島県小松島市で「こまつしまリビングラボ」をやっていた笹尾さんに招聘されてワークショップに参加した時のことだ(これは以前、まちづくりのリビングラボとして執筆している。記録しておいてよかった)。
私は、日本列島の西側は正直あまり足を踏み入れたことがなく、知識も限られていて、中・高の地理や歴史で授業の知識がほとんどだと言ってしまえるぐらい知らない。こまつしまワークショップに参加した数日間、岡山から参加していた岩淵さんから岡山の話お聞き、限られた時間ではあるけれども、掘り下げてみたら面白そうだなと思ったことを思い出す。
小松島にも岡山にも、大都市にはない課題が満載で、さらにリビングラボに重要な、昔ながらのコミュニティが脈々とつらなっていることを感じたことを覚えている。その時に出会ったポートランドからの長期滞在者ジョニー・フェイン、サウミャ・キミさんも本に何度も登場していた。会う前にこの本があれば、もっと話したかったトピックがたくさんあった。今回、「岡山まちづくり探検」を読んでその時の気持ちがまるで昨日のことのように蘇ってきた。
「岡山まちづくり探検」は、2015年から山陽新聞デジタルに掲載されていたエッセーをまとめたもので、なんと5年も続いているというから驚きだ。
まちづくりを研究テーマにする岩淵さんのエッセイの行間から想像するに、実際は、岡山の街づくりは大変なことばかりなんだろうとは思う。日本の地方都市は、そもそも高齢化や少子化・産業の衰退でどこでも大変だ。大都市も問題を抱えているけれども、その種類は大きく違う。もちろん、まちづくりに関わる大変さはエッセイの行間から透けて見えるとはいえ、岩淵さんの語り口は地域への愛や希望があふれていて、それだけで取り組む意欲が伝染してくる。
街の個性・住む人のライフスタイル
エッセイからは、まちづくりには、大きな枠組みや王道はあるかもしれないけれども、コピペでは何も生まれないこと、地域に住む人々の暮らしや考え方、風土がまちづくりに影響を与えることが伝わってくる。「街の個性とは人々のライフスタイルそのものだ。地方では、1人が二役、三役をこなしながら地域を支える。」まさに、この感覚は、横浜のリビングラボ(日本のリビングラボに見た未来)でも片鱗を感じたところでもある。
岩淵さんは、多くの土地に根付く場所やコンセプトなどをうまく抽出して、それがどのようにまちづくりに関わっているのか、一つ一つ丁寧に紐解いている。街を流れる川や公園、皆が集まる場所や朝市など、街のいろんな場所が異なる切り口で登場してくる。そして、そこから炙り出されるのは、人が中心にいるんだという当たり前だけれども、まちづくりで必ずしも実践されてないことだ。
「市民の身近な公園は、いわゆる舞台装置であることです。人々の生活を劇に例えると、中心にあるのは必ず人であり生活です。公園の役割はそれを輝かせ生かす舞台装置のようなものです。」
横浜のリビングラボ(日本のリビングラボに見た未来)でも感じたことだが、地域のなりわいも大きな役割をはたす。なかでも印象強かったのが、地域の廃棄物処理の会社「コンケングループ」のストーリーだ。紹介されていた循環型ビオ・ガーデンは、コンケングループが作ったもので、企業と地域が一緒にまちづくりができるという例として出されていた。エッセイでは、「会社で講師を招いてSDGsなどについて学ぶ学ぶことで会社にも社員にも変化が生じた地域に寄り添う姿勢が強くなった。」ことや、社員と地域の清掃活動をすることで、「地域の信頼を得ることにもつながった。」ことなどが紹介されている。後者は、会社としては社員が挨拶や整理整頓ができるようになることを狙ったというのだが、それだけではとどまらなかった。そのうち、子供の社会科見学先として選ばれるようになり、今では、従業員は作業を止めて挨拶をするんだそうだ。環境が重視されている今の時代の流れもあるのかもしれないけれども、コンケングループ内では、社員が環境に優しいことをしているんだというプライドや自負が醸成されて、街の一員として認識するようになっているんだという。そして、ゴミというものを「見ないふり」するんじゃなくて、街の営みの一部として子供をも新しい目で「廃棄物処理」を見るようになる。
参加と共助と協働
いくつものエッセイで出てきた忘れてはいけないまちづくりの要素は、市民発の参加と共助、協働だろう。市民がみんなで川のゴミ取りをする「西川クリーン探検DAY」やファジアーノや助け合うおかみさんの会などが紹介されていたが、それぞれのエッセイでは、まちには、さまざまな市民参加や市民発の共助・協働があり、それが街に住む人たちの生活に根付き、機能しているということが描かれている。「住みやすい街を作るためには市民が街の将来設計に積極的に参画することが大切だ」し、一緒に助け合っていくということが重要だということはよく言われる。それがエッセイからは透けて見える。ただ、それだけじゃない。助け合うのは、市民同士に限ったことではなく、市民と行政の関係でも言えるのだ。
行政はまちづくりのビジョンを持つことが重要だし、大規模な開発にばかり目を向けるのではなく、人間が生活していく上で、本当に必要なものは何かと言うところから考える必要がある。そして、市民は、足元を見つめて、地元の素材や歴史や培ってきたアセットをもっと活用しないといけない。そこにいるプレイヤーである市民と行政は対立する存在ではなくて、支え合う存在なんだなということが示されていて、とても新鮮な発見だった。もちろん大変なことだけれども、大変だったとしても努力することが大事だと、岩淵さんのエッセイは伝えている。
「伝統的建築に関する条例は、基本的には街の約束を守りましょうと言うのがスタートなんです。商店街の住んでいる人が街や行政を信頼していくこと。同じように、商店街に住んでいる人から行政も信用されるように努力すること、そのような関係が築かなければならないのです。(p139)」
保存と革新
私の家族は東京生まれなので「ふるさと」がない。「ふるさと」に長い間帰ってないと聞くと、なぜ?!と疑問に思わされてきたが、多くの人にとって「ふるさと」は、懐かしいと同時にめんどくさくもあるのかもしれない。第三者である私からすると美しい日本家屋や街並みも、実際にずっとそこに住んでいて東京の高層ビルに憧れる人にとっては古臭いイメージを持つものなのかもしれない。豊かな自然や田んぼや漁港のかわりに、高層ビルが欲しいと思うのかもしれない。
倉敷の街並み保存のエッセイで印象的だったのは、「70年間町並み保存をコツコツやってきた」けれども、ただ保存するのではダメだというメッセージだ。単に形を保存すればいいのではなくて、「私たちが意思を持って保存しようとしないと、大切なものは残っていかない」という。そして、「年月が経っていても若い人々の選択肢を奪わないこと」が大切だという。今、判断できないことはあるのかもしれない。「古い町並みを残し続けることが良いことか、もしくは、新しい建物や店舗を受け入れて変化するのかを、今の世代だけで決めてしまわないようにしたい」という倉敷の人たちの長年の経験から出たのであろう洞察に圧倒された。今の経済的な圧力から、そして県外の企業からの開発が入るなどによって起こる成り行き任せにしてしまうのではなく、ローカルルールをきちんと議論していこうする姿勢には賛成しかない。その背景にはどれだけの衝突と苦労があったのだろうか。
人間中心のまちづくりのKPI
岡山のまちづくりの全体を通して、いくつかの鍵が浮かび上がってきたように思う。これは、いわば人間中心のまちづくりのKPIだ。それは、
- 住んでいる人たちの顔が見えること
- まちのユニークな点・隠れた魅力があること(これはご当地キャラなどではなく、ドキドキワクワクさせることがあるか?ということだ)
- そこに理想とするライフスタイルの(未来像が)見えること
最後に、私が住むコペンハーゲンにオフィスを構える世界的建築家のヤン・ゲールの言葉が紹介されていた。岩淵さんの引用だが、私もとても素晴らしいと思ったので、真似して引用してしまおうと思う。
「人生が、都市を形作るのであろうか。それとも、都市の中で人生が形作られるのであろうか。私たちは都市を作り、都市が私たちの人生を作る。だから、ライフスタイルは、どのような都市に住むかによって大きく変わってくる」
私たちは、自分が生きたい人生を選び取るために、まちについて真剣に考える必要がある。このことは、何となくは感じていたものの、言語化されたのは初めてな気がする。これは、新しい発見だ。