今日からできる!人生を劇的に変える映画の見方とそのコツ
みなさんこんばんは!
しょうへいです。
今日でGWも終わりですね。。。
Stay Homeということで、在宅で連休を過ごされた方がほとんどだったのではないでしょうか。
かくいう僕も、ずっと家に閉じこもって映画やドラマを見まくっておりました!
そこでいつも悶々と考えていたことがあったので、それをnoteにして見ました。いつもみなさんが映画を見ている時の視点と、僕の視点ではどのように違うのか、その差異について考えながら読むとなお、違いがわかって良いかもしれませんね。
まず話に入る前に答えを言っておくと「作品からえられる情報量を増やすこと、またそれを咀嚼して自分の意見とすること」これが映画を見ることで人生を変えることのできる見方になります。
それを下記にまとめているので、見て見てください。
本日のお話は、
題して!「今日からできる!人生を劇的に変える映画の見方とそのコツ」です!
それではいきましょう!
1、「本を読め」という言葉はあるが、「映画を見ろ」という言葉はない
いつも不思議だったんですよね。
本を読め、という言葉はありますよね。ただ、「映画を見ろ」って言葉はあるかもしれないけど、あまり聞かなくないですか?
本を読め、という派閥の意見はこうです。
「その人が体験や研究をした数年〜数十年の経験がたったの数千円で読めるんだぞ、本は読んだ方がいい」
なるほど。確かにその理論は当たっていると思います。
がしかし、それでいうと、映画は超大作で数十年、数百億を投じて1時間や2時間の作品を仕上げます。
であれば、確かに伝わり方自体は脚色やストーリーを通すので、かなり抽象化されますが、その監督や脚本家、キャストの経験を見られると言った点では、そう大差はありませんよね。
僕は「映画から学べること」はたくさんあると信じていますし、「映画は人生すら変える」ということを信じております。
では、どうやったら強く抽象化された映画という媒介を通して人生を劇的に変えていけるのでしょうか?
2、作り手からメッセージを感じよう!
ずばり、「作り手からメッセージを感じる」です。
は?
なんだって?
と思う方いるかもしれません。ただこれが一番良い方法であると僕は考えます。
何故ならば、映画に限らず創作物全ては「何かしらのメッセージ」が込められています。
それを観た後に、お客さんにどう感じて欲しいのか、何を学んで欲しいのか、何を吸収して欲しいのか、そういう色々なものを願って、作ります。
実際に物作りをした人は特に共感できると思うのですが、”0→1”の作業って本当に苦痛です。楽しくもあります。でも、苦痛です。辛いです。だって前例がないからです。
でも、その想いを届けたくて、命を削りながら作ります。僕も昔、小説を書いていた時代がありましたが、当時のメッセージは「僕と同じような境遇の人へ、明日がもうちょっと楽しいと思ってもらいたい。死ぬという選択を考えた時に、もうちょっと思いとどまって、世界は面白い。だから死ねない」そう思ってほしくて物語を書いていました。
同じように、それは監督なのか、脚本家なのか、裏方なのか、キャストなのか、全ての人が1つの物語から伝わる作り手のメッセージを観客に届けるために、命を削って作り出した渾身の1本なんですよね。
だから、僕はこうやって映画を観ます。
「この作品、この監督、このキャスト、このカメラワークは僕に何を伝えたくて、こうしているんだろう」と。
すると、今までは見逃していた様々な要素が絡み合っていることに気づきます。その気づきがあっているか間違っているかはどうでもいいです。
ただ、自分なりにそう捉えながら観た時に、その作品から何か気づきを得ることが大切です。
そしてその気づきを誰でもいいです。友達でも、家族でも、SNSでもいいです。
とにかく”シェア”しましょう。
自分はこう感じた!
自分はこう思った!
ここでこのような意図があるのではないかと考えた!
この作品はこういうことを伝えたかったんじゃないだろうか?
これに正解はありません。思ったままでいいんです。何故ならば、作品とは、作り手の手を離れた時に、作り手の意図とは外れた解釈や存在になっていきます。
ただ、それでいいと思います。大切なのは、命をかけて作った作品から、得るものがあったと。その人の人生にとって、有意義な時間を作り出すことができたと。それが作り手にとってもっとも誉れであることに違いないからですね。
そして、受け手がさらに学びを深くできるハウツーは下記でもうちょっと深掘りしていければと思います。
3、面白かった?泣けた?なぜそうなったのか考えよう!
もちろん受け手が受け取ったような感情や感想でいいと思います。ここについては作り手の恣意が介入してはいけない部分だからです。ただし、受け手として、その映画から学びをより深くするための方法は存在します。
それを少しだけ深掘りしていければと思います。
ポイントは「感情と過去をリンクさせる」です。
人間は不思議なもので、捉え方の振り幅は多くの場合、実際に経験した範疇でしか感じることができない生き物です。
ゆえに、みなさんも経験があると思うのですが、泣ける映画を見ていたとしても、他の人と泣くところが違うことってありませんか?
笑ってしまうところもそう。感じる場面は十人十色です。
では、なぜそんなことが起きてしまうのでしょうか?
理由は簡単です。
「そもそも人の喜怒哀楽は自身の過去から由来するもの」だからです。
嬉しい、頭にくる、悲しい、楽しい、これらの感情の裏には、実は過去、その感情に至るための原体験というものが必ず存在します。
そして、人がその感情を発現するときは、原体験をトレースして思い出し、その感情を発現させています。
つまりどういうことか。
映画を通じて得た感情の裏に「どうして自分はこのシーンを見て”嬉しい”と思ったのか? ”悲しい”と思ったのか?」これについて、過去の経験をリンクさせることで、さらに深く自分との対話をすることができます。
自分の感情と向き合うことは自分を深く知ることで。
深く知ることで、行動に対する動機付けやモチベーションが段違いになります。
深く自分を知っていることで、より明確に未来を描き、突き進むことができます。
特に未来とは、先が見えないものです。不確定要素しかありません。その中を突き進むには並大抵の精神力がなければ高い水準は保てない。
困難にぶつかった時に何を糧にしていいのかわからなくなるからです。
しかし、感情と向き合い、過去と向き合う練習を日頃からしていると、土壇場のモチベーションが落ちづらくなります。
映画を見ることは、「自分の過去(原体験)と向き合うストレッチ」でもあるのです。
ただ、これを義務としてやってしまうと視野を狭めてしまうことに繋がるので、個人的には「自分を探検する」つもりで好奇心を持って取り組むことが大切だと考えます。
4、映画とはありえない日常からメッセージを代弁してくれる
映画とは、特にアクションやSFであるとそれは顕著になりますが、限りなく「非現実的」なものが多いですよね。
VFXをフル活用しないと表現できないものが山ほどあります。例えば下記のような不朽の名作と言われる作品たちもそうです。
これらは通常の撮影だけじゃ到底あのクオリティは表現できません笑
人間の持つ妄想力を最大限用いて、伝えたいことを拡張表現して、映画として人々の脳裏に焼き付ける。
日常的な映画についてもそうですが、フィクションってつまり
「人と争うのはだめだ」
「戦争はいけないことだ」
「何かの尊厳を奪ってはいけない」
「死を覚悟した人たちの情熱について」
普段は教えたいけど、実演は難しいものです。
でも生きる上でとってもとっても大切なことってたくさんありますよね?
そういったものを登場人物が物語を通して、僕たちに伝えてくれてるんです。大事なことを代弁してくれてるんですね。
主人公の成長する過程や、登場人物たちが葛藤するところ、残虐な風景、それらは現実では見せづらいところですが、物語を通してだったらちゃんと伝えられる。
そういう願いを僕らは映画を通して受け取っているんですよね。アクションだって、SFだって、ラブロマだって、ギャグだって変わりないです。
それらはその手段を通じて大切なことを僕らに教えてくれている。なればこそ、僕らはそれをきちんと受け取って、学んだことを周りに広めていく。
それが作り手に対する最大限のリスペクトだし、誠意だと考えます。
5、最後に
いかがでしたでしょうか。
普段、みなさんが見られている映画の見方と僕の見方では、大きな違いはありましたか?
今回は映画についてお話をしましたが、これはエンタメ全てにおいて言えることだと思うんです。
アニメでも、漫画でも、ドラマでも、小説でも、音楽でも、お笑いだって。
全て、命を削って作られているものだからこそ、そこには意味がある。必ずある。
漫画だからダメなんじゃない。
本を年〇〇冊読んでるから偉いんじゃない。
その中からどれだけのことを感じ取り、自分の人生の糧としていけるのか。その感度が大切なのであって、ただすることにはそこまで差はないと思います。
年〇〇冊を読んで実行もせずにただ読むだけなら、映画を無意味に一本見たのと対して変わりません。どうせ記憶からなくなっていくものだからです。
ぜひ、有意義な映画ライフを送っていただけたらと思い、今回はnoteを書きました。
もし今回の話で映画に興味を持っていただけたら、ぜひ過去に映画の紹介記事を書いているので、そちらも見て見てくださいね!
では、またお会いしましょう!
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いつも見てくれて、スキくれてありがとうございます。少しで皆さんがマーケティングを身近に、生活に、近づけられたらうれしいです。