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「ヒューマンロボティクス」と社会実装

慶應義塾大学の矢上で2019年春の「ヒューマンロボティクスと社会実装」を担当した。7月12日が最終日だった。産業技術総合研究所(産総研)と東工大の先生との共同授業でした。今後、社会に根付くロボットやAIが広がるにつれて、社会学的な視点がもっと重要になってくることは確実。良い機会をいただいたので、地頭が柔らかいエンジニアの卵に少しでもインパクトを与えられればと思って、久しぶりに日本で講義をしていました。

日本のロボット開発の歴史は本当に面白い。日本の支援ロボットの歴史は古く、すでに1977年には盲導犬ロボットなどが提案されている。70-80年代に開発されたロボットは数知れない。ガンダムやドラえもん効果もあるだろけれど、過去40年間の間に驚くほど多くの支援ロボットが提案されてきているのだ。でも、前述の盲導犬ロボットはバッテリを搭載しておらず実用性は全くないとか、技術的な先進性が主軸に開発されていたことがわかる。多くのロボットは、結局のところ現場とのインタラクションが限定され技術者の思い込みや熱意のみで進められていて、研究期間が終わり作られた技術はお蔵入りして社会に出てくることはなかった。気がつけば、米国の似たようなロボットは社会性を備え市場に出回るようになっている。これはとても残念なことだ。
さらに残念なことに、このサイクルはいまだに続いている。例えば、理研のRIBA(HP)は、移乗支援をするロボットを作って実際に人を使って実証実験したという。だが、人を持ち上げるという動きはエネルギーが大量に必要で、出来上がったのは100Wのモータを内蔵するロボット。100Wのモータを内蔵するロボットは、暴走すると人を簡単に骨折させてしまうぐらいの力を持っている。しかも、高齢者が持ち上げてもらうには、ロボットが持ち上げられるようにちょっと腹筋を使って上体を持ち上げ、膝を上げる必要がある。結局当事者とっては使えないものにしかなってないじゃないか。

支援ロボットの機能は、物理的支援情報的支援心理的支援に大別されるが、どれも社会的な観点が重要で、さらにどう社会に実装していくかの仕組みづくりが不可欠だ。支援ロボットの安全性を高めるために、規格や認証利用者の教育などは重要ではあるけれど、考えなくてはいけないことは、本質安全(交通事故が多い横断歩道を立体交差にする)であって機能安全(「車が多いところでは信号をつけ、歩行者は気をつける」といった社会通念として合意)で満足しないこと。別の言い方をすれば西田先生が提唱しているABC理論(課題を可制御化する)も活用できる。デザインの力をうまく使って社会問題を解決するような社会機能のデザインの分野に多くの若者が興味を持って取り組んで欲しいと思う。

授業について

授業は、私が受けていた20年前と大して変わらない講義型の授業だった。初回で質問をして回ったら「大勢の前で発言するのは嫌だ」とネガティブな回答がいくつか寄せられた。ワークショップも「知らない人と話すのは苦手だから」嫌だという。一人で実施している授業ではなかったので、大きく形を変えることは憚られたが、次回関わることがあれば、嫌だという学生が数名いたとしても毎回ワークショップ形式にしようと思う。講義では常識になっている「大学講義」の枠組みから学生が抜け出ないことに唖然とすることもあった。前列に座りつつもガバッと寝に入ったり、質問しても手が上がることはない。無理やり意見させることもあったが、どうしたら主体的に知識を得るための時間にしようと思ってもらえるか悩ましい。一つ良かったのは、授業後の課題と感想文。何も聞いてないと思われた学生がきちんと解答していたり、示唆に富んだ意見を述べていたりすることもあり、この「執筆レポート」ツールがあったからこそ理解度の把握ができた。今、世界のあちこちで反転授業PBLなどが導入されて常識になっている。様々な試みが日本でも広がるといい。

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